巨乳を考える日々の讒言 その12

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努力の豊乳

これは1999年にちょうど栄子さんが雛かっぱに脇脇で出演していたころのものです。E、、いやもしかしたらD+くらいかもしれないですね。

彼女の場合年齢的にほっておいてもいくらかは成長したかもしれませんが現在のような芸術的胸にはならなかったと思われきっとこの頃から2年後にトップの座に輝くまでに彼女なりの密かな努力を重ねていたのでしょう。安易に詰め物手術などしないで大変でも少しずつ自前の胸を豊かにしていく努力を評価したいです。詰め物で作ったIカップなどより自分でがんばってやっととどいたDカップのほうが好いてくれる人も多いですよ。

プライベート多英たん (?)

このようなスポーツをしかも世界トップクラスで行うためにはさすがに巨乳では邪魔になってしまうのでしょうけど、でもそこはかとなくおっぱいが感じられるんですよねー。すんませんファンゆえの完璧なひいき発言ですからまあ気にしないでね。

また少々いろいろと

ところで右端写真の巨乳さんは黒羽さん?

まじでたかの由梨さんから抗議がくるといけないので(なんて相手にされるほどのページじゃないのは確かですが)コメントをしておこうと思いますが決して女性のダイエットや美しくなりたいという努力に水をさしたりする気はさらさら無いんですよ。

この横山さんはグランプリに輝いた方ですがダイエット後ほんとにきれいになったし肥満が健康に悪いってことはもう明白なことですしね。しかし私のようなおっぱいフェチってのはどーしよーもない人種なもんでダイエット前でも後でもとにかくおっぱいに反応しちゃうというそれだけのことなんです。てなわけでご本人にはあんあまりうれしくない画像かもしれないですけど右画像でわかるようにダイエット後もおっぱいはきちんと豊かでいるのでこれまたうれしいことですね。

いつも必ずこの水色の服で出てくるアシスタントの人、なんていうお名前なんでしょうねえ??

ス宮古島の方です。攻撃的にバーンとつきだした胸と対照的なやわらかな丸みがほろりときます。

悪女のおっぱい、、

誰しもなりたくて犯罪者になるわけではないだろう、しかし「自分だけは絶対に犯罪者にならない」ということもまたただの幻想にすぎない。運命に翻弄されぼろぼろになった魂、それでもその胸は女性として美しくあろうともがいている。

桜がなかりせば

こんな人が職場にいたらやっぱり困っちゃうでしょう。春の心はのどかなりけり、こんなもの身近にないほうがいいのよ。

やはり動きがないと伝えにくいのだなあ

左から2番目の子、けっこうたっぷりなんですけど(ちなみにF)わかりにくいかなあ。ほんのり覗く谷間の始まりの部分から感じとってみてください。右の方、そんなに巨乳さんではないかもしれませんが揺れてる様がよかったのですがこれこそ動画でないと全く伝わらないですねえ。やっぱまじで考えよう。

サムネイル、、、(字も)

乳母栄子

素敵な物は見飽きるということがないのだろう。いつも彼女の胸に視線をひきつけられそのたびにこのやわらかそうな膨らみを言葉で表現することができるのだろうか、と心地よいあきらめに包まれてしまう。

植田あつきさんて吉田栄作夫人でしたっけ??? いや違ったかな

このくらいのポチャは私などにとってはぽちゃじゃないんですよね。ああ抱き心地がよさそうです~

定期的に登場かい!

最新情報提供などの回りの期待をぜーんぜん背負わないお気楽ページならではの画像選択ってやつですな。でも絶対に胸に目がいきますでしょ、なぜか。そこが不思議なとこなんですよー

怒濤のアナウンサーおっぱいシリーズになってきましたよ??

大切なのは土台です

高さだけあっても細い乳房というのはどこか頼りない印象が否めません。このような麓のたっぷりあるおっぱいは安心感が生まれますね。

トゥナイト2終了

なんだかんだ言ってもよく見た番組でした。けっこう仕事から帰るのが遅くてこれしか見れないということもありましたし。今回番組終了ということでいくつか拾遺してみました。もちろんおっぱいだけ。

カップサイズ表記の終焉

1977年にワコール社が初めてブラジャーのカップサイズ表示を開始してから20数年、当初はトップバストサイズとカップの組み合わせ表示であったのが以後アンダーとカップの組み合わせに変更されたがその間、このシステムがボイン、巨乳というものを明確に比較表現するために果たしてきた役割は極めて大きいと言えよう。

もちろん本来の目的はそんなことのためにあるのではなく女性が自分の下着を選択するためのもの、メーカー間差をできるだけ無くして工業標準化を行うため、なのであるが。そしてここ数年感じられることはこの表示もそろそろ見直される時期にきているかもしれない、ということである。

人の体の形はそんなに単純な形状をしているわけではない。乳房そのもの形状からそれがくっついている胴体の形もまちまちである。常々巨乳関連ホームページで話題にあがるカップ表示のクレジットと実物を見た感じとのギャップの大きさ、全く同じサイズを公称しているモデルや女優間での実際の大きさの違いがいかに大きいか。について多くの場合は標榜する本人の虚偽という方向に話しは進んでしまうのであるが、もちろんそのような要因も小さいとは言わないもののそれ以前にこのシステムそのものの能力の限界というものを考えるほうがよいのではないかと私は常に口にしていることである(いや、文に書いている、というほうが正しいですね、しゃべってたらやっぱヤバイ笑)。

仮にごく普通のやりかたでアンダーとトップをメジャーで測定してEカップだな、と思った女性がいざ Eカップをつけていてもどうもしっくりこない、ずれてきたりすきまがあいたり一部が窮屈であるのに一部はゆるゆるに開いていたり、等々そこで別の店でコンサルティングを受けるとお客様の場合はFをつけたほうがよろしいかと思います、と言われ、別の店で聞くと逆にアンダーを1サイズあげてカップをDにされたら適当ですよ、と言われる、これはもう日常茶飯事に起こっている事柄なのである。だから嘘をつくつもりではなくともFでいようと思えばいられる人がDになってしまうことも当たり前のことなのである。

ましてある程度以上のぽちゃで爆乳の人になればもうカップサイズなどなんの意味もなくなってしまうのだし。さりとて今私に千差万別の体型、乳房形状に対して対応可能な表現方法として適する方法の妙案があるわけでもない。先にも書いたようにバストサイズのシステム変更は別に巨乳マニアたちが要望して実施が行われるようなことなどあり得るはずもなく、それが行われるのは下着をつける女性の側にその要求が高まってきたときのみである。だから当面は実はマニアは本能的に行っていることではあるがサイズなどに惑わされず自分の目を信じることに尽きよう、もちろん現行の表示も見てみる見てみないのスクリーニングにはまだまだ役立つものであろうし、しかしその中ではっきりこれだ、というおっぱいを見つけたらあとはもうクレジットされているカップサイズに文句など言わず無視してしまえばよい。

本ページでの研究報告を執筆するためにいろいろなサイズのブラをしげしげと眺めながら私が漠然とではあるが考えるようになった現行システムを利用しつつもより現実の胸の種類に対応可能としていくための一つのアイデアとして、同じカップでさらに2種類を設定するということでかなり現状よりはよくなるのではなかろうか。

すなわち例えばDカップの中でもカップの入り口の面積が大きくカップの高さを抑えたタイプ、おっぱいとしては裾野が広くなだらかな丘型の乳房に適したもの、またぽちゃで乳房周囲の脂肪が多い人にもこのタイプが利用できるであろう、もう一つが入り口面積は小さく高さのある痩せているが胸だけポンと出ているような人、あるいはとんがりロケット型の胸にフィットするタイプ、を設ける。表示例としては75-D-1型、75-D-2型、というようにすればいたずらに種類を増やすことなくしかし選択枝は現在の2倍となるわけである。

実はこのようなことは下着選びに意識が高い女性は実はもう行っていることであろう、つまりメーカー間のこのような同じカップ表示でも実際の形状は異なることからくる自分への適、不適を見極めてここのメーカーのものが自分には合っている、ということがはっきりしていくのであろう。それをこのさいきちんとシステマティックに行うのである。さて、他にもいろいろな皆様のお考えをうかがってみたいところである。

健康な肉体とおっぱい

もう長い歴史をもつ「ターザン」という雑誌はご存じのように「健康フェッチ雑誌」ともいえるようなものである。ここでは当然スポーツする男女の肉体の写真がたくさん使われいろいろなトレーニング法などを紹介しているわけだがもちろん私がとりあげるテーマは極めて偏ったものである。

女性の「健康美な肉体」にも当然のことながらおっぱいがついているわけだがそれはどの程度でどうあればいいのか、ということをこれらの雑誌を眺めつつざっとあげてみれば「大きすぎない、さりとてまったく無いわけでもない、カップで言えばB~D程度」「垂れていずできる限りアップしている」ということであろうか。

健康であることとセクシーであることは密接に関係しているということは疑いないことであろうから健康な肉体を見せられればそれにセクシーさを感じても別に不謹慎でもなことでもない、しかしどうもそれをはっきり口にするのはタブーであるようでスポーツの話をしているときはあくまでその人のスポーツの話をしなくてはならず「いいおっぱいですねえ」とは思っても口にしてはいけません。だからかつて山本美優選手がすばらしい巨乳をレスリングウェアーに身を包んで深い谷間を露わにして競技をしているときにもだれ一人としてそれを口にはしないもののなんとなく実況中継している男性アナウンサーのテレパシーのようなものが漂ってきて非常に面白かったものである。

Qちゃんがオリンピックで輝かしい金メダルを獲得した後国民的人気者になると家族や恩師、同級生などにもいろいろなインタビューがなされたがその中で高校の同級生が高橋さんの高校当時のことを話しているなかで「高橋さんは高校のころ巨乳だったの」とけろっと言い放ってみんなで笑ったとき何かスポーツの話題をするときにしてはならないと感じられていた重苦しい不文律のようなものがその明るい女性の一言で木っ端微塵になったようなさわやかさを感じた。

巨乳が邪魔になるかならないかは本人が決めればいいことである、回りがそうあるべき、などと口出ししたりまして巨乳さんであることを口にしてはいけないなどという決まり事は意味が無い。マラソンという超過酷なスポーツにより押さえつけられていたQちゃんの巨乳体質が将来また引退後に大爆発してテレビなどに出てきてくれないかなあ。

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