1995年の夏も暑かったな。
すでにかとうれいこはグラビアより退いており、雛形明子も細川ふみえも意外な速さでグラビアから離れつつあったためそれまでこの分野で絶大な影響力を誇っていたイエローキャブ旋風も一息ついた感があり、豊かな胸のグラビアシーンは再び混沌とした状況へとはいっていた。そのころ私はどのような写真を好んで見ていたか今になるとよく思い出せない。
それほどに95年の彼女の写真との出会いは私にとって大きな出来事であった。
彼女の雑誌グラビアデビューであるヤングサンデーを私は見逃してまった。その後ほどなくしてある雑誌で彼女の写真を初めてみること
になるのだが最初の印象は「髪が黒くて多いなあ」ということであったうな気がする。しかしIカップというクレジットを見るまでもなく彼女の胸はいっしょに記事に出ている他の大きな胸の女性たちと比べても明らかにひと味違う堂々とした量感をたたえていた。
すでに96年の夏が過ぎるころには胸の好きなマニアの間で彼女は誰一人として知らない者はないほど確固たる地位まで上り詰めていたのだが、世間一般での彼女の知名度は必ずしもそうではなかった。
このギャップこそが後の彼女の寂しい引退という終末へと進む最初の大きな要因となっていったと言える。もしイエローキャブが所属事務所であったならば95年の後半ないし96年の前半までに必ずや彼女が一般に名前を認知してもらうための有効な手段を講じることができたかもしれない。
それは例えば露出回数が多いメジャーな飲料等のCMを獲得することかもしれないし、バラエティー番組であるかもしれない。「写せ!」ではあまりにアンダーグラウンドすぎたしその中での使われ方も全く彼女の良さを引き出すことはできていなかったように思われる。ミルパワーのCMにしてもあまりに地味すぎていたし。
こうして彼女はグラビアにおいてこれほど絶大きな人気を誇りながらもついに一般にはあまり知られることのないアンバランスな状態のまま96年も暮れていった。
彼女が他の豊乳グラビアアイドルと異なっていた点は横から見たときの厚みと安定感である。たいていの子はかなり巨乳であってもその姿勢によって必ず胸がなくなるポイントがいくつかある。そしてそのポイントがどれだけ少ないかで見た目の巨乳感が大きく変わってくるのであろう。
青木裕子はほとんどどの姿勢をとってもボリューム感が失われることが少ない、まさに「真の」巨乳であると言えよう。巨乳好きはその理屈を特に意識をしていなくてもどの姿勢は胸が強調されどの姿勢では胸がなくなるかを本能的につかむ習慣ができているものである。裕子さんはその姿勢に影響されることが少ない胸のために無理に胸を大きく見せるポーズをとる必要もなく、逆にほとんどの人で胸がなくなってしまうようなポーズをとることでその大きさを感じさせることができたのである。
こうして彼女は96年の声を聞くころには豊かな胸にあこがれる男性の心をつかみトップグラビアアイドルへの道を歩むのであるが、しかし、、
97年は彼女にとって最後のチャンスであったかもしれない。グラビアにおけるブームはいかに素晴らしい子であっても必ず終わりがきてその後は地道に活動が続けられるものである。だから彼女も特に他に目立った仕事がなくともときどき雑誌でその姿を見せてくれるモデルとなってくれても全くファンとしては差し支えなかったのである。しかし彼女が当初から望んでいた音楽がやりたい、という希望に対して事務所は誤った方向性を打ち出してしまうことになった。
97年になるとしきりと彼女がCDデビューへ向けてプロジェクト準備中、というような但し書きが添えられるようになってしまう。しかしグラビアモデルと音楽などはまったくといって接点がないくらい別のものなのであり、グラビアにおける成功は音楽に何の役にたつものでもない。これは遠い昔のアグネスラムから実証されていることなのであるが。もちろん彼女が望むCDデビューはさせてあげればよい、しかしそれはあくまでさりげなく、なにげなく行われるべきであって大プロジェクトとするようなものではなかったのである。
だがいつのまにかそれは彼女がこの業界で存続するために頼るべき起死回生の計画のごとき様相を呈してきてしまった。そんなことをしなくとも彼女の魅力を引き出すようなビデオクリップでも写真集でもゆっくり作ればよいだけのことだったのに。
彼女の顔立ちは知的であるしやや年齢も高く感じられるところがある。まだ少女らしさの残る明るくはじけた表情もよかったがしっとりとアンニュイなフォトもまた別の魅力があった。大人っぽいグラビアの素材となる素質は十分に持っていたと思われる。
ただ一つでもよい、彼女のネームバリューが豊かな胸のグラビアを好む人たち以外へも浸透するための媒体となるCMの仕事にさえ抜擢されたら、しかしついにそれは起こらず夏は過ぎていった。それでも彼女はただひたすら雑誌グラビアに出続ける。グラビア上の彼女はだれもかなわないワンアンドオンリーの魅力があるがしかしタレントとしては全く実績が無いに等しい不安定な存在なのである。
何か一つでも彼女の存在を一般に浸透させるメジャーな媒体にめぐりあえれば、それは夏ならビール、発泡酒、清涼飲料、化粧品といったところであろうか、または彼女のホームグランドとして安心できるテレビ番組があれば。不安な気持ちがまるで投影されるがごとく彼女の表情に陰が見え始めたのはこのころであった。
トイレの花子さんでの裕子さんはかなり地味な印象であったが慣れすぎた演技をする今の若いタレントの中にあってはその素朴な感じはよい感じであったように思われる。
1998年、全盛期とは比べるべくもないものの彼女はまだコンスタントに雑誌グラビアに登場し続けていた。しかしグラビアでのキャッチフレーズはかなり苦心の跡がみられる。新鋭グラビアモデルとして昇る太陽の勢いである時期とは異なり先の何か具体的な計画が無いと話題に苦慮してしまうしグラビアモデルとしてはすでに2年たてば新しさを売りにするわけにはいかない。
このころから彼女の表情が目に見えて暗いことがだれの目にもはっきりするくらいになってきていた。笑っていてもどこか疲れていて憂鬱そうな表情。初めてであったときのはじけるような目の輝き、トレードマークのアヒルさんの口ももう見られない。心の乱れを写真はしっかりと捉えてしまうのである。グラビアにおいては徐々にその添え書きもひねったものになってゆく、最初はただ水着で明るく笑っている
だけでよいが徐々に自分自身の特色というものを見つけていかなくてはならないのである。
しかし彼女の場合まだワイルドでいくのかシックにいくのかがはっきりしきれていないきらいがあるようだった。シックになっていくと服は水着ではなく透けたドレスなどになっていくしワイルドならば破れた服とか豹柄や迷彩色の水着、といったものになり両方をしばらく実験して試しているようだった。
私が思うには全身を写そうとすると彼女の場合やはり脚のたくましさが目立つのでワイルド系のほうが合うようなので、シックはもう少し年齢が高くなってからでもよいかな、と感じられたが。
私が個人的に思い描いていた裕子さんの方向性は実はファッション雑誌であった。当然男性雑誌におけるグラビアとは異なるものとなっていくことは当然であるがバラエティ、女優そして歌手、という方向だけが道ではない、おそらく女性が女性雑誌においてこのような体型の女性を歓迎できる時代が目の前に来ていると思っていた。
JJなどに代表される活発タイプのモデルが全盛である中でこのような控え目ででしゃばりすぎずアウトドアにあってもどこか「静」の魅力を感じさせる彼女の雰囲気はきっと同性からも受け入れられるものではないかと思うのだが。
98年が終わるころにはいよいよ事務所はCDデビューのみを頼みの綱としているようだったがおそらく現場サイドでは具体的目処をたてられない状態であったのだろう。 事務所はこれほど人気を得た彼女を再び地味な番組のマスコットガールなどで使うことをよしと考えなかったのかもしれないし、彼女自身も嫌がったのかもしれないが惜しむらくは地味でも彼女が安心してよりどころとできるようなホームのような番組に一つだけでも恵まれていたなら、ということであった。
ちょうどこのころ彼女よりもっと地味に登場した黒羽夏奈子さんなどが3年を経たくらいからかえって静かに人気が出てきたし後に時代の人となる小池栄子さんなども番組のマスコットガールとして地味な登場をしている。しかし彼女自身の魅力は2000年を過ぎた後もまったくひけをとるものではないものだったのだからあせることはなかったと思うのだ。
裕子さんの最もフェバリットな写真は?と問われると非常に選ぶことが難しい、当初は私もありきたりに胸を大きく見せる写真を好んでいたのだが徐々に全体を見ることができるようになってきたようである。豊かな胸に限りない憧れを感じながらもそれだけではない、ということもどこかで常に感じ続けていられること、モデルとその豊乳の微妙な関係はいつまでも私の中に存在する永遠の課題なのである。
グラビアアイドルというのは一瞬の花火のようであるが中には何年もの間年齢に応じた魅力を提供し続けられる極めて一握りの人たちもいる。そのような存在になることは確かに困難でまたなろうとしてなれるものではないのであろう。しかし一瞬の、でも一生思い出に残るような夢を提供する存在もまたなろうとしてなれるものではない。青木裕子もまたその意味で選ばれた存在であった。
作者注)
2002年の4月その後青木裕子さんは別の事務所に所属して復帰された。グラビアモデルとしてではなく、かつてのような人気を博することはないと思うがそれはそれでも良いであろう。何より本人に明るい笑顔が戻り服の下であってもそのかけがえのない豊乳が健康に息づいているのであれば。
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