巨乳を考える日々の讒言 その14

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小さな一期一会

これまで雑誌そのものをとっていおけないシチュエーションに遭遇しとるものとりあえずという感じでいくぶんの写真を切り抜いておいたものがいくつかあるのだがそれが何の雑誌で何という人なのかまったく思い出せないものがある。

しかしそれはそれでかまわないのかもしれない、知ってしまえばああ、そうか、で済んでしまうことであるがしかし知ったとてどうなるというものでもない。街を歩いていて好みの胸の女性とすれ違い心を奪われるようにこの子とはある日私の部屋で出会い、そして時代の向こうに歩き去っただけなのである。

このアンバランスな状況から

もうこのことを感じ初めてからかなりの時間がたつ。グラビアにもビデオにも風俗にも今は豊かな胸の女性が百花繚乱あふれていて街をあるけば豊かな胸の女性たちが次々と行き交う。しかも一般人と芸能人の垣根は低く境界は曖昧になっており一般人のようなタレントのような人までもがテレビにしばしば顔を出している。

なのに、、、、、、かつてのようにそれらのメディアのおっぱいが実物の代償行為として機能してくれないように感じられるのだ。これは私などのような年齢に特有な現象なのだろうか。あるいは私のみの個人的な問題なのだろうか。確かにかつて自分が若い日に多くのグラビアは私にとって生身へ触れることへの代償になっていた、とずっと思い続けていたのだが実はこれを「代償」と呼ぶことは実は間違いであったのかもしれない。

グラビアは実はグラビアのみで完結した存在であって生身へのあこがれは別に存在し、グラビアはその心理を埋め合わせなどしないのではないだろうか、というのがこのごろの思いなのである。とはいうもののときおり気に入ったAVなどを見ると美しいグラビア以上の満足感が得られることがあり、決まってそのAVに出演している女優はさして美人でもなく、スタイルが良いわけでもない。つまり「絶対にグラビアアイドルやレースクイーンなどにはなれない人」なのである。となると結局代償は現実へのシミュレーションができる程度ということになる。

若い日は美しいグラビアアイドルから自らの欲望を満たす柔軟性があるのかもしれないが自分はすでにそれが失われていてるのかもしれない。これは無理目をあきらめて手の届きそうなものにしか反応しない、という意味ではない。20歳くらいの子などどんな容姿であっても自分には無理でありもう現実の問題になどならないことをよくわかっており、だからこそ街でそのくらいの年齢の好みの子を見るのは拷問のごときつらさである。だからグラビアに美しさは感じても自分のもっとどろどろした欲望とはもう切り離されている、ということは自分の本当に好きなものがはっきりしたからだ、ということも言えるのかもしれない。

ほんの戯れ言でございます

スーパーで形のいいメロン(250円)を買ってきました。

しげしげと眺めてうーんちょうど手におさまったおっぱいの感じこんなふうかなあ、、、などとなんと淋しい人でしょね(笑)さっそく75Gカップをかぶせるとちょうどいい感じじゃないですかね。次に85IカップをかぶせるとさすがはIカップ、ゆるゆるです。てなわけでメロンという形容はGカップくらいを指すことにしよう。

祝日本W杯一次リーグトップ

この見出しでどのような画像が出るかすぐにわかった方はもうかなりこのページを見こんでくださって居る方ですね。しかしこの巨乳な日々も14にまで来て初めて見にいらっしゃる方々は面倒なので最初のほうはとばして一番新しいコンテンツから見られるかもしれないので簡単に説明しておきますと、、ってなんだか変に照れくさいな、、、

あたくしどうもこの藤井アナのファンらしくてこの方のおっぱいが好きなんです。ひところよりちょっと縮小化させてしまった感じですけど今日は予選リーグ1位突破というご祝儀でまあるいおっぱいをまたちらっと見せてくださいましたですね。

拾遺

どうも出所不明の画像がやたらと増えてしまって誤っていただいた画像を転載してしまうことにならないよう気を遣ってしまいますね。

外国サイトと日本サイトでは言葉の壁があって日本から外国サイトへのアクセスはたくさんあってもまだまだ外国サイトから日本の個人サイトへのアクセスは少ないようでおかげでみんな拾い画像を掲載してもまずクレームもつかずに済んでいるようです。しかしこんなブラはいくら外国でも売ってるんでしょうかね。それとも特注品なんでしょうか。

「手にまったく入りきりらない胸でした」

という旦那さんのお話で妙にリアルな興奮がわいてしまいました。こういう服でこういう画像だとまったくわからなくなってしまうとこが辛いですがそれでもマニアのするどい嗅覚ならわかるのではと

よくあるたとえ

よくぽちゃ系出会いページを見ていて女性からの自己紹介に「森公美子さんタイプ」と書かれているがこれはもちろん胸込みでの話なんでしょうねえ。胸関係無しでぽちゃが好き、という方はかまわないのでしょうけど私のように胸あってこそのぽちゃという場合、胸はなくて他全部が森さん、なんてーのは、、、、、、、、、ですから

乳頭観序説

さて、ドキッチ選手の乳首ポッチ写真が出たところでずっと以前より考えていたことを書くことにしよう。

ほかでもない乳頭ぽっちに対する感覚の違いである。日本の女性はこの乳頭が服の上に浮きだして見えることに対して驚くほどコンサーバティブな意識を持ち続けている。ハイレグボディコン華やかなりし頃もこれでもかとばかりに露出衣服を着ていたコギャルたちでさえこの最後の一線だけは守り通す、というか本能的に乳首を浮きださせることだけは嫌がってしない感覚が徹底しているのである。

これに対して西洋人は実にこのことに対して無頓着である。意識して見せているのでもない、ブラはしているがその素材も柔らかく、また乳頭の隆起力も強いので服まで浮き出すのだがこれを当たり前で特にはしたないこととは感じないのであろう。アメリカに住んでいたころも夏にはショッピングモールに来ているたくさんの主婦の胸のおそらく1/3以上が何事もないようにTシャツに乳頭を浮き出させていた。乳房そのものに関する見せ方がここまで日本と西洋で近似してきていながらも乳頭の扱いについてはこのような決定的な感覚の違いがそのまま残っているというのは面白い現象である。

この先果たして日本の女性も乳首ポチを平気に思う時代がくるかどうかは私が非常に興味を持っているところである。いずれ別のところでこの乳頭の形を露出させることに関する文化的背景を考えてみよう。

うん、いい二の腕です。

まる、まる、まる~!

おやー  まあ・・・素敵なマルですこと

あらあらあら・・・
      Iカップの水着が小さくて外へはじけてしまってますよ

おやあー まあ~ (#って他に言うことないのかっての)
注)一応名前だけ 奥山りんさん

20年の歳月

藤尚美さんは外伝で彼女がまだ日活ロマンへ入るより前の古いビデオからのキャプを載せたのだがもっときちんとしたものを載せておきましょう。

これはもう日活へ入ってからの写真です。すでに日活ロマンポルノも終末期を迎えていたころでこれほどの巨乳を誇る彼女もさほど爆発的に人気が出るということもなかった。というより何より今に比べてまだまだおっぱい依存症の男性の比率は少なかったということなのだろうか。

30Kgの真空地帯

普段私が街で目を引かれる巨乳さんとグラビア、AVアイドルの巨乳さんたちとのかい離についてここのところときどき考察しているところであるが今回かなりその原因が明確に見えてきたように思われる。

私が街で目をもっとも引かれる巨乳さんがどのようなタイプであるかを考えてみて気がついたのは、おそらく体重にすれば60Kgから90Kgくらいまでの、痩せてスタイルがよいとは言えない、すなわちグラビアモデル、レースクイーンそしてAV嬢などなどにはなりにくいタイプ、堅太り、ややぽちゃ、あるいはがっちりめのタイプに集中していることである。(しかも器量もさほど気にしない)

だから現在巷に巨乳雑誌がいくらあふれて次々と豊かな胸のモデル、グラビアアイドル、AV、風俗アイドルが登場してもそれらは私が街で引かれる人たちをまず絶対と言ってよいほどカバーしないのである。(風俗でいくらか見られるのみであろうか)しかしそれならぽちゃ系風俗雑誌にはいくらでもいるのじゃない?、と言われるかもしれないがところがそこともまたかなりのずれがある。ゆえに90Kgまでというような表現をしたのであるがポチャフェチが好む領域はここらあたりより激ポチャで少なくとも90Kgoverでなくてはならずそのマニアからすれば60、70Kgなどというあたりはまったく太っていない中途半端なところということでこれまた対象外となる。

したがってモデル、アイドルにもいない、ぽちゃ風俗にも少ないというこの30Kgの幅に入るプチぽちゃ巨乳さんたちが私にとっては理想型巨乳の宝庫であるにもかかわらず雑誌ビデオの世界でとりあげられない空白の領域になっている。そしてそれは常により現実的欲望となって押し寄せてくるのである。

注)イメージ写真

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