MY巨乳史特集6「MY巨乳史マイナス1 豊乳グラビアの源流50’s」

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19世紀の西洋絵画にはすでに胸の下からウエストをきつく締め付けて乳房を高く突き出す上流階級女性の姿を多く見ることができる。古代のヨーロッパにおいて花開いた女性美礼賛の文化は中世になるといったん押さえつけられるが再び近世の帝政時代になって現在の洋服や下着の原型となる衣服が登場することとあいまって乳房の美しさを強調するものへと発達したのである。同様に近世には庶民を描いた絵にも作業着を着た豊満で胸の大きな女性の姿が多く現れる。

おそらく日本人が乳房を見せるもの、鑑賞するものと認識するようになったのが女性にも洋服が定着する太平洋戦争敗戦の後からであることを思えばその歴史の長さはあまりに違いすぎる。とは言うものの多くの科学技術や政治、社会制度を明治以降一気に取り入れ自分たちのものとすることができた日本人は実際の年月の長さの差から比較すれば驚くほどの速さでこの美観を自分たちの感覚としたと言えるのかもしれない。

1950年代日本でもおそらく歴史上初めて巨乳のブームが起こったがその動きの発信地であるアメリカ、ヨーロッパでのグラマーピンナップガールたちこそが現在の様々なジャンルにおける巨乳崇拝の源流と言える。今回この50年代から60年代にかけての乳房グラビアをいくつか眺めてみることにした。

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乳房は美しいものである、これは理屈ではない、私たちの細胞のDNAがそのように感じるよう設計されているとしか説明のしようがないものである。しかし乳房は狭義の生殖器ではないしまして大きさと生殖能力は別である。それでも乳房はモンシロチョウを誘因するキャベツ畠のごとき力を持っており私たちはその引力に抗うことはできない、だからこそ不思議な謎なのである。

第二次世界大戦が終わり大規模な戦争の脅威がいったん遠のくと人々は性文化を享受するようになる、かつての絵画に代わる新しい芸術手法として「写真」の時代が始まった。劇場、映画、そして本当のセックスというように性そのものを表現したり実写するのではなく、静止した被写体の一瞬を提供する写真が見る者のイマジネーションを刺激して見る者は能動的に美を感じとる。

写真というものの存在意義は21世紀が始まった今においてもまだ絶大である。私たちは40年以上の歳月を経たモノクロームの乳房からでもそのやわらかさ、しなやかさ、体温までをも受けとることができるのである。

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50’sの豊乳グラビアモデルとして私がまず出会ったのがマリーデベロークスである。1954年に16歳の若さでセミヌードでメンズマガジンのグラビアに登場したマリーは後にハリウッドで多くの映画に出演した女優であるがイギリス人でありブリティッシュ豊乳グラビアアイドルの先駆け的存在と言える。

まだ体に比してかわいらしいおっぱいであるがこのおっぱいのフォルムは後の80年代90年代に登場する圧倒的迫力を誇るブリティッシュ巨乳モデルたちへとと確かに繋がっているものである。この写真はとくに腕や脚、腰の肉つきなども含めて気に入ったものです。

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ジューンウィルキンソンはバストモデルという尺度で言えば50年代末から60年代初頭にけてはマリリンモンローも全く及ばないヒロインであったかもしれない。当時はアメリカでもまだカップサイズを表記する慣例はできていなかったが42inchというトップ数値が男性をときめかせたことであろう。この上乳の棚をコミカルに誇る構図も彼女の胸への絶大な自信がかがえる。

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アメリカにおいてPLAYBOYが男性雑誌の一大ブランドとなる以前はModern manやAdamといった雑誌で豊かな胸と脚線美を誇らしげに見せる女性たちを見ることができる。

これらの雑誌のグラビアページを切り取ってベッドサイドや机の前に画鋲で貼る、あるいは噛んでいたガムで写真を壁に貼り付ける、ということが独身男性の間で流行し、このことによりこのようなモデルたちを「pin-up girl」と呼ぶようになった。この頃の写真ではこのような斜め後ろ姿というものが多く見られるがこれは胸のみならず脚、お尻をも含めて見せようという意図のため最も適したアングルだからであろうか。このような角度で写したときにも十分に存在感のある高さがあって美しい三角形を描く胸のフォルムが求められていたようである。

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女性美に関して最初に成熟した国民といえばどこの国であろうか、と思いをめぐらせてまず思いつくのがやはりフランスやイタリアであろう。ブリジットバルドー、ソフィアローレン、ラクウェルウェルチなどに関して私などがあらためて解説することなど何一つないのでとにかくゆっくりその胸を眺めるにとどめよう。

彼女たちはもちろん「巨乳タレント」でも「巨乳ピンナップガール」でもなく純粋なスクリーン女優である、しかし女性たちが自ら理想的体型はこれだ、と口にすることができるような場にその胸を現したということにおいても歴史に残る人たちであったと考えられる。BBが女優として高く評価されるようになるのは60年代になってからであるがおっぱい史においてはなんと言っても50年代末の作品「可愛い悪魔」が適当ではないだろうかと感じている、時を同じくして敗戦後10数年がたちようやく娯楽を楽しむ余裕の出てきた日本においても初めてのグラマーガールブームが起こっておりBBの名は日本でも広く知られることとなり「バスト90cm」というのがグラマーの指標として語られるようになったのである。

ソフィアローレンはむしろ日本ではスクーターのラッタッタのCMに出た人、と覚えている方も多いかと(多くないか?)思われるがこのような大女優が日本のCMに出演することになったことでずいぶんそれまで遠く離れていたハリウッドなるものがいきなり身近になったと感じられたものである。このあと登場するアニタエクバーグも大物女優となったがまだ普通の映画でグラマー女性がそのまま素直にその体を誇示することが受け入れられるという点においてはまだおおらかな時代であったのかもしれない。後にポルノが一般映画からはっきり分化していくにつれ普通の映画からは体を誇るという女優がかえって出にくくなってしまうのである。

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垂れ下がった巨大な釣り鐘乳房をそのままにしておく写真が好まれるようになるのは70年代くらいからで50sから60sにかけてはひたすら地面と平行にできるかぎり前へ突きだした胸が好まれていたようである。バストの高さこそがグラマーのエンブレムであったのだ。 乳房のボリュームはまだその後の時代に比べると少ない人が多く、押しつぶしたり脱いだときはさほどではなくなるようだが着衣におけるこのシルエットは以後グラマー女性のシンボルとしてアニメのベティーちゃんに始まって日本の峰不二子に至るまで受け継がれいくのである。

ここでまたイギリス出身の巨乳ピンナップガール代表としてサブリナを掲載したが彼女のサイズはかのジェーンマンスフィールドと全く同等であったが彼女はそのプロフィールにおいて1/2inchだけジェーンより大きい数字を記載し、このためジェーンがひどく悔しがったというような逸話も残されている。

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バージニアベルはEarly timesのグラマーを語るときには必ず登場する有名なダンサーである。ラスメイヤーが彼女を発見したことも有名になったきっかけであろうと思われるがその短い活動時期が過ぎた後も何年も彼女のグラビアはグラマーピンナップの歴史には必ず登場するまさに伝説の女性である。

「Ding Dong Bell」と愛称で呼ばれた彼女は48inchというとびぬけた数値のバストサイズがクレジットされており彼女をフィーチャーしたピンアップ雑誌はたちまち売り切れてしまったとも言われ当時の人気がうかがえる。

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チェリーナイトは私が本特集をまとめるにあたり私が特に気に入った巨乳モデルの一人である。説明が難しいのだがいろいろな部分に見られる後の時代ならば修正を施されてしまうような普通さが気に入った。このころは「水着グラビア」というものはまだ欧米でも一般的ではなかったようで着衣であるか脱いでいるかのどちらかであることが多いのだがほんわかした雰囲気と豊かなおっぱいがよくなじんでおり私も気に入っています。

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キャンディーモリソンは50年代の末から60年代にかけて人気のあったグラマーモデルであるがたぬき系の愛らしい顔は日本人にも親しみやすいものではないだろうか。何よりそのおっぱいの豊饒感はまるで大きな卵を二つ実らせているようで素晴らしい。

60年代はPLAYBOY誌が巨乳モデルの発掘で最も強力なメディアとなるがキャンディーもまたヒューヘフナーに見いだされて有名になった一人である。アメリカ人男性もマザコン傾向はかなり強いと言われるがキャンディーのたわわなおっぱいはきっとそのような男性の心を捉えたことであろう。こう書いている私も数十年の歳月を飛び越えて彼女のおっぱいには魅了されました。

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テリーヒギンズも50年代の忘れてはならないグラマーピンナップガールである。元はダンサーのほうが本業であったようだがその豊満で柔らかなおっぱいにより人気を博した。彼女もまた顔も含めて親しみやすい雰囲気を持つ女性であるがピンナップガールとしてのグラビア数はさほど多くないようである。何より自分の本職はダンサーであると自覚していたとも言われている。

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ポーラページはアメリカにおけるバージニアベルとよく対比されて語られることが多いイギリスの伝説的巨乳ダンサーである。彼女はTwo Guns Paulaという愛称で呼ばれその着衣姿は胸に大きな銃を2丁入れているようだ、と形容された。

44inch DDカップという今ならばまさに「ロケット」と称される見事なおっぱいである。彼女はその素晴らしい胸でトップピンナップガールへと昇りつめたが最初はトラックの運転手をしていたとのことでどこかガテン的な逞しい雰囲気はそこからくるものかもしれない。

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ビスチェタイプの下着は外人グラマーフォトにおける定番衣装であるが日本ではなぜかアイドルビオオなどでこのような衣装は用いられない。ウエストが細い人でないとかえって逆効果になってしまうからなのだろうか。ベティーブロスマーも50年代の人気ピンアップガールであるがいわば今風の言い方をすれば「くびれ系」ということになるだろう。スレンダーなボディーに柔らかそうなおっぱいが魅力的である。

モノクロ写真でもそのおっぱいの柔らかさ、しなやかさが伝わってくるような実にいい写真ではないでしょうか。

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エルビスの初期のロックンロールが似合いそうないかにもアメリカンガールという風貌のジャッキーミラーはピンナップガールというよりは人気ダンサーと言ったほうがよい。当時のストリップダンスはBurlesque Danceと称することが多いが私たちがイメージするよりもその地位は高く日の当たる存在であったらしい。このBurlesque Dancerから人気モデルへというパターンが当時は一般的であったようだ。

ジョイランシングはモデルとは言えず女優、しかもテレビで主に活躍する「お茶の間タレント」的存在であったらしいがこの体を見ればフォトグラフ界がほっておくわけもない。60年代に入って彼女の人気が衰えた後三流の映画に出演したりストリップの仕事もしていたと言われるがこのような運命の変遷もまた後の多くのタレントが歩んだ道と同じであろうか。

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乳頭にこのようなかわいいバタフライを着けた写真はこの当時のストリップダンサー写真でよく見られるものである。しかし西洋人の場合これは乳頭を「隠す」という意味合いで用いてはいないのではないだろうか。昔アメリカで私もこのようなものをつけて踊るダンスを数回見たことがあるが乳頭を充分披露した後にまた羽根やらベルやらをつけて遊んでみせるというのがアメリカの男性の趣向にあっているようで、私はあまりぴんとこないのですが。

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グラビアモデルから俳優やその他のタレントへ、という道順は今でこそ日本の芸能界においても当たり前のようにとられている常道であるがメグマイルスもそのような経緯で有名になっていった人の一人である。しかしながら当時も女優なら演技力、歌手なら歌唱力が必要であったからどうしても「体」先行でのしあがってきたタレントには評論家などもきつくあたっておりかのマリリンモンローも「演技などと言えるようなレベルにすらない肉布団女優」などと酷評されていたのである。

メグはスキャンダルもなんとか乗り越えて60年代に何本かの映画にも出演しているが私たちにしてみればそのように無理にがんばらなくともその美しい胸を充分披露してくれれば満足なのではあるが。

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イヴメイヤーはこの特集の中にはいるとややこぶりな乳であるが彼女はかのラスメイヤーの妻であり、かつメイヤーの初期作品に出演した50年代巨乳を語る上で忘れてはならない一人である

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フェリーニ監督の甘い生活でのアニタのスチール写真はあまりに有名であるが乳首が見える写真のほうを掲載してみた。アニタエクバーグは1950年ミススウェーデンに選ばれたことからその芸能生活を開始したがフェリーニ作品への出演でやがて伝説的女優へと向かっていく。

まだ50年代はグラマーモデルであることと映画女優であることが渾然一体であって当たり前の時代であった。それが後にいったん女優とモデルは分離した存在となり、そしてさらに後の80年代にまたその境界はなくなっていくのである。

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50年代というのは男性が思い描く理想的女性の体型と女性が思い描くそれが珍しく一致した短い時期であったのかもしれない。この後再び巨乳女性が男性向けマニア雑誌の世界のものとなってからは女性が語る自分たちの理想とおっぱい病の男性の理想はどんどんかけ離れていくようになるのである。

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1960年代はPLAYBOYがグラビアを牽引した時代と言ってよい、映画においてはラスメイヤーが巨乳というものを最大限にフォーカスした独特のカルトな世界を築きつつあり写真においてはハリソンマークスがグラマーフォトというものの存在を世間に強く認識させていた。

そんな動きの中で一般の雑誌とはややかけ離れた世界でより乳房にのみ特化したマニア向けのグラビアが作り出される動きがあった。pre-Page-3という後のPage-3の前身的なものが登場するのもこのころである。おっぱい特化はその後ScorelandやGentといったマニア専門の世界へと進むようになる。

pre-Page-3の初期に登場したイギリスの人気モデルであるロジーナベルなどを見るとあえてトータルな魅力を排することでなおさら胸へのこだわりを強く打ち出そうとしていることが感じられる。最後にヒューヘフナーがある日歯医者へ行ったとき見つけて入れ込みスカウトしたというジェーンラッセルを掲載してこのミニツアーを終了しよう。

60年代はPLAYBOY、PENTOHOUSEといった一般向けグラビア誌の隆盛とPage-3などよりマニア向けのメディアが登場してくることで巨乳モデル輩出の数はいっきに激増しその趣向もいろいろ多様化してゆくがこのあたりの時代についてはまたいずれ考察してみたいと思っています。

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