巨乳を考える日々の讒言 その13

目次

このごろ感じること

今毎週毎月発売される写真雑誌を見ていると新たに現れるグラビアアイドルはどの子も一様にかなりの巨乳さんである。しっかりした膨らみと谷間を持っておりそうでない子を見つけることのほうがむしろ困難なほどである。

かつて限られた情報源の中からわずかな膨らみを見つけようとしていた時代から比べるとまさに隔世の感がある。しかしここ1年くらい特に私がこれらのグラビアを見て感じることは「なぜかときめくことができない」ということなのである。何か自分ににとっての大切なリアリティーの部分で大きな欠如が感じられてしまうのである。ちょうど昔アメリカのPLAYBOYのグラビアで見たみなそこそこに胸の大きなアメリカ女性のヌード写真に感じた感情とそれは似たところがある。

しかしこの原因はけっして今の若い女性のおっぱいそのものの魅力が低下しているということではないのだろう。先日某番組を見てまだグラビアデビューしていない段階の子の胸は実に艶っぽく、そんなに美しいというほどではないのになまめかしい魅力が感じられたし、いつも日常目にするすぐ近くのあたりまえの子たちの胸はどれほど心を乱すほどの力があるか。それなのにきちんとデビューして作りこんだ写真がもうつまらないものばかりなのはなぜなのだろうか。

今でも松金さんのようにえげつないほどの個性と群を抜く迫力で力業が使えるくらいの子もいることはいる。しかしFカップ近辺でひしめいているグラビアアイドルたちはもはやその大きさだけで目を引くことはできない。近い将来今のようなグラビア状況は変化してくるのではないかと私は考えている。えげつないほどの超個性、あるいはさほどの大きさではなくとも何かなまめくもののある、そんな子がヒロインとなるときがくるのではないだろうか。

おっぱいとお月さま

この映画はおっぱいフェッチの人ならかなり見ているのではなかろうかと思うのだが私も好きな1本である。私ごときが映画評論などやるつもりはまったく無くこれはほんとに個人的な感想だがまず最初に思うことは実にぴったりの顔の女優さんを選んだなあ、ということであった。

主人公のテテが憧れる初恋のおっぱいの持ち主としてまず当然どんなおっぱいであるかということは最も重要であることは当たり前である、、、、が!よく思い出していただきたいんです。自分が小さかったころまだ自分よりずっと背の高い女性を見上げて憧れたとき、やさしく自分を見下ろして限りない慈愛の表情でその胸に抱きしめてくれたその人の胸と顔はいつも一体であったということ。

あの日あこがれた胸の膨らんだ大人の女性はもしかしたら実は高校生、今の自分から見ればもう自分の娘であってもおかしくない歳の子であったのかもしれない。しかしそれは錯覚であってしかも錯覚ではない、というよりもそれを錯覚であるとしても覚醒することはありえない、そして死ぬまで変わらない思いである。

女性は少女であっても自分を守り包んでくれる存在である、客観などはそこに存在しはしない、自分から見た世界がすべてである。日本映画のマルサの女の中で悪い看護婦の乳房に吸いつく醜い老人、それこそが端から見た私たちおっぱいフェチの究極の姿なのだ。

自分もまたどれほど何度となくテテのように幻想を見ただろうか。それは中学に入学したころであった。当時中学では昼や放課後クラスで輪になってバレーボールをすることが当たり前に行われていた。入学した頃の私から見ると2つ上級の女性はとても大きくその制服のベストを持ち上げる胸がまぶしかった。

ボールがそれて見ている私のほうへ小走りにボールを追ってきたちょっと泣き顔の女性は同じ小学校の上級生でもあったが彼女が中学に入ってからは見かけることもなくまさに2年ぶりにその姿をきちんと見たのである。そのときは何とも思わなかったはずなのにその夜彼女は夢で私をちょっとがさつに抱きしめてくれた、、制服のベストの肩の外側にバレーボールをしたためにずれてしまったブラの肩紐がいつまでも目に焼き付いている。そう30年もたった今でもまだ。

かつてブルセラが流行し、マンションの一室の怪しい店で使い古しの女子高生が使用していた(とされる)ブラが販売されていたとき私はそんなものを買う人の気持ちが理解できなかった。

見ず知らずの人のものなどお金を出して買うくらいならそれこそ新品を買うのも同じではないのか。「その人」がしているからそれは価値があるのだ、いつも憧れる女性の着けているブラ、それはもう欲しい欲しい欲しい!どうしても欲しい、なんとしてでも欲しい。もし私がそれを盗める状況に立たされたとき下着泥棒にならないでいる自信はまったく無い。どんなに自分の立場を冷静に考えてもそれは勝てない欲望であるかもしれない。

人がおっぱいに甘えられる時間はほんのわずかである。テテはおっぱいへの初恋は幻想とともに消えていく、しかしテテはきっと巨乳フェチな人間などにはならないであろう。彼が人間タワーのてっぺんに上ることができたとき私はそう思えた。

おっぱいフェチになってしまう人間とならない人間、そのターニングポイントはきっと信じられないくらい小さいきっかけでしかないのではないだろうか。塔の最初の段にさえ上れない私たちはいつまでもいつまでも、おそらく死ぬときまでもおっぱいを追い続けるしかないのである。

お気に入り

このページ冒頭で少々苦言を呈したやさきに「おや?」と目にとまった写真があった。宇恵さんはすでにパイレーツ加入の記事のときから知っていたがこんなに味のあるおっぱいだったかな?うん、これは波長にぴったり合ったぞ。

閑話休題

言い訳けをするわけではないが私はけっして胸より人間性を軽んじる人間ではないし自分がいっしょにいるためには何より人間性のほうが極めて重要なことであることなど充分理解できる程度の思慮はある。しかし誰しもが異性に対して好みの容姿というものがあるように自分にとっての好みはおおきなおっぱいであるというだけのことである、しかしたしかにその度合いが異常に高いことは認めます、だからこそフェチという名の病なわけですから。

女性でも男性に対してどうしても肥った人はだめ、とか痩せた人はだめ、とかいう譲れない好みがあるように自分も胸が大きい、というよりは好みの胸である、ということが最初の選択のスタート地点になるわけだがそれはどうしても欲しい必要条件ではあってもそれだけであとはどうでもよいという充分条件ではもちろん無い。たぶんそのあたりを女性は誤解しているように思えるのだが、確かに世の中にはただやりたいだけのナンパをする、あるいはそれができる男性も多いのだろうからそのような誤解は男性が育ててしまっているとも言えるのだが。

なんだか本文とあんまりリンクしない画像ではあるがほんわかした気だてのよさが感じられる表情にまあるいお胸もぴったりマッチしてキャプったあと思わず「やった!」とうれしい声を上げてしまった好みの画像です。

さて、私はアナウンサーフェチではありません(笑)なんていくら書いてもだれもそう思わないくらいいつのまにかかなりの人数を掲載してしまいました、知らず知らずのうちにねー、なんでだろー(笑)

巨乳タレントはいくらでも他に出ているのになぜか女性アナウンサーのお胸に惹かれてしまう理由はアナウンサーがタレントではなく「テレビに出ているが一般人」というところを持っているところだからかもしれません、だからより会社員的な性質が強いNHKのアナをついキャプってしまうのでしょうね。

お気に入りに追加

ってIEユーザーしかわかんない表題か。ネスケは「ブックマークの追加」ですね。見えそうで見えない位置でずーっと凝視しなくてはいけないというところがまたいいのかも(笑)

(注)将棋女流初段の本田小百合さんです、最近「名前くらいは書いておいてくれよ」というお便りをよくいただきますので一応。

MY巨乳史特集5、作成後記

しかしさすがに時間だけはかかりました。最初はありきたりに今の子の胸はこのころと比べてずいぶん変わったな、などとと思っていたのですが今回かなりの数の60年代~70年代初頭のおっぱいをゆっくり見る機会を得てむしろ今の日本の女性と本質的に変わらないところのほうがよくわかるようになってきたというところです。しかしこの青山ミチさんのおっぱいとの再会はほんとにうれしかったですね。この胸で真っ先に気づくのはそのブラのバンドの位置の高さでしょう。まるで田端義男のギターのようというか普通は肩胛骨の下あたりにくるバンドが腋のすぐ下にありますからね。こんな高いところについているおわん型のおっぱいはかなり異質かもしれません。

さて、次に下の写真の子、なにげなく見ると今の写真とまったく変わりなく見過ごしてしまいますよね、しかしこの写真も70年代半ばの竹村令子さんという読者モデルさんなんですよ、けっこう驚きでしょう。

あわせて読みたい
MY巨乳史特集5「MY巨乳史ゼロ 追憶のルーツへの旅 前編」 前 編 とある日の小学校からの帰り道、淡い夕方の明るさの中、歩道の向こうから歩いてくる女性。 学生だったのか、主婦だったのかOLであったのか、それはもうわからな...

変化の源流

2000年ごろから目立つようになるそれまでとはやや異なるタイプの日本女性のおっぱい、欧米女性とも違うしかしかつての日本女性のデカパイとも違ってきている、そんな胸がいつごろから見られるようになったのだろう、と思っていたところこの田中さんの写真が目についた。後の小池栄子さんでも見られる左右の乳房の間の隙間にも秘密がありそうである。

消息発見

オーディションのころちょっと何かで見かけてそれから頭の隅で気になっていたのだが偶然旅行パンフで発見した美怜さん、世の中の出版という大河で流れゆく膨大な写真の中で自分の気になるものをお箸ですくいあげるような、そんな地味な作業がこのページの原点なんですよね。

群雄割拠の時代を制するのは

最初のころ私は松金さんがイエローキャブであったらもっと効果的にメディアに露出するのにとありきたりの感想を抱いていたのだが、その後むしろ彼女がイエローキャブでないことがシーンを面白くしているのだと考え直すようになってきた。

何重にもはりめぐらされたイエローキャブ巨乳アイドルによる包囲網の中、まるで強大な虎の穴にただ一人立ち向かうタイガーマスクのような勢いと迫力を松金さんは感じさせた。果たして彼女は熾烈なグラビア競争の中でわずかな差をきちんと嗅ぎ分けることができる巨乳マニアの心をつかみ、今彼女への賛美は頂点へと達した。これほどテレビにも雑誌にも「出ない」で巨乳グラビアなどに興味の無い人たちの間では名前さえさほど知られていないであろう状態でそのビデオ、写真集の売り上げを延ばしていることについて密かに野田社長は悔しい思いを抱いているかもしれない。たとえ2位以下すべてを独占したとしても1位を他の事務所の子にとられることはこの世界での覇者を自負する者としては屈辱に違いない。とはいうもののそこはさすが巨乳虎の穴、イエローキャブだけのことはあり持ち弾の多さは底知れない。

これを書いている2002年5月にはついに対松金用とも言える最強の刺客、根本はるみさんを戦いのリングへと送りこんできた。すでに寝返るマニアも出てきているようだがこの先の展開はまだまだ不透明である。イエローキャブはすでに芸能界で大きな力を持つ事務所となっているゆえの弱点も持っている。商業的成功とマニアの世界でカルト的支持を得ることとは必ずしも一致しないのである。松金ちゃんはおそらくこれからも急激に一般タレント化していく可能性は低いものと考えられ、まだまだそのボディーだけを頼りに孤軍奮闘しなくてはならないと思われる。それゆえ彼女の絶妙なバランスを誇るボディーは芸能史で語られることはないかもしれないがしかし多くのマニアの心に松金洋子の名は永遠に刻まれ、何年たった後にも伝説として語られる存在となることは間違いないであろう。

いただいた素敵なレタッチ画像ですが、しばし掲載を停止いたします。

このところの拾遺

あーまたやっちゃった、っていう感じですが島津アナ。しっかりした横厚がいいですねえ

あとこのカメラテスト中は平井さん、最初に登場したときのものです。昨夜もリクエストコーナーで登場していましたね。私はどちらかと言えばぽちゃ爆さんに包まれたい願望のほうが圧倒的に強い人間なのですがこの平井さんを見たときに珍しく「あーソファーに押し倒して胸をくちゃくちゃに揉みしだいてみたいなあ」なんて攻撃願望のほうが目覚めたような気がしました。スレンダーな巨乳さんにこのような気持ちをいだくのは私としてはめったにないことです。ある感情を呼び起こす要素っていうのは実に微妙でつかみようのないものなんですね。

このような胸を持っていたらやっぱり男性などいくらでも寄ってきてちやほやしてくれるだろうし自分でもこれが男性を操る武器になることもよく自覚しているだろうからわがままでしゃらくさい性格になってゆくのも理解できるような気もするけどそうでない人もいるのだろうから「わがまま」というのは必ずしもすべて回りのせいで醸成されていく、というわけでもない気がするし、、結局はあたくしは経験無いからわかりません。あーつまんねー結論(笑)

どうも毎日ちょっとずつたまっていく画像が増えすぎて整理ができなくなっています。おかげで自分でキャプりながら誰なのやら何からとったのか忘れてしまってるんですけどまあ事前情報が無い分さらで見れていいんでは、なんて思ったりもして。

ご妊娠されているということも要因かもしれませんが暖かそうな温度感まで感じられる素敵なおっぱいです。

二の腕を見たいですねえ。第3ボタン下の隙間がいいんですよねえ

コメント

コメントする

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)

目次