最後に見るもの
以前ページ内で書いたことがあるが映画「マルサの女」で出てくる病院で看護婦さんの胸を吸って死んで財産をとられる老人。私はことあるごとにその老人のことを思い出す。このおじいさんは幸せだなあ、、死んだ後財産をとられることなど死ぬ前までおっぱいに触れていられる幸せに比べて何ほどのことがあろうか。
きっと自分も女性の胸のことしか考えられないまま逝くに違いない。そのとき近くで最期の手当をほどこしてくれている看護婦さんの胸、あるいはつきそいのおばさんの胸がこの世界で見る最期の光景になるのだろうか、そしてその瞬間にもついにそれは自分の手に届かないわずか先にあり続けるのであろうか。
「ぽちゃ巨乳好き」と「ぽちゃ好き」は違います
好きなものと嫌いなものが対極的位置にあることももちろんざらなことであるがけっこう似たものである場合も多いものである。緑青は好きだが青緑は嫌い、とそこまで近くはなくともいわば「紙一重」なのである。
ぽちゃ巨好きがぽちゃな巨乳さんを好きな理由はあくまで巨乳だからであって巨乳ではないがぽちゃだからやや好き、というわけにはいかない、それどころか巨乳でないぽちゃさんは大嫌いであったりする場合もある。ぽちゃな人は脂肪がたくさんたまっているのでその分いくぶんは胸も大きくなりやすいという利点はあるがやはりよく見ると巨乳になる素質が元からあるのか単にぽちゃになったためにいくぶん巨乳になっているのか、は明らかに区別ができるものである。そんなところまで考えて見てなんかいないよ、と言う人もいるかもしれないが別に意識して考えなくとも感覚のほうが自然に選別してくれるものである。
いまもって不思議なのだが「研究報告」で触れているがブラの容積の設計は「等比」ではなく「等差」が基本になっている、わかりやすく言い換えるとアンダーバストに対して何%のトップバストのとき何カップ、という決め方ではなく単に何cmの差があるかで分けているから本来はアンダーバストの数値が小さい、すなわち痩せた人のほうがアンダーバストの数値の大きい人よりも同じカップサイズならば相対的に胸は大きく見えてしかるべきなのになぜか実際の感覚はこの理屈には合っていず、逆に痩せた人のEカップより太った人のEカップのほうが豊かに見えることのほうが多いのである。だから痩せた女性に対してはGカップくらいないとどうも物足りなさを拭いされないのがぽちゃな人だとEカップくらいでけっこう許容できてしまったりするわけである。
そんなわけでぽちゃな人のほうが当たりに出会う確率は高くなるためはたから見るとぽちゃなら誰でもOKなんだろう、という誤解を与えがちになってしまうのではなかろうか。しかし再度くりかえしますがそうではないんですねえ。胸の存在感というのは微妙であるようでしかししっかりとあるなしの線引きがなされるもんなんです。

最低を自覚して生きること
女性が運営するおっぱいサイトはほぼ100%自分を素材としているものであり、例えば豊乳アイドルの水着写真を展示するサイトを女性が行っていることはまずほとんど無いと思われる(もちろん世の中にゼロということは無いのであるが)。
女性にとって胸は大きい場合小さい場合の両方でコンプレックスの原因となっているがしかしいくら女性の側からの胸に関する思い、考え方を真剣に聞いても 100%その女性の心情を理解できるかと言えばおそらく絶対に無理なのであろう。だから現実には理論的意図的な思いやりやマナーといったものがどうしても必要となってくる。
もっとも私自身のことを考えるとおそらくは飲み会などで胸の大きな女性を前にしたとしてそのことは死んでも口にはできないし意識してそれを見ないようにさえするであろうしそのような心の苦労は鬱陶しいのでその人まるごと自分から遠ざけてしまうかもしれない、これはもう自分が胸に惹かれてしまうことを過剰に隠蔽しようとするあまりの自己葛藤の反応であり思いやりでもなんでもないのではあるが少なくともその場での失礼だけは避けられるしセクハラのような発言や言動を行わずに済む。
そしてその結果として表面上は紳士的態度に見えるわけだし。しかしその後さいなまれるひどい自己嫌悪が嫌でだんだんそんな会にも出ないようになって年月が流れいつしか出たくても出られないし第一誘ってももらえない年齢になってしまった。なんの屈託もなく明るくあっさりと「XXちゃん胸大きいよねえ」などとその女性に雑談し話しかけても嫌がられることもない男性の姿を見ては限りない羨望と供に自分はまったく違う世界にいるのだなということを改めて再認識する。
テレビや雑誌などで女性が相手の男性から「胸が小さい人はだめなんだ」と言われひどく傷ついたというような告白文を見ると私はまずそのようなことを面と向かって言うことができる男性の性格のほうを理解することができないために話題そのものに現実感が伴ってこない。同様にネットでときどき見かける「昨日デカい胸の子をナンパしてホテルでいただいて云々」という書き込みを見ても好き嫌い以前にまるで本当に世の中で起こっている出来事という気すらせずこれまた理解ができないのである。そんなときにはひどい悪態をつくに限る。しかしそれもまた辛いことであるかもしれない。悪態をつく相手は必ず自分自身になっていくからね。

思い出した話し
中学の時、初めて好きになったクラスの女の子は間違いなくぴか一のかわいらしさであった。これは今でもその当時の写真を持っているので錯覚や思い込みではないことは説明できる。
中学卒業後その子は女子大付属高校へ進み自分は反対方向に行く電車で通学することになり電車で会うというチャンスもなくなった。こんな書き方をすると電車で会うことができたらなんとかすることができた、ように受け取られてしまうがもし電車がいっしょになっても学校が同じであってもさらに果てしなく深い片思いの世界に沈んでいっただけのことであろう。
とまあ今日はそういうことを書こうというのではない。思い出すとその最初の恋愛対象であるその子だけが巨乳ではなかったのである、という不思議な事実である。それどころか分類するなら相当に微乳のほうに属するであろう。このことから推測できるのは自分のこの恋愛は極めて性的意識の薄いエッチどころかキスすら思い浮かべることのない純愛であったらしい。今かろうじて思い出すことができるそのころの気持ちの化石となったクラスターを拾い集めてみてもエッチはまったく出てこない。また「思い出すだけで胸がきゅっとなる」感覚をかすかに思い出すことができる。もうきゅっとなりすぎてよくひとりで夕焼けを見ながら涙が出てきたりしたし夜空を見上げては祈るようなことがあった。「みっともない」という点だけにおいては今もそのころも変わりないと言える。
一度母がその子のことをたまに商店街やバスで見かけたようで「すごくかわいい顔の子がいるね。その子バカでしょう」と言ったことがあり、前半で思わず自分の心を見透かされたようでどきっとし、後半ではひどくむかついて腹がたった。親の言動というのがどれだけ意外なところで子供に大きな影響を与えているか注意しなくてはならないかの見本例であろう。
当り前のように彼女と気楽に話しをしている男子生徒にも言いようのない嫉妬と羨望と腹立ちの入り混じった気持ちで、しかし卒業までの約1年半の片思いの間、あれこれとひそかにアンテナだけは張っていろいろなうわさ話しに注意していたが彼女がだれかとつきあっているという話しはついぞ聞くことはなかった。今、客観的に考えたらまさにだれもが手をつけていない宝石を目の前にして何もしなかったに等しいのである。しかし今、そのように自分の失敗を分析できる自分がその場にタイムスリップして彼女の前に出ることができたとしてもやはり自分は何も言うことはできないだろう。
ロボコップという映画があるがロボコップはそれを作った会社のプログラムによりその会社の役員だけは攻撃することができないようになっている。私の場合は「好きになった人」にだけは絶対に行動を起こせないプログラムが体内に内蔵されているようだ。当時自分がその子とは絶対につきあってなんかもらえない、と一人で果てしない大きさにまで膨れ上らせていたコンプレックスは何だったのだろうか、性的コンプレックスではなかった。元より性的なことが抜け落ちている純粋な恋愛であったからその必要もなかったのであるが、勉強も運動もことさら卑屈になることはない程度にやることができていた自分のそのころのコンプレックスとは何だったのか、、、これが今となると思い出せないのである。
かなり間接的推察ではあるが、彼女が他の女の子たちと話しているのを聞いたとき自分は彼女が自分の知らないもっと大人びた世界にいて自分はたとえデートをしたとしても彼女を喜ばせてあげられるような遊び方も知らないし、そのような計画はたてらないだろう、そんなことを思ったような気がする。人間腰が引けて、ものおじさえすればなんだってやれなくなるものである。そしてやれない正当な理由などいくらでも作ることができる。
自分が好みの女性の前で自分のコンプレックスのバリヤーによって自分を一瞬のうちに覆い隠し一切の行動を止めるプログラムは今でも完璧に作動している。実に素晴しいプログラムである。その子とは大学になってからクラス会で一度だけ会った。横浜駅近くの飲み屋でやって近くに彼女が座ったためたまらなく息苦しい時を過ごすこととなった。初恋の人とは会うべからず、とかいう言葉があってそれはどうもがっかりするから、というほうの意味らしいのだがその子は大学になってますます美しくなっていた。しかしそのときも彼女はとくに今彼氏はいない、と言っていたのだから自分はそこでもまた生涯に数回しかないような大きいチャンスを逃したのであろう。高校になったとき好きになった子は女子クラスの子でロケットおっぱいというあだ名で呼ばれるほどの巨乳ちゃんであった(当時そういう単語はなかったが)。それ以降は自分はその点で道を外したことは一度もないし片思いしかしないという道もしっかり守っている。

閑話休題
1ヶ月に1回くらいであるがとてもラーメンが食べたい夜がある。
いつも決まった店で頼むものも決まっていてそれはコーンともやしがたくさん乗ったミソラーメンと餃子でそれ以外は食べたいと思わない。ミソラーメンには酢をだぼだぼにかけてほとんど酢ミソにしてしまう。そして生ビールをゆっくり飲みタバコをくゆらせながらなんとなくあれこれ思いをめぐらせたりしているのであるがその店は私が行くような時間にはがらがらに空いていて他に客がいても一人か二人くらいのものである。
店の経営はそんな状態では大変なのだろうが私にはこのような雰囲気がとても居心地がよい。大きなおっぱいの彼女さんが金のかかるレストランではなくこんなところでいっしょにゆっくりしてくれる人であったらな、と思うもののたとえ彼女さんができてもやはり一人で来たいなとも思う。これは必ずしも誰しもがそうではないのであろう。いつでも誰かといっしょにいたい人もいればみんなと大勢でずっといるのが好きな人もいるのかもしれないが私は無理そうである。
自分がこの歳になって自覚するようになった自分の性質は思えば遠い昔の子供時代にもほとんどのことは思い当たるものである。またいつものように思いうかべること、、望むものが手に入ることなどあるのだろうか。いやそれは違う。自分はもうとっくにわかっているはず。手にはいらないままの自分のであることを望んで果たしてその望みがかなっているだけなのだと。

近親憎悪
夜もかなり遅い電車の中でのことであった。昔は終電車はがらがらというイメージがあったのだが今は遅い電車になるほど混んでいる。その日もやはり社内は隣の人とは触れなくてはいられないくらいの混み具合であった。
ある駅で乗り込んできたその中年の男、というより中年と初老の間くらいというほうが適当だろうか。汚れたよれたスーツで靴はスニーカー、いかにも安物の大きなスポーツバッグを肩にかけていたがその汚なさゆえ近くの乗客はみななんとかその男性には触れないようにとよけている。そんな回りのことがわかるのかなおさらその男性は大きなバッグを他の乗客にぶつけながらがさつに社内の奥のほうへ歩いてゆく。
つい最近ホームレスの仲間入りをしたがまだかろうじて電車に乗ることができるというような様相である。いくつかの駅を経ると少しずつ乗客が降りて車内は空いてきた、その男性から2mくらい離れたところに立っていた若い二人の女性のうち一人に携帯がかかってきたようでその女性がバッグから携帯を取り出して話しはじめた。その様子を嫌な表情で男性は眺めていたがじきに電車が駅についたとたん「電車ん中で電話かけんじゃねーよばかやろー」と大きな声で女性に怒鳴り降りるのかと思いきやそうではなくまたスポーツバッグを肩にかけなおし隣の車両へと歩き去った。
車内でその女性が携帯をかけていたというマナー違反がその発端なのだがそんなことなどまったく問題にならないほど回りの雰囲気はその男性のほうへの嫌悪感だけがただよった。携帯をかけていた女性と連れの二人組は何だあれ、という表情で男性が去ったあとを見ていたが「私たちみたいな若い女の子のことをきっと嫌いなのよねきっと」と話しだした。
私はそれを聞きながら何か同意できないものを感じたがそれはとりもなおさずその男性のほうに何かしら共感する部分があったからなのかもしれない、共感ではなくむしろ自分に近い部分というほうが適当かもしれない。それは自分でも認めたくない嫌な親近感であったがしかしもし自分がその二人の女性と立ち去った汚らしいおやじとどちらに近い人間なのかと考えたら後者のほうにはるかに近似した存在なのであろう。だから本当は好きだったのだろうな、もとはそういう女の子のこと。こんなふうに考え得る限り最悪の方法でしか憧れさえも表せなくなっていくように自分もきっとなっていくに違いないのだ。

生業としてのグラビアモデル
日本においてはグラビアの仕事やグラビア写真はそれなりに価値が認められてはいるもののずっと続ける、あるいは続けられる仕事とはみなされていないようである。
あくまで歌手、俳優など他のタレント業につくための糸口的な仕事としてしか受け取られていない、あるいは行う本人たちにとっても自分が若い時代の姿を残すためのメモリアル程度に考えられているようである。だからグラビアを出してもその後タレントとして成功しなかった人はすべてあだ花的な評価をされてしまうのであるが私はグラビアはそのもので完結したものと考えているほうなのであまりそのような評しかたは好きではない。
このようなグラビアを軽んじる考え方は70年代初期の雑誌グラビア興隆の頃よりすでにあったのであるがあまりにタレントとしての成功のほうを重要視しすぎる余りグラビアそのものが残していく大きな業績を評価しないという風潮の犠牲になった人は多い。確かに何十年もの間毎月雑誌にグラビアを載せ続けるなどということは事実上不可能であり生活をしていくための仕事は別に持たざるをえないということは確かであるが、しかし意識として自分はいくつになってもグラビアモデルであるという誇りを持ってその歳なりの魅力を提供し続けられるという人が出てきてくれたらいいのになあ、といつも思うし実際それができそうな女性も何人かいるのであるが。
その点面白いものでアメリカの場合70年代にプレイメイトとしてセンターフォールドデビューをした女性が50代になろうという今でもそのグラビアを提供し続けている例がいくつもあり、このジャネットなどもそのような人の例でしょうか。そのためにはもちろん本人の体型維持のための不断の努力も必要なのでなまやさしい仕事ではないのであるが雑誌も次々出てくる若い子ばかりのグラビアではなくそのようなベテラングラビアモデルをもっとたくさん掲載してくれるものが現れてもよいのでは、と願っているところです。

一人の時間・・・

やっとTシャツのお姿、見せてくださってとてもうれしいです、多英たん。その広い肩に後から手を回してかけて、きっと張りのある谷間に思いきり顔を埋めてみる、ゆっくりとあなたが呼吸をするたびに前後にゆりかごのように揺られるのを感じられたら。なんて、、
あ、なんということ、ごめんなさいこんなひどい妄想をしてしまって。
ううう、むずむず
なんて言ったらいいのだろう。唇が荒れたので皮をむいたら皮膚が切れて血が出てきてしまったその傷口を見るような感じ?音で言えば昔小学校でよくやったように黒板を爪でキイイイイとひっかくのを聞かされる感じ?
母乳が出る孔は普通はもちろん閉じていますよねえ。見てもどこが孔かはわかりませんよねえ。なのにまいまいの乳頭はなんということ、、、、、、なんか触ると痛そうで悪いような気がして、でもちょっと吸ったらもしかしたら乳白色の液体が滲み出てきてくれるような。

久々のがんばれ熟女巨乳

何という雑誌だったのか忘れてしまったのだが(音楽雑誌のはず)昔八代さんがアメリカンセックスシンボルと呼ばれたドリーパートンと左右ページでそれぞれ横姿で載っていたものがあり、八代さんはドリーにも見劣りしないくらいの立派な胸を地面と水平に前に突き出していた。いくぶん衣装による強調はあったのかもしれないがやはり演歌にはいい乳材が多いなあなどと思ったものです。

この好みだけはもうどうしようもないですね。脇の下から腕を回して顔をその胸に埋めるときそれを抱きこんでくれる二の腕のやわらかさもまたたまらない憧れです。
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