時はもうすぐ1970年になろうとしていたある日のことであった。

私はとある団地で生まれ育ったのだが、初期の公団住宅には建物の側面にゴミの焼却炉がついていた。しかし当たり前のことながらその面に住んでいる人にとって熱や煙の害がひどくすぐにそれらは使われなくなり、そこは定期的に雑誌やダンボールなど今で言えば資源ゴミを置いておくだけの場所となった。

私はそこに行ってよく捨ててある雑誌を見るのが好きな子供であった。その日私がなにげなく手にした雑誌はいわゆるエロ雑誌でもなんでもない、おそらく週刊新潮、週刊読売、文春そういったたぐいのものであったが巻末のモノクログラビアのページに私の脳に数十年を経ても忘れることがない1枚の写真があった。

その写真のモデルはビキニを着てプールからあがってきたところのごく普通の構図であったがそのビキニの上に大きくはみ出した上乳と谷間が心を捉えたのである。しかし悲しいかな私は今その人の名をどうしても思い出せない。添えてある文章さえかなり覚えているというのに!

「終戦記念日ということで尋ねてみたがさしたる感想もなかった、それもそのはず彼女が生まれたのは昭和  年、すでに終戦を  年も過ぎている。経済の成長と呼応するかのように発育した彼女はもうごらんのように既製の水着でははみ出すのが悩みだそうだ。

~ 中略 ~

彼女の1年先輩にはドラマで人気を得たあの中山麻里がいる、、」

私はそのページを破いて持って帰る勇気がなかったが家に帰ってからどうしてもまた見たくなり、それから何回も脚を運びその雑誌がゴミ収集されるまで何回も見入った。はじめて私が自分のある本質に気がついた瞬間であった。

「ぼくは女の人の胸が好きなんだ、、」

私の巨乳めぐりの人生の最初のそしておそらく永遠の心の偶像は池玲子お姉様である。

同じクラスに池玲子様の大ファンである子がいたために(マセたガキだな)私もその存在を知ったのであるがもちろん少年であった私にポルノ映画(まだこの時代はピンク映画というほうが正しいのかな?)など見れようはずもなく、こっそりゴミ捨て場に置かれてあるいかがわしい雑誌で彼女の胸を何回も見直しては育ち始めたエッチな妄想にふけっていたものである。

「バストコンクール優勝」という説明書きが巨乳好きをすでに自覚しはじめていた私の心をくちゅくちゅとくすぐった。今ならばもう小さくてかわいい手のひらサイズに見える玲子様の乳房であるが改めて念入りに見入ってみるとさすが一時代を風靡しその後数十年を経ても多くの根強いマニアがいる彼女の胸にはえもいわれぬ色気がある。吸い寄せられるような乳首、ああやっぱり素晴らしい!今でも玲子様は私の乳房菩薩様です。

岡崎友紀

こんな画像を掲載するとマニア貴兄からは「どこが巨乳やねん!なめとんのかい」というお叱りの嵐を浴びせられそうである。たしかにごもっとも。しかしテレビのバラエティ番組で見た彼女は確かに他の若いタレントよりも胸が目立っていたのは記憶違いではないと思うのだ。

しかしそれでも脱ぐとこの程度ということだったのだろうか。本当にそのころの10代女性の胸は太めちゃんでない限りはとても小さかったのですよ。

三原葉子 mihara01

ちょうど団塊の世代と呼ばれる年代の人たちの中に三原葉子さんの熱烈なファンが多いようである。

私にしてみても彼女に関してはまったく知識も無いしリアルにその活動を見たわけでもないのだがたまたま好きだった池玲子さんの映画の中で役柄として池さんのお母さん役で出ておりそれを見てお母さん役の女性の胸も立派だなあ、と思ったのが知ったきっかけであった。

もしまた古い映画が入手できたら見てみたいものです。

昔は一般の新聞でもエロ映画(というかピンク映画というか)の広告が載っていて今では考えられないような写真を子供があたりまえに夕刊で眺めたりしていた。

ナチ収容所だのシベリア収容所だので極悪の限りをつくす彼女の役柄はエグすぎてダイアンソーンと呼ばれるよりは役の中のイルザという名前で有名になっていたがそれはそれで彼女にとってよいことだったのだろう。映画のことはよくわかんないんですけどね。

当時私の中の印象ではバスケットボールほどもあるように思えたのだが今こうして見てみるとどうしてどうしてかわいい美乳ではないですか。

30歳を過ぎて中年体型になってきた女性のかなりの割合が脂肪がたまることで巨乳化するが私の回りではそれを「おば巨」とか「おば乳」とか呼んでいる。(失礼いたします)。

通常巨乳と言ってもこのような中年性脂肪沈着の巨乳は割り引いて評価せざるを得ないのだがまだ70年代も初頭は若いスタイルの良い、かつ巨乳という人材は非常に稀少な存在であったから巨乳好きのためには中年の女性でも動員された。しかしその後も熟女を好む人たちの間で高峰三枝子さん、五月みどりさんなどと共に彼女はアイドルとして根強い人気があるようです。

大橋巨泉さんが「ボイン」という単語を広く世に流行らせたモデル女性がこの朝丘雪路さんであったということはたいへん有名な話ですが、「おば乳」のレベルというものはご存知のように非常に高いので本当はこのくらいだと「おば乳コンテスト」では予選落ちしてしまうかもしれません。今回はフーミンとの2ショットという珍しい画像を載せてみました。

誰それ?っていう感じですよね。日曜の昼に土居まさるさんが司会をしていたTVジョッキー(スーパージョッキーだっけ?)で定期的に何回か「ボインちゃんコンテスト」をやっていて今ならばもう確実に全回録画したところだったのだがまだうちにはビデオなど無く(というかまだそんなに普及していなかった)さすがにそういう「お下品な」番組は無くなってしまった。

その優勝者の中でもひときわ立派な巨乳だったのが高校生で全校からの「ミルクタンク」といういかにもというあだ名で呼ばれ絶大な推薦で応募した(させられた)野山さんであった。この番組を見ているとずいぶん大きな子ばかりのハイレベルな争いですでにこのころも募集をかければこれくらい人材は集まったのである。

あのハレンチ学園で有名な児島みゆきさんが「すごーい」と言いながら応募者の子たちの胸をさわっていたのを「うーらやましー」と思いながら見ていた。まあさすがにこの子の画像を持っていらっしゃるかたはいないでしょうかねー。

2003年3月 kukuさんに画像をいただき掲載することができました。画像提供感謝いたします。

まだ女子大生であった彼女が初めてLAOXのテレビCMに登場したときの衝撃はなかなか忘れ去ることができないものである。かたせ梨乃さんこそが今日に続く巨乳グラビアの時代の扉を開いた女性と言っても過言ではない。

その後、彼女はほとんど毎週のように当時まだ男の子雑誌の二大横綱であったプレイボーイと平凡パンチにグラビアとして洪水のように露出したのであるが、そのころの雑誌をもっと多くとっておけばと思うとたいへん悔やまれる。

警視庁のシートベルト推進キャンペーンのポスターで顔無しで写っている写真もたいへん有名であるが、当時まさにそれは「日本人離れ」という言い方がしっくりくるすばらしい胸であった。現在の30代以下の方々はおそらく極道の妻たちに出演している姿くらいしか思い浮かばないのであろうが、大学時代、最も巨乳であった頃の彼女をしのぐボディは2000年を越えた今でもそう容易には現れないであろう。

人の記憶はあてにならないものではあるが、デビュー当時の風吹じゅんさんはほーんとに馬鹿っぽくて数十年の後これほど味のあるいい役者になろうなどとは夢にも思わなかった。

とまあしかしマニアにとってはそんなことはどうでもよいことではあるが、もし胸が大きいと馬鹿っぽく見られるなどという偏見をいまだに持ち続けて自分の巨乳にコンプレックスを抱いている女性がいたら心配しないでください。そう考えないでもし本当にちょっとおばかであってもそれを補ってくれる神様からの授かりものがあるのだとポジティブに思うほうがいいですよ。

私の記憶で下に載せた山東さんとごっちゃになっているところがあるんですけどね。両方とも「お魚さん」ですから。

お魚になった私というCMはまだ覚えていらっしゃるかたもいるでしょうか。上記の風吹さんと同じでちょっとおばかっぽい感じが印象に残っているけどその無防備な魅力にいつのまにか引き込まれてしまうようなところがありました。

今はどうしているのかなあ。

ポーランド系移民のダンサーでダブルエージェントという胸に隠しカメラをつけてスパイ行為を行うという映画に出ていた人ですね。

どうもこのページを作り出してから面倒なのは当時は当たり前にいいなあと思っていた巨乳が実は手術による人工物であったかどうか一応検証しないといけないような感じになってしまうことである。もちろんこのチェスティーは天然の超巨大乳さんで今もマニアの間では崇拝される伝説的存在である。

歳をとらない奇跡の人、由美かおるさん。私と同じくらいの年代の人で小学生のころ由美かおるさんに思春期の扉をこじあけられた人も多いだろう。子供までエッチにしてしまった魔性の女性。

私は香取線香のCMで「伸ばすと90cmあるのよ」と言いながらバストにちょうど回していたシーンが特に思い出に残っています。

実はこの画像とは別のもので彼女が若かりしころ当時としてはトップクラスの巨乳さんであったことがよくわかるグラビアがあったのだがどうもなくしてしまったらしい。

当時は彼女のように色気で売り出す芸能人の女性はけっこうデビュー時に「逆サバ」をよんで実年齢より上を公表したようで彼女も20代ということで出てきたが実はまだ10代であったということを聞いたことがある。今では熟女ファンに好まれているマリお姉さんの若き日の素敵なおっぱいを堪能してください。

イザベルサルリの前ではジェーンマンスフィールドでさえツイギーのように見える、と言われた稀代のグラマー女優であるがまだこの写真の頃(60年代の前半)は後のど迫力はなくけっこうスレンダーなグラマーである。

しかし今の若い人は上に書いた例えで出てくる2人ともを知らないから例えにならないのかもしれないですね。

かのシャロンケリーが日本のポルノ映画出演のために来日したおり、日本にはまったく胸がフラットな女の子しかいないために自分に声がかかったのだろうと思っていたのだが来てみると日本にもいいボイン女優さんがいるではないですか、とインタビューで話していたときに例として名をあげられたのがこの田島さんであった。

池さんが演じていた女番長シリーズを受け継いだ形でデビューしたのだが池さんほど有名にはなれなかったのでけっこう覚えている人は少ないかもしれないですね。

昭和51年ごろの私は一番青春を謳歌していた年頃であったものの当時の私は彼女がいないことが当然であってそのことを特に寂しいとも感じていなかったし彼女のいる人をうらやましいとも感じたこともなかった。

今思えばそのほうが不思議にも思えるが欲望がわかなければ不自由も欲求不満も感じないで済むのだからそれにこしたこともない。しかし世の中どんなものがきっかけで心のKEYが開かれたり今ままで触れたことのないスイッチが入れられてしまうかわからないものである。

大島さんのあまりに普通の顔立ちを見ながら私はふと「彼女はこんな感じがいいな、、」と思った夕暮れ時を突然思い出すことがあるのだ。

恥ずかしい話であるが私はなかなか一人エッチ、すなわち自慰をすることができなかった。どうしても最後までいけずそのまえに痛くてやめてしまっていたのである。

二十歳を目前としたころにやっとそれをまさに「マスター」したのであるが、そんな私の自慰歴の初期にずいぶんとお世話になった写真である。すみません、いくぶん下世話なお話になってしまいました。

このコンテストはいったいなんという団体が主催していたのかさっぱり覚えていないのだが、けっこう当時は有名で毎年週刊誌に載ることを当たり前に感じていたものである。この数年後に同じコンテストにおいて日本人女性が2位となるのであるがその人のことはまた後日掲載いたしましょう。

しかし素晴らしいおっぱい、この72年という時代にこの大きさを見てどのように感じたのであったか感覚の記憶を今思い出そうとしているところである。

 

彼女はもちろんストリッパーでもなければモデルでもない、もちろん脱ぐなどということもまず無いであろう。しかしアメリカでも巨乳好き男性の心のふるさと的な人気は根強いようである。もちろん彼女の乳房が100%天然であることは疑いないし、顔も美人すぎず、さりとてブスでもない、プランピーでもなくけっこう脚などもきれいなのでとにかく素直にいいなあと感じられる、そんな女性である。

おそらく83年ごろであったと思うのだがクリスマスにアメリカのテレビの音楽番組「ケニーとドリーのクリスマス」というのを日本でも放映したのであるがたまたま出かけていて出先でそれを見ていた私は留守録しなかったことを激しく悔いたものです。70年代のコンサートではバストどこまでも前に突き出して強調していた彼女も80年代にはいるとややそれを隠すようになり、またいくぶんダイエットなどをしたのか胸も小さめになってきてしまった。

私はストーリーなどそっちのけでただ彼女の胸が見たくて9to5を見たがその次のスタローンと共演したどう見ても2流の映画のほうが彼女の胸を堪能するのにはおすすめですよ。

ティナスモールという呼び名よりはやはりタイタニックティナの名前で呼びたい。

彼女が現れた70年代の終わり頃はまだアメリカの巨乳モデルシーンもその後のように豊胸手術による人工乳に毒されてはいなかったためこの2mを越える胸はまさにマニアにとっては自然が与えた最高の造形物としてほとんど偶像崇拝のごとくあがめたものであった。

当時少しずつ入手したプロフィールでは彼女は胸に脂肪が蓄積する病気であり、ときどきそれを手術により抜いていかないと普通の生活を維持していくことができないこととか、あまりに目立ちすぎる胸のために普通の子のように外を出歩くこともできずそのため処女なのである、というようなことが書かれていた。

しかし90年代に入って人工乳によりシーンが覆い尽くされるころ彼女ほどの天然乳はあり得るはずがないという一般の考えから彼女もまた人工乳であるという誹謗があちこちで書かれるようになってしまった。胸の脂肪を抜くために病院へ通っていたことが逆に解されてしまったのである。

もちろん真偽は証明しょうもないのであるが彼女の初期のころの写真をたくさん見てきた私としてはやはりティナは天然であったと思う。横に寝ころがった姿勢での写真においてその胸が自身の重量で水まくらのようにつぶれて重なっているものが印象に残っているがその形状は人工乳とは明らかに違うものであると感じたのである。識者のマニアの方々はどうお考えだろうか。