ファイナル Stage2「すべてをおっぱいのために」

「すべてをおっぱいのために」

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目次

2007年初春

2007年の最初の課題は年配女性の豊かな胸、いわゆる「おば巨」さん。若かりし頃の張りを失いはじめて扁平につぶれたふかふかの乳房のテイストを堪能してみよう、などと勝手な想像をしつつトップレスのページで前々よりあたりをつけていた熟女さんを予約した。

正月は初めてコンビニプレゼンツのおせち料理を食べた。母も暮れ三が日は一時退院で家に戻っていたのでできるだけ正月らしい正月にしておこうと思ったからである。 何年かにわたって母の持つ山の家で暮れ正月を過ごしたことがあった。まだチロも元気だったころだ。 黒豆も似たし酢蓮も作ったな。里芋の煮物ももちろんのこと。母は別に料理が得意なわけでも好きなわけでもないのだがそれでも母しか出すことができない味を作ることができる、いわゆる誰にでもある母の味、きっと自分にはこれに相当するような自分にしか合わないおっぱいがこの世に存在するように思えるのだが。

街は松飾りがとれ、また今年も普通の一年が始まっている。それにしてもあまりわくわくしないのはなぜだ、このところ特に気になりだしてはいたのだが、自分は別に出会った女性の乳房の特徴を書くためにこの最後の風俗巨乳さん詣を始めたわけではないのに妙に気持ちがライターの端くれにでもなったかのような業務モードになってしまっていることである。今日も結局この人に決定した理由は何か心にときめくものを感じたから、というわけでもないのだ。

しかしながら受付を済まして待ち合わせ場所に行こうとしたところでようやくそれっぽい気分にはなってきた。登場した女性AYさんは店の写真とはまったく違う印象であった。というかなんでお店の写真てどこもあーなんだろうね、あそこまで改ざんされていたらまるで参考にならないのではないか。結局これまたあてにならない数値スペックを使用せざるを得ないのであるがこれがまたいい加減ときているからね。

明るい感じのAYさんはさっそくホテルに入るといろいろと話しかけてくる。当然自分を指名してくるからにはおっぱい好きであるに違いないからそのくらいおっぱい好きなのかを確かめようとしているのだろう。どうもこういうときあまりこちらがマニアであるとすぐわかる受け答えをしないほうがいいんだろう、これが後に気がついてくることなのだがあまりおっぱいに造詣が深いようなしゃべりをしてしまうと話が当然そちらのほうに発展していってしまうから。

Ayさんの乳頭はぽちゃめ巨乳さんに多くみられがちな身体の内側へ巻き込むような位置にあるので正面からだと見えないくらい真下にいってしまっている。どの部分がどう成長するとこういう位置になっていってしまうのかなどをひとしきり話す。確かにそれはそれで自分も面白いのだけどね。それにしても最初の「おば巨さんの張りを失いはじめた垂れたおっぱい」の予想はどこかに消えうせてしまった。AYさんの胸のなんと固く張りがあることか。ちょっと固さがありすぎてやわらかい乳房を好む諸氏には範囲外になってしまうかもしれない。これだけのボリュームを維持しているだけでも丈夫さは必要であるがそこにきてあまり垂れていないわけだから。

しばらくの間ベッドで横になってAYさんの胸をいろいろな角度から持ち上げてみたり押してみたり、とまあありきたりなことをしているのだが、やはりエロチックな気持ちというものはどうしても出てこない。胸を触っているのは好きなのだがその後どうしたいんだろうか、このAYさんであれば自分はHしたい気持ちだって充分にわく容姿ではないかと思うであるが今日はそういうタイミングではないみたいだ。

少し疲れてきたのでうとうとしたい気持ちではあったのだがAYさんはしきりと話を続けてくるので結局最後までそれにつきあうことにした。もちろん彼女は途中なんどかHへもっていこうとしてくれたのではあるが、身体があまりよくないようなのでということで遠慮した。

満足できたような、まったくできなかったような、、不思議な気分で店を出る。なんかどこかやりかたが間違っているようだなあ、、

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ふと思い立って昨年1度指名してその後少々気になっていたYさんのところに行く。気になっていたなどと含みのある表現をしたのは、単に「気に入った、また会いたい」という気持ちとはちょっと違うからなのであるが、どう説明したらよいのであろうか。Yさんは若いが胸はかなり垂れきっていて形はも一般的な評価をすればかなりつらいところがあると思われるが私は彼女の胸がけっこう気に入った。昨年Yさんに会ったときはほとんどの時間を彼女の胸に顔をあてて眠って過ごした。ずいぶん良く寝てしまって体温がぽかぽかと上がってこれからまた着替えて長い電車に乗って帰るのがおそろしく鬱陶しくてたまらなかった。それほどに気持ちよい眠りだった。

今日も最初からまったくエッチなどしないことは二人とも暗黙の了解でベッドに入るとシーツの上に横たわって平たくなった乳房にしばし頬をよせてそのまま眠りにはいった。彼女もずいぶん疲れているようでやがて寝息をたてはじめた。じきに二人とも体温があがってぽかぽかと暑いくらいになってくる。妙な遊びかただね、でもこうしていたい、こんな過ごし方、嫌じゃないな。先日会ったAYさんとのことを思い出した。せっかくの見事な乳房を前にしてなんてつまらない時間を過ごしてしまったものであろうか。人と人の会話には流れがあって、必ずしもこちらが思い描くような雰囲気にもっていけないこともある。ちょっと最初に胸について話すぎてしまったのかもしれないな、そうなると相手の女性の話も取材を受けているような内容になってしまう。しかし自分が望んでいるのはそんなインタビュー時間などではない。客観的な観察だとか解析だとか、いつのまにかそういうことをしないといけないように思い込んでいたようだ。

そうだ、自分はおっぱいの「評論」などやりたくて風俗めぐりを始めたのではなかった。このところずっと気になっていたもやもやの正体がわかってきたぞ。だから絶対にそんな状態にならないのがわかっているYさんに会いたくなったのかもしれない。Yさんと過ごす一見無意な時間が気づかせてくれた。もしかして彼女にはこれからもまた会いに行きたくなる日がくるかもしれないな、、

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今年2回目の投薬のあと、体調が戻ったところで昨年後半よりずっと気になってしかたのなかった長身の巨乳女性の予約に成功した。すでに何度も予約にトライしながらもとることができずそのたびにますます執着が強くなり、しかし今回は思いがけずあっさりと予約ができたのでかえって驚いた。とは言え昨年も予約できたものの当日本人が体調不良で出勤できずキャンセルとなったこともあったからまだ安心はできない。1時間前の直前確認でOKを聞いてにわかに胸が高鳴った。これまでに一番期待と不安入り混じる思いであった。

ちなみに日本女性の場合まだまだ長身と巨乳は両立しにくい。長身巨乳を標榜するビデオもいくらかはあるものの本当に巨乳といえるかどうか疑問なところがある。長身巨乳というよりも大柄なプランパーさんであることがほとんどなのである。

その日は自分のお腹の痛さがすこしきていたのだがそんなことには負けていられない。自分もこの2年あまりでお店のHPや待合に掲げられている写真のいいかげんさ、ずるさはかなり見抜くことができるようになってきた、今回の待ちに待ったANさんもおそらくはHPの写真とは違うはずだが、、、さて果たして。

目の前に現れたANさんを見たときの自分の目は瞳孔が開きマンガで表せばおそらくハート型になっていたのではなかろうか、それくらい自分にとって好みの容姿の女性が突然目の前に現れてしまった。顔まで好みであることは予想できなかったものの自分の勘も捨てたものではないな。思わず、「すごい、、素敵な方です!」と口にするとANさんは少し照れた表情をうかべた。たくましい上半身に二の腕、胸はその体に比すと少し小さめに見えるがちょうどHカップ。このあたりはカメラマンアイを持つ人には今ひとつ物足りなく感じられるのかもしれないが私のように5cmの至近距離で感じる乳房と自分の関係が重要な者にとっては気になるものではない。

すでに風俗にいくらか慣れてきていたはずなのにまるで初めてのようにどぎまぎした。さらに驚いたことにすでにだめであろうと思っていた自分の下半身本能のほうがひどく騒がしくなってきている。

早く抱かれてみたい、、

こんな気持ちは初めてだ。添い寝して胸に顔をあててみてまたも少しおどろく。昨年のEちゃんが今までに最もハリ、弾力があったがANさんの弾力もすごい、相当強く押し当てても跳ね返される。その上密度が高く大きさのわりにとても重い。湯船で乳房が沈み気味であることからそうなのかなと思ったが比重はおそらく今までの女性で一番であろう。こちらが思っていることをANさんは気がついたようで

「胸硬いんですよねえ、筋肉がはいってるのかなあ」

ブラが壊れたことが2度あるというのも納得できる。このくらいの大きさでふわふわタイプだと顔を押し付けたときつぶれてしまって物足りなさを感じてしまうところであるがそのような不足感がない、谷間の広さもほどよくまた肋骨を感じることもない、自分の語彙の乏しさを露呈してしまうが素敵だという言葉しか出てこない。

ひとしきり胸に甘える、いつもならばそのまま最後までそうしているところであるが今日は下も萌えてしまってしかたがない。今の自分は下に関してはもうだめなのだろうと思っていたのだがどうもそうではないようだ、ただ極度に許容範囲が狭くなっているだけなのかもしれない、胸だけではなく、二の腕、太もも、抱き合ったときの肌の感触そのようなものがすべてミックスされてすでに自分でも忘れていた普通の欲情の気持ちが湧き上がっている。にわかに信じ難いもののこの人とならもしかして、、体の数箇所が痛い、しかし私の正面には私を救う肌が広がっている。広い胸、すべすべの乳房。これはきっと大丈夫だ、今日は作動する。快感と痛みの両方を感じながらさらに175cmを超えるANさんの上体にセミのようにしがみつく、そうだあの頃、中学に入ったころ私は上級生の背の高い女性がバレーボールを追って走る姿にあこがれていたのだった。ANさんはアスリートの体だ、そしてそれが私の中の「あの頃」を呼び起こす。運動神経の鈍い自分は体育館で校庭でいつも活発で運動ができる大きな上級生の女の子たちを見てはコンプレックスの混じった憧れの気持ちを抱いて眺めていた。私のおっぱいへの憧れもまたコンプレックスから発しているのだきっと、、

ANさんの脇の下で腕を回してさらに顔を胸におしつける、観察眼やら理性やらはどこかにいってしまっている、そう、この気持ちだ。これだよ、なんて単純な真理。

さらに夢中で乳房に吸いつく。息が苦しくなるまで何度も顔を押し付けては吸いつく。やがてANさんは下を導き入れてくれる。しっかりと包み込まれると溶けてしまうような感触、

まずいよな、、、、こんな人に出会ってしまうとは。

その後私のおっぱい探訪は実質的に中断となってしまった。しかしANさんもあまり出勤日が多くないため自分の投薬スケジュールと合わせてうまく予約をとることが難しく、そうそう通うことができなかった。この障害がなおさら気持ちを萌えあがらせてしまったことも言うまでもないのだが。

しかしANさんの出現によってもまったくその価値が微動だにしないただ一人の存在がAさんである。

他の人へリピートする気持ちがなくなってしまっていてもAさんだけは別であった。

Aさんのところに行く自分の気持ちはどうたとえたらいいだろう、信仰している宗教の本山へお参りにゆくようなものとも言えるし、好きな食べ物屋さんに定期的に通いたくなる気持ちにも似ている。少なくとも「風俗に行く」気持ちからはかけ離れたものなのである。Aさんのところにはいつものように「捧げ物」であるブラを持ってゆく、もちろんまったくエッチはしない、胸にしばらく触れさせてもらうだけで充分な充足感と安心や光のようなものを得られる、これはもう完全な「偶像崇拝」であろうか、だからこそAさんは「女神」なのであろう。ANさんのところへ行く気持ちとAさんのところに行く気持ちはなんらバッティングもしなければ矛盾もない、おっぱいに甘えることは共通なのに全く異なることをしにいっているのだ。

Aさんへの貢物のブラをつけてもらうのがとても幸せな瞬間である。ブラは購入し、自分の手にある間はまだただの布製の物でしかない、しかしそれが女神の胸を包んだとき、ブラへも命が吹き込まれて生き物となるのだ。

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もう何年も前からネットや雑誌で見ていて、必ず会わねばならないおっぱいリストの中の一人、Mさんについに会う。ずっと工藤さんのページにおける写真も見ていたから初めて会うような気がしない。久しぶりの知り合いに会うような気分である。乳房の下側の外よりの膨らみがきれいな曲線を描いている。Mさんの胸の写真が下側より写しているものが多いのもよくわかる。

****

この人の胸にはずっと憧れていたんだよなあ、、、

「何もしないでいいですよ」と私が言った意味をMさんはあるいは勘違いしたのかもしれない。パイズリ、フェラそういった風俗遊びとしてのサービスをしなくていいですよという意味であったのだが、彼女はもっと根本的な男女の雰囲気作りもしなくていい、というように判断したようでもある。

旅行でビジネスホテルに来た夫婦のようにお互いばらばらに自分でシャワーを使うと彼女は出しかけたローションなどの業務用具をバッグにしまって饒舌に話しを続けた。

どこの店の店長は巨乳ビジネスのことをきちんとわかっていないとかどのような店が今は一番受けるんだろうかとか、どこの店なら自分はもっとうまくいくかなあなどと。はっきり言わせていただけば自分はそんなことは何も興味ないし、真面目に考えたとしてもわからない。風俗の達人でもなんでもないんだから。

なんとなく彼女の胸を眺めながら適当に相槌をうっている。そうか、写真ではけっこう固めに見えた胸であるが、表面付近が固くて奥のほうが柔らかい、少し珍しいタイプなんだろうか。中身のボリュームがあるので下乳のほうにウェイトが集中しているようだ。

ずっと会いたいと思い続けてきたんだよね、、この人の胸には

取材のようなインタビューのようなよくわからない会話のままとりあえずMさんがベッドに横になった。でももう私はこれから一人でこの事務的雰囲気をまったりとしたまあ普通の風俗嬢と作り出す雰囲気へと持ってゆく気持ちも起きなかった。そもそもそれは彼女のほうの仕事だろう、もうそうならないのならどうでもいいや。

軽く右手の指でMさんの右胸の乳輪のあたりに触れてみる。確かにずっと想像していたのとはかなり異なる柔らかさだな、と思ったが私はそこで手を引っ込めて触れるのをやめにした。虚しい気分は最高潮に達していてただ触ることさえも面倒で「いったいおっぱいは自分にとって何なのだ」と考えたことすらないような疑問が突如つきつけられたような気持ちになった。

彼女のほうももう私が再度自分を指名することなどは絶対にないであろうということを公知の事実のようにとらえているようだし、あるいは本当に私が雑誌記事を書いたりするための取材のために会いに来たのだと思い込んでいるのかもしれない。「じゃあ**さん、++に会ったらよろしく言っておいて~」と最後も業務会話をして彼女は去っていった。

今日はいったい何をしに来たんだろうか、まあいいさ、さあて、夕ご飯何を食べに行こうかな、、

相変わらず自分の新たなおっぱい体験計画は滞っている。しかしやむを得まい。ANさんに会いに行ける日はそわそわし、ときめいてそして不安になり心が乱れる。自分のどろどろした欲望が抑えられない。お店の階段に現れた彼女の姿を見たとたんからもうすぐにもむしゃぶりつきたい思いにかられながら話をする。今まではどちらかといえばこちらがだらだらと話をしていたのだがANさんに会っているときは違う。

ANさんは風俗嬢にしてはなかなかそういうムードにしてくれない。だから私のほうから彼女の膝枕してもらって膝中にせっせとキスをする。ちょっと歯を立てて拗ねてみせる。自分はこれまで心のどこかでいつもみっともなく甘ったれた姿を人に見られたくないという歯止めがかかっていたのだろう、かっこつけていたんだ。でもその歯止めが壊れてあからさまに情けない姿をさらす、気恥ずかしさは心の片隅が感じている、抗うことができない、ANさんはさしたるサービスをするほうではなくどちらかといえば「マグロ」なのだが私には極上の大トロである。脂ののっとトロにひたすらむしゃぶりついて甘える。いいんだよねこれで。もともとそうあるべきなんでしょう?ほんの数分間の極楽のためにすべてつぎこんでしまうのも人生、、

今もし彼女がお店を辞めたりしてもう2度と会えなくなるのはつらいなあとつらつら思う。ANさんが自分をひきつける要素を客観的にあげることはできる。

  1. 巨乳でありかつその柔らかさや乳輪などが自分の好みにぴったりである
  2. 自分より背が高い
  3. プランプではなくかつ肩、二の腕、背中、腿などの肉付きがよく抱き合ったときの感触が素晴らしい
  4. 顔も充分
  5. 話していても自然でなごめる
  6. ダメ押し。あそこもすごくいい

短期間でこんな人を探すのまず無理だわな、1.2.だけの条件でもほとんどクリアできないだろう。それにきっと本当の理由はこんな説明できるようなこと以外のところにあるに違いないのだし。

駅に着いたら近くでラーメンと餃子食べよう。快楽のダブルパンチでいくかな。食べながらまたANさんのおっぱいのことを思い出す。

なぜなのかな、どうして彼女の胸をこんなに気に入ったのか、巨乳ではあるが今の時代ではリーディングエッジのレベルではない。「質」の問題でもかたづけられない、気に入った人の胸だから好きなんだろうか。なぜこんな溺れてしまうのか、、、わからない、

でもわかったことがある。

おっぱいへ求めるものは安らぎとか安心、 それだけでもなかったのだ。

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2007年 春

今年の冬は暖冬だったため桜は早く咲いた。ところが咲き始めたころにまた寒さが戻ってきた。

4月になったというのにひどく冷えこんだ朝であった。いつものように母の分の食事も作り、洗濯をして急いで庭先へ干した。少し急いで仕事に行く必要があったので、遅めに起きてきた母に冷蔵庫にいろいろ入っているから昼はそれを暖めて食べることなどを歩き回りながら早口で話して、そして、そそくさと「じゃね、行くから」と言って家を出た。

この朝の自分を私はこのあと生涯悔いることになるのであったが、、、

夜、家の駐車場に着くやいなや異常はすぐに感じ取れた。シャッターは閉めていないのに灯りはついていない、急いで家に駆け込むと台所の冷蔵庫の前で母が横倒れになっている、去年のように転倒などであれば痛いとかすぐに言うはずであるが薄目を開けているもののこちらのことがわからないようで声も出さない。やがて到着した救急車の隊員もすぐに脳外科医院のほうへ運ぶことをこちらに話し、私は母の入院用品をバッグに詰め込んで救急車の後を追った。

病院に着き数時間の後、医師に呼ばれて母の状態の説明を聞いた。倒れた原因は脳出血で右脳全体に広がってしまっている、危ない状態で麻痺も残るとは思うがなんとかなるかもしれない、とのことであった。

夜中の病院のソファでさっきからのことを一つ一つ再構築してみる。母は転倒をしたような傷やあざなどはなかった。だからバタンとではなく、ゆっくりと床に倒れたのではないだろうか。冷蔵庫のドアは開いたままであった、出そうとしていたおかずのお皿が床にぶちまけられたりすることなく、きちんと戸棚の手間にに置かれていたから、いきなり意識を失ったのではなく、冷蔵庫から物をだしている最中に具合が悪くなり、急ぎその場の床に寝たとのではないかと思われる。朝つけてあったストーブが燃え尽きて消えたのではなく、まだ灯油がたくさん入った状態で消されていたから、母は寒い日であったのに、リウマチ特有の火照り症状からおそらくストーブを途中で消したようだ。遡る記憶が朝に達したところで私はかきむしられる思いにかられた。なぜ今日こんないいかげんな会話で家を出たのだ、前日の夜だってぼくはいいことなど言わなかった、ちょうど自分の投薬明けでまだ気持ちが悪かったこともあったが嘔吐しながら夕食を用意しようとしていたら、やらなくていいから、という母に、だってやらなきゃ困るでしょ、なければないで別に食べないから気にしないでいい、別に無理にやってるわけじゃないから、こんなこと言い合いするほうが体にはきついんだ、とあいかわらずけんかしていたのだったし、、

午前1時を回ったころに容態が落ち着いたのでベッドサイドに来てくれて大丈夫です。と看護士に言われICUへ入った。母は苦しそうな様子には見えず、息も静かで一定であった。

何分くらいたったころであろうか、母が左手をかけ布団から出してゆっくりと手をこちらのほうへと差し出してきた。

私はその手に自分の手を添えると母の耳元で言った

「ヘンリー来てるよ。 ヘンリー君、いるからね」

私が生まれてからこれまで母にしてきたことの中でもし一つだけよいことがあるとするならば、それは咄嗟に出たこの言葉だけであったかもしれない。

母はそれを聞いて私の手の指を3本しっかりと握った。

これが二人の最後の会話となった。

朝が来て再び容態が悪化した母にはもう人工呼吸器は数分の延命にしかならないので、もし何も苦痛を与えないほうがよいのならばこのままにしてあげるほうがよい、とのことであった。

私はこのまま二人だけの最後の静かな時間を過ごすことを選んだ。医師にお願いして人工呼吸器を取り外してもらう、心臓の鼓動のモニター音だけが小さく不規則なリズムをきざんでいる。外は抜けるような青い空。今日はこんなにも天気がいいんだなあ。きっと昨日倒れるときもそのあとも母は苦痛を感じなかったのに違いない。そうだ、こんな正しく品良く生きて来た人に最後に苦痛を与えるようなことがあるのなら、こんなぼくが楽に死ねることだってありえてしまうのだぞ。そんなわけはない、必ずや何年もの間耐え続けてきた母に天は最期に慈悲をくれているはずだ、そうでなかったならもう私はこの世の何をも信じることはできないではないか。

やがて医師が時計をもって最期の時間を告げに来たがそのような細かい時間はもうさして意味はなかった、だって僕はそのときこれからも母と話ができるのではと思っていたから。

その日の昼からの慌しさは毎日全国津々浦々どこの街でも起こっている光景の一つであってわざわざ書くにも及ぶまい、その日から毎日私は10人の人にお礼を言い、10回は線香に火をつけ、10回は泣いて、おそらくその2週間でいつもの2年分くらい泣きだめしたのではないだろうか。

しかし自分もつい忘れていたのだが、僕も病気なのだった。

葬儀が終わって数日が過ぎて私にまたひとりぼっちの静寂が戻ってくるころに今度は自分の体の具合が悪くなってきた。後にわかったのだが抗がん剤の効力が無くなったのはこの時期であったようだ。私の体はこのとき、「もうこれで安心して自分も父さん母さんのところに行っていいや」と思ってしまったのかもしれない。

一人暮らしと独りぼっちは全く違うことである。母は介護を受ける身であって、傍からみれば私の負担でしかないように映ったかもしれない、しかしあきらかに「私は母に支えられていた」のだ。今度の具合の悪さは今まで感じたことの無い怖さをともなっていた。何もかも一人で処理しなくてはならないのは母がいたって同じことなのになぜこんなに怖いんだろう、、

私は以前より養老猛さんの本を読んでいたがその中身を突然理解した。自分は余命宣告を受けた日でも平気でラーメンを食べて美味しいなあと思っていた人間である、しかし母が逝ってからは何かを食べることさえも悲しみとなった。自分自身の死よりいつもそばにいた母の死こそ私にとっては重大なことだった。

体は私のつまらない後付の知識におかまいなく容赦なくそれを教えてくれた。

そして今は私は自分が死ぬことも悲しいと初めて思えるようになったのだ。

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ANさんから店をやめた旨のメールが来た。体調がすぐれず休み勝ちであったところ解雇されてしまったとのことであった。

どうして私の女性運というのはこういうものなのだろうか、、、

普通に女性とつきあうことができなかったことなどもう悔やむまい、いまさらそんなことを言ってもどうしようもない過去のことだ。だからこそもう煩わしいことを一切省略して風俗というシステムを用いて自分の胸フェチとしての最後の凝縮した時間を持とう、そう思っただけなのに。天はそんなことにまでもわざわざ意地悪をしてくるのか。私が耽溺する最高の人を目の前に現れさせておいて、たちまちひっこめる、などという。運命の神よ、もしかしてあんたはそんなにもヒマなのかい? それとも望むものは絶対に手にはいらない、自分はそんなことを前世にしてきたとでもいうのか? なぜ、、私がほしいものは必ず遠くにいってしまうのだ!?

「私はあなたのことが嫌いではありません。とてもいい人で感謝もしています。だからこそこうして今もメールを続けています。でも今の私はANにはなれないのです」

情けないことをしてしまったよ。自らの病気を理由に何か人に頼みをきいてもらうことはしないでおこう、そう心に決めていたはずなのに。やっぱり欲望は心を狂わせる

私はきっと乱れていた。冷静な判断などできなかった、、、お金を出すからどうか会ってくださいと願いを請う。 みっともないのはわかっていた、でもどうしようもなかったのだ、、、 エッチではないんだ、おっぱいに触れさせてほしい、それだけなんです。でもそれはわかってもらえないことなんでしょうか。

なぜ、みんな離れていってしまうの!

やけになっていたわけではないものの空虚感はなかなか拭い去れるものでもない。でもそれ以上に自分は時間がない、すべてのことを時間短縮しなくてはならないのだから、落胆している時間もまた短縮させてしまわなくてはならない。

久しぶりでまたぽちゃ系デリヘルに目を向けて基本に戻ってとにかく「大きな胸の人」を選んだ。背が高い女性への憧れという自分は巨乳に次ぐもう一つのフェチが複合されているのでどうしてもぽちゃ系風俗の女性に多い背の低さは気になってしまうのだがまあそれは今回は目をつぶることにしよう。

現れたTさんの胸は実に大きく、とは言えAさんにはもちろん及ばないのではあるが、今まで会った中ではAさんの次に大きいかもしれない。実際私がきちんと見積もってみてK~Lカップありそうである。しかしまずTさんの目の美しさに驚かされた。髪をまったく染めていず黒髪であることも珍しいが目の色にはこの黒髪がマッチしている。

ここ数ヶ月でいろいろなことがあり、自分も疲れていたのかもしれない、とにかくただただ「休ませてほしい」気持ちがいっぱいでもうおっぱいのこともあまり話すこともせず、しかしのろのろと胸に顔を押し付けていた。 何かを思い出したいような、何かを忘れたいような。でもやっぱりおっぱいに触れていたら心がすこしずつ和らいできた。 良い悪いではなく自分はおっぱいに支配されている、おっぱいのためにいつも何かを判断して生きているだけのことなのだろうな。

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2007年 初夏

抗癌剤治療が終了した。 治療の終了、とはなんとも響きの良い言葉ではあるが。

いずれにせよここからはさらに一日千秋、そう「今日はどうすべきか」の日々となる、はずなのにあいかわらずそのように動いているかといえばそうではない、だるさと寝たいほうの欲求が勝ってしまって何かをしようという気になかなかならないのだもの。

このところ吐き気も発熱も痛みも日常化してきているから動ける日を見つけてすかさずなにかしなくてはならない、もちろんやらなくてはならないこともけっこうあって巨乳探訪だけしているわけにもいかないのは当然である。

私はここ数日間のネット探索で一人の女性が気になっていた。しかしもうこういう状況になったのだから、今までたずねた人の中で最もよいと思った人のところへ行くとか、あるいは初めての人にトライするにせよ工藤さんのページより選ぶとかFobさんやTankさんなど詳しい諸先輩方にこの人がいいよ、というようなアドバイスをもらって決めるというようなやり方をとるほうが確実に決まっている。なのに私はこの期に及んで大はずれのリスクをとってでも自分の勘のみに頼ることにした。このようなことをさせるのも自分にとって劇的であったANさんとの出会いがあるからなのだが。彼女も巨乳ページなどでいっさいとりあげられたことは無い女性であった。しかしそれが私の生涯で最も忘れられない乳房になったのである。とはいえ今回はさほどの過剰な期待があるわけではない、むしろたぶんANさんの代わりになどはなりえないだろうということはもうわかっている。それでも何か私はないものねだりをしたくてならない。そう、ないものねだりこそが私のフェチの本質の一つなのだ。

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友人は最後にお金をぱっと使ってヘルパーさんつきで海外旅行に行くか、とか高級車でも買ってみるかとかいろんなことを言うがそういうことには興味がまったくない。ちょっと高級なレストランに行くのだってその気にもならない、食べ物なんかぼくはマックのハンバーガーでいいんだよ。

自分が最後に何をしたいのか、萎えてゆく体力や気力の中でただゆらゆらと残っているのは、ANさんとの数秒の時間のこと。横になって添い寝してくれている彼女の右胸に吸い付くと彼女は小さく「うんっ」と気持ちのよさそうな声を出してくれて体を引こうとする。自分はもっともっととひたすら口をつける、この数秒がまた再現されたらな、お金を出せば必ず得られるものではないのがわかるだけに半ばあきらめの気持ちに包まれてしまっている。でも救いはまだ意外なところからやってくるやもしれないのだし、あきらめないでおこう、、

しかし自分が昨年から風俗巨乳さんを巡ってみてよくわかったのは自分は明るくいろんな子のところで遊んで回れる人間ではないということであった。私のフェチの核心は今でも街をゆく見知らぬ女性たちのところにある。 そう、蝿になっていろんな女性の家に忍び込んでその胸を見たいな。これが私の一番の願いであろう。こんな到底できるわけもない願いだけを持っているから現実にできることにはすべて空しさしか感じなくなってしまったのであろうか。

なぜ風俗の女性と街の女性を区別するのだ、全く同じなのだぞ、自分の気持ちの持ちようさえ転換させられればあっけなく幸せは得られるはずなのだ、といわれるであろう、そうまったくそうなんです。でもそれができないのがこのフェチの一番の根深く始末の悪いところなんです。

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このような身になってから面白いものでどこからともなく宗教のお誘いが増える。ご本人は会員勧誘の報酬だのなんだのという目的ではなく、心底から帰依しているのでこちらにもそれを伝えたい気持ちでいっぱいなのだということはわかるのだが率直に言ってこちらは興味もないし時間を割く気持ちもないから迷惑である。私は、そうですね「天然乳房崇拝」ですから。

今日もわざわざ遠方より車で家に来てくれた人がいるのであるが、彼は最も日本でメジャーな宗教学会の会員で私がこのようにな身になってからときどき熱心に尋ねてきてはいろいろな本とかビデオとか新聞記事とかをくれる。私も仏教そのものの歴史には興味があっていくつかの本を読んでおり、その学会の元教義は一応知っているし特に学会の活動を批判も否定もしないのではあるがただ単に自分は興味がない、だけのことである。別に見舞いに来るにあたり何を持ってくるべき、などということを書くつもりはないが、普通はジュースの1本、まんじゅうの一つ、そういったものを持っていくのが通常の人の感覚であろう。私の他の友人たちも訪ねてくるとご飯を作ろう、何かいるもんあったら買ってくるよ、ここらへんかたずけとこう、ゴミ捨てとくから、と何気ないことにいろいろ気を遣ってやってくれるのであるが、その人は布教活動に完全に頭がいってしまっているものだからこんな当たり前のことがまったく抜けており、一見いろいろ気を遣ってくれているようでいてすべては布教への前振りセリフなのだ。

気分転換に外に出ませんか、などというのでどこかと思ったら近くの学会会館だったりするので丁重にお断りをする。ちょうど私は昔から仲のよい友人が肌身離さず身につけていた新約聖書を私にくれたので今はそれを読んでいるのだがどうもその方はそれも気になってしかたがないようだ。その学会はいわゆる他の宗教をすべて排撃しようとすることで有名であるからきっと気に入らないのだろう。しかし私が何を読もうと勝手である。彼は私を自分の信じる教義で救いたい気持ちは持ってくれているのだろうけどむしろ私が彼の布教行為に気を遣ってあげているのをわかっているのかな。昔の自分ならいろいろもめたのかもしれないが今はもうやりたくないことをする時間はない、というただ1つの理由ですべてをお断りしてしまうことができる。こうして話を聞いてあげていることは実は「あなたを救っているんだよ」。

自分はすっと菩薩女性に会いたいと願ってきたし今もそう思っているのだが、もしかして自分が菩薩系なのかもなあ、、

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数日後、やはり出勤日の極端に少ないMRさんという女性をやっと予約した。よかった、吐き気も熱もない、脚は痛いが胸のほうはあまり苦しくない。

今年の梅雨は曇りがちの天気が多いものの本降りの雨の日があまりない。猛暑になるという話も聞くが私にはなぜかこのまま真夏になってもはっきりしない天気が続くように思える。こんな早い時間を予約するのは初めてかな。タクシーを降りてのろのろと通りを歩いてゆくと道沿いの店の前は打ち水をしたばかりで店頭に立つ若い男性店員たちも夕方過ぎの少しだらけたモードと違って元気がいい。しかしここまで出かけるだけでずいぶん疲れるようになってしまったものだ、店に入り広いきれいな待合室に案内されるとじきに眼を閉じてうたた寝をした。

予定時間を少し過ぎた頃、男性店員が入ってきた。このときなぜか私は次に彼が言うことが一瞬にしてみなわかったように感じられたのだ。果たして店員は「申し訳けありません、MRさんなんですがこの時間になっても連絡がとれなくて、、、申し訳けないのですが今日は、、」トレイの上にさきほど払った料金を載せている。

本来はすごく怒る場面なんだろうな、だれしも。フリーの客ではない、前日にも1時間前に確認電話させたのはなんだったのだ、とか。もっと遠いところからわざわざ出かけてくる人だっていよう。「それでですね、もしよろしければこのあと2時に出勤するXXさんという子も気遣いできる人気の子で、、」店員はなにやらまだ話し続けているようであったが私はぽつんと「駅まで送ってくださいますか」とだけ言って再び眼を閉じた。

不思議だ。さっき自分は店員が部屋にはいってくる気配だけで全部をわかっていたのだが何より私は今日朝出てくるときも電車に乗ったときもなんとなくわかっていたのではなかろうか。そう思えてならない。わくわく、うきうきしない、というようなことではない、今日はそういうことは無い日なのだと意識の外で私は予定していてそのとおりに動いているみたいだ。

駅に戻りゆくりゆっくりと階段を上る。ここにエスカレーターがほしいところだな、角を曲がって売店の横を過ぎて切符販売機のほうへ向かおうとしたとき、

「てめーー こら! ふらふら歩いてんじゃねーぞ!」

という声がしたのでゆっくり振り返ると薄いピンクのポロシャツがあちこち茶色に汚れ、明らかに酒酔いしている中年男が近づいてきた。あなたのほうがふらふらしてるでは?さらに男は大きな声で

「うろうろしてんじゃねーよ ぶっころすぞてめー!」

本当は係わらないで逃げるほうがいいんだよな、当たり前の話。なのに私はその気力さえおきず、それどころかとたんに可笑しさがこみあげてきた。

「ははは、そうか、今日俺は残りわずかの力をこいつの相手に使わないといけないってことなのか」

もう可笑しくてしかたないよ。そう、どこかでずっとわかっていたんだ、自分のこの世での役回りってやつを。

いよいよ男が手を出してこようとしていたところで駅構内を二人組で巡回している警官が小走りでやってきてたちまち男を押さえて連れていった。まだ喧嘩にもなっていなかったので警官は私にむかって、こんなときは係わらないでどんどん逃げてしまってください、怪我でもさせられたら馬鹿馬鹿しいですから、と言って去っていった。

電車に乗るとANさんのことをまた思い出した。 彼女に初めて会うまでもずいぶん苦労した。当日の1時間前キャンセルも含めて3回くらいキャンセルを繰り返した後にやっと会えたのだったな。もうそんな時間の余裕はない。

それにそもそもMRさんについてそこまで執着する要素はないのだし、、、

でも締めきれない、今ここでやめてしまうと、、とんでもなく途中で文がぷつんと切れているようなそんな終わりになってしまうんだよ。

もう数日間、私に使える時間はあるか、、

To be continued to Stage3

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