MY巨乳史外伝17

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遠野奈津子

遠野奈津子a 遠野奈津子b

その日は仕事でつきあいのあった人が招待をしてくれて都内の華やかなクラブでその人が馴染みにしていた女性といっしょに飲みにいったのだが、その女性はちょっと田舎の野暮ったさの残る地味な器量、そしてあふれ落ちそうな豊かな胸をしていた。

カラオケで歌う歌が都心の華やかな店で仕事をしている子にしては不釣り合いに下手でそれがまたかえって近づき易い親しみを作り出していたはずなのに、、したたかに飲んで残りわずかなお金を豪勢に一人で乗るタクシーに使ってしまった。 別にいいんだ、これで。

川を越えてしまえば都会のことはみんな他人事、しばし森や空き地だけが続く国道を走ると慣れた街のささやかな灯りが見えてくる。今日一番よかったことと言えば自分の気持ちを気づかれずに済んだことなのか、、

 

渡辺里緒菜

渡辺里緒菜a 渡辺里緒菜b

なぜあの胸はあんなに弾んで揺れているんだろう、、 しばし私は立ち止まり今その子が通りすぎた後ろ姿が小さくなっていくのをぼんやり眺め心の中でつぶやいた。

若かったらなあ、、もちろんその言葉の無意味さは自分でも充分わかっている。若くても無為に時は過ぎるもの、実際そうであったのだし。しかしそれでも最低限の何かの「理由」を求めるように私はそのみじめすぎる思いを歳のせいにしようとする。

その胸の手ざわりは思い描くよりきっとがさつでところどころにできものや傷があるのかもしれないけどそれさえもまるで若さを誇示するように鮮やかに赤いのである。

 

若林奈美子

若林奈美子

98年ごろから突如洪水のように始まった巨乳ブームのおかげでせっかくいろいろな味のあるおっぱいの女性がゆっくりと観賞することもできないままになってしまっているのは残念なことである。

私がこの子が気になってしかたないのもきっと何か個人的な記憶とリンクするところがあるからなのに違いないがこのようなことがアイドル(偶像)と日常との接点の一つなのではなかろうか。

 

マリリン

マリリン

1986年、アイドルグラビアから豊乳な子がほとんど姿を消していたころしかしAVや風俗においてはF、Gレベルの巨乳ムーブメントが着実に進行していた。80年代の巨乳風俗の象徴的な店が吉原のD-cupコレクションであり当時はバチェラー誌でもこのころ毎号必ずこの店の子を紹介していた。

写真でトップバスト計測中のマリリンさんについても今でもその思い出を語る方が多くいらっしゃるようです。

 

ダイアン

(すみません、名前の記憶が不確実です)

ダイアン (すみません、名前の記憶が不確実です)a ダイアン (すみません、名前の記憶が不確実です)b

60年代の雑誌のグラマーフォトは外人モデルの写真無しでは成り立たなかったし実際当時の男性が求めていたグラマーフォトはまだ日本人女性ではなかなか満足できるレベルの人が少なかったのであるが今当時の外人女性の胸を見るとほどよくかわいくほどよく大きい、ちょうど2000年ごろの日本女性の胸を見るときととても似た気持ちで見ることができるものが多い。

私ももっとがんばって切り抜きをとっておけばとは思うものの金のない中学生ではこの程度がやっとでありました。のちに外人巨乳は巨大な釣り鐘型あるいは水風船型一色になったがそこに至る前のこのようなお椀型もよいなあと感じています。

 

岡みちる

岡みちる

GOROとほぼ同時期に創刊されたドンドンはGOROよりは明らかにB級の雑誌だったと思われるが私はけっこう気に入ってよく買っていた。なにやらいいかげんに題名つけたようなグラビアが巻末のほうに載っていたりしてね。

 

滝清子

滝清子a 滝清子b

60年代のグラマーさんはOSKのようなダンス出身の人が多く、その傾向は70年代の初頭まで続いたようである。どうも私は松竹にしろ何にしろこのあたりの知識がとぼしく小さいころ「東京おどり」とかいう吊り広告を見て「???」と思っていたものである。

東京音頭なら知ってるけどなあ、そうそうこの東京音頭も決してヤクルトの応援歌じゃなかったんですよね。とまあ今回は脱線しまくりですが。

 

杉本エマ / 真理アンヌ / 片瀬きよみ

杉本エマ 真理アンヌ 片瀬きよみ

60年代の末から70年代の半ばまでの時期のグラビアはハーフ、あるいはクォーターといった混血モデル、タレントの全盛時代である。

かたせ梨乃さんが登場した後もなお純粋な日本人ナイスバディーだけではまだまだ需要がまかなえなかったため引き続き混血モデルは多く登場したがそれ以前はもうほとんど混血女性無しでは成り立たないほどである。欧米人グラビアとは明らかに質が違うオリエンタルなおっぱいは親近感を感じやすくて今みてもとてもいいですね。

 

サマンサフォックス

サマンサフォックス

サマンサなら他にカラーでいくらでもいい画像はあるだろうになんでよりによってこのモノクロ写真をと思われるかたも多いかと思うが私の中ではサマンサの代表的な写真はこれなんです。

 

麻生れい子

麻生れい子

私はサントリーレッドは悪酔いしやすいという先入観、というか経験からくるトラウマがあってもっぱらトリスを飲んでいた。安いしね。先日久しぶりに飲んだらなんか味が薄いような感じがして今はもっぱらブラックニッカである。750円だから当時に比べて安いくらいだろう。

もちろんこんなおっぱいとこんなふうにいっしょに飲んだことはありません。退廃っていうのはどこまでいっても当たり前にしか生きられない人間には刺激と魅力あふれる世界ですな。

 

飯島みゆき

飯島みゆきa 飯島みゆきb

前への突き出しが無くて横からみるとほとんど巨乳さんとは思えないふわふわさん、でもすごい揺れるんです。このタイプはおっぱいだけではなくその周囲全体がいっしょになって魅力を出すものなのですね。

限りなく普通っぽいかわいらしさが好きだったなあ。

 

海津知香

海津知香

はい、また90年代ですね。ああ、しかし巨乳史、巨乳史外伝の掲載人物をすべて年代順に並べなおすという作業をあたくしの代わりにやってくれる人がいたらいいんですが(笑

もーぜんぜん苦手な感じな方ではあるんですけど、なんというかあまり近くでうろちょろしてほしくない小癪なおっぱいさんです。

 

エレインレイノルズ

注)今回画像はオリジナルスキャンではなく拾わせていただきました

エレインレイノルズ

サロン掲示板での書き込みでこの大事な方の存在を思い出して少々うろたえてしまった。50s特集のところに当然掲載しておいてしかるべき重要な存在である。私も文庫版のPLAYMATE一覧の本でよく見ていたのだがその名前を失念していたのである。

PLAYBOYのセンターフォールドの長い歴史上でもトップレベルの素晴らしい胸のエレインは1959年10月、まさに50年代の最後に登場しているところがまた象徴的と言えよう。60年代に泥沼のベトナム戦へとはいっていくアメリカにとっては50sが「古きよき時代」と言えその時代の最後に登場するまさに珠玉の50sバストである。

当時日本で実際に輸入された雑誌でこのグラビアを見た人の数はあまり多くないと思われるが見たときの衝撃はいかばかりのものだったろう。同時にアメリカの男性が持っている母性への憧れがうかがいしれるどこかほんわかした雰囲気をたたえる写真であることも感じとれたのではないだろうか。

 

さやか美季

さやか美季

だいたいおっぱいの出ている写真が猥褻だなんておっぱいに失礼だろうが、とよく昔から思ったものであるがしかしだから出しっぱなしでいいかといえばそういうことはないですね、と私も思います。

これが常に透けて見えていたりしたら男性も他のことが考えられなくなってしまうのでときどきのご褒美として隠しておきましょうね。そんなふうに思うのが一番いいのかしらね。

 

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