続麗子
171cmの長身に1m超の豊かなバストサイズ、当然すぐにフェヴァリットになるかと思いきやどうもいろいろ眺め回すもぴんとこない、というかなんだかよくできたアンドロイドかマネキンを見ているような、あるいは外人の写真を見ているような感じでなかなか生々しい感情がわいてこないのである。
しかしこのように完璧とも思える胸にも感じない場合があるという現象にもフェチがいかなる原体験によってフェチになったかをつきとめるきっかけも隠されていそうである。
(注 竹下奈々子さんとしてすでに掲載していますがあえてとりあげてみました
望月るあ
いわゆるお菓子系アイドルの雑誌の写真というのはいかにその子の胸をフィーチャーしているように見えても胸へのこだわりを感じることができず、必ず神経の行き着くところパンティーであり股間なのである。
もしかしてお菓子系アイドルを好むマニアは巨乳マニアより性的には成熟した大人なのだろうか。
早坂絵麻
あれからちょうど10年くらいになるのだな。ちょうどバブルが崩壊した90年代の初頭、出演数こそ少なかったものの高貴さとはかなさ、哀しさ、独特の雰囲気をただよわせた絵麻さんの美しく豊かな胸は多くの胸フェチ男性に強い記憶を残した。
この人も外伝の人ではないのだがこれから本編に入れるのもかえって申し訳けないような気になるのでここに置かせていただいた。何年ぶりかで絵麻さんの姿を見て私はある個人的な思い出がよみがえった。片思いというのは成就しないだけでなく終わりにすることさえ難しいもの、あるいはもしかして終わりのないものなのかもしれない。
大橋未歩 / 小倉弘子
下平さん以来久しぶりでアナウンサーを掲載するが、もちろん他にもいい胸のアナウンサーさんはたくさんいる。アナウンサーさんの胸がなぜ魅力的に映るかは彼女たちがタレントではないからというところが大きい。
だからあまりタレント化した民放の人気アナよりNHKのアナたちがごく普通のOLさんで胸の魅力的な人を発見したときの気持ちを茶の間で(という言い方も古いけど)再現してくれるのであろうか。
湯通堂 泉
1997年ごろ、あの伝説的巨乳少女木村さやかなどと共に爆乳倶楽部で活躍した子であるが一番地味だったのであまり覚えている方も少ないかもしれないですね。
松岡きっこ
今の若い人はバラエティー番組司会のおばさん、としてしか知らないのだろうけどかっこいいお姉さんだったんですよ。まだ体側よりずっと内側に収まる小ぶりのおっぱいではあるけど谷間と内胸が見えることがまだ少年だった私にはすごい刺激だったんです。
シリアポール
後にケン影岡氏の歴史に残る名乳房グラビアを出すことになるシリアがパンチパンチパンチの覆面DJとして初めて登場したころの写真である。私の中学時代は落合恵子さん、愛川欽也さん、そしてあのみのもんたさんなどが深夜のAMラジオのDJとして人気を博しており、深夜ラジオで私たちは世の中の新しい流行を得ていた。おかげで昼の授業は眠かったね。
そして時代が70年代に入ると音楽はAMでなくFM放送で聴く時代となる。私は洗練されたシリアのDJも好きだったが3枚目線のモコ(高橋もと子さん、右端)の話のほうが好きだったかな。
高橋レナ
この人あたりでも何の説明もなく「あ、この人ね」と思い出せるような方がいたらもうあたくしは弟子にしてください、とお願いしたいところですがけっこういろいろな音楽番組でなにげなく後ろのほうですごい胸の女性がエレクトーン演奏しているところを見ているはずなのでデジャヴを起こす方はいらっしゃるかもしれません。
もし他の写真も所持していらっしゃる方がいたら是非是非ご投稿をお願いしたいですね。
リラシニヨレ
60年代の終わり頃、まだ日本人モデルだけではグラビアをまかないきれなかった時代には私たちは今よりも当たり前に外人モデルのグラビアを見ていたのかもしれない。今は外人の雑誌と日本人の雑誌ではっきり分かれているのが当たり前だがこの当時は混在しているのが普通だったのである。
欧米雑誌からならそれこそお金を払えばいくらでも写真をひいてくることはできたのかもしれないが雑誌社は外国人グラビアを載せるにあたりそのころの日本の男の子たちの趣味を相当に考慮しながら選択していたのかもしれない。
私もご多分にもれずちょっとおっかない感じの欧米女性よりかわいくてしかしそのころの日本人ではまず追いつけないすばらしいボインの子が好きで毎日机の引き出しに切り抜きを入れて眺めていたものです。
三笠れい子
バスト103cmはこのころどういう測定方法なのかはわからないがしかし素晴らしい胸である。カラーのグラビアも見たような気がするのだが見つけださせないでいるので控えめな写真ではあるけど何とか想像してみてください。
リリイ
そう、私は泣いていますベッドの上で、で一躍その名を広く知られることとなるリリイ(このころはまだ本名でクレジットされています)さん、なかなかいいおっぱいだったのですよねえ。
小畑ミキ
まさか2000年に入って再び若い人たちがアコースティックギターを持って道ばたで弾き語りをすることになろうとは時代のサイクルとはげに不思議なものであるという思いだが60年代の終わりごろのフォークの時代にはギターが小道具になっているグラビアは非常に多い。
私も30年以上の年代物をまだ持っていますけどね。しかしビキニの女性の思い出を持ってくることができなかったのは残念です。モーリス持てばスーパースターも夢じゃない、、、ハズだったのですけどね。
西条なみ
美しい、美しかったほんとうに。こんな姉さんに初めての体験をさせてもらったらなあ、などと思ったものです。
片桐夕子
30余年のすれ違いの後やっと私は夕子さんのおっぱいに出会った。当時私は夕子さんのことを嫌いではないもののなぜか胸に反応しなかった、大きいけどちょっと趣味が、というのではなくさほど大きいとも思っていなかったようである。
しかし年月が過ぎても自分の心の中のどこかに必ずこの人は存在していてロマンポルノという単語の背景写真は絶対に片桐夕子さん以外はありえなかった。
まるでそれは身近すぎて意識することを忘れている家族のような存在のごとく。
コメント
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はじめまして。いつも拝見させていただいております。私の乏しい知識ですが、「西条なみ」さんは「渡辺やよい」さんではないでしょうか?