日本版プレイボーイに続き日本版ペントハウスなど一般男性雑誌において次々と海外有名誌の日本版が創刊されていた70年代後半のころ、成人向けエロチック雑誌の世界でもアメリカをはじめとする売れ筋スキンマグと提携した雑誌の創刊の動きが活発になっていた。バチェラーもその中の一つである。
当初は総合的成人誌であったがその後まもなく他の競合誌との差別化を図り独自のアイデンティティを確立する必要性を感じてバチェラーが選んだものがBIG BOOB,BIG TIT、そう「巨大な乳房」そして隣接する分野と言えるプランパーや妊婦などのヌード情報であった。そしてその判断は果たして正解であったと言える。
バチェラーはそれ以後約20年にわたり巨乳マニアにとって最も定番な雑誌としてその名を知られることになったのである。
80年ごろのバチェラー。巨乳特化路線を徐々に明確化していたころのグラビアである。この程度の大きさでもうれしそうに紹介しているところが2000年の今見ると微笑ましい。
そばかすだらけの胸の谷間、キメの粗い肌など日本人巨乳の良さを逆に再認識させられる感があるが外人巨乳好きが言うにはまたそのきたなさが魅力なのだそうだ。
80年ごろまだラスメイヤーの映画は日本では極めて一部のマニアにしか知られていなかったようである。私も初期の作品は見たことがなく「スーパービクセン」くらいからしか知らないのであまり語る資格はないのであるが、このアンマリーはラスメイヤーがキトゥンと出会う前頃までの一番のお気に入り女優で当時としては飛び抜けた巨乳女優であったらしい。
私はバチェラーの巨乳専門化路線における最も大きなエポックメーキングの一つが初めてかのタイタニックティナを日本のマニアに紹介したことではないかと考えている。一般世間におけるセックスシンボルがマリリンモンローならばティナはさしずめマニアの世界における最大の偶像とも言える。彼女の正式な写真はすべてJohn Xavier氏の撮影によるものとされる。Xavier氏はカメラマンとして特に一流と言うわけではないのだろうがティナの専門カメラマンとして共にその名を知られることになった。
馬鹿の一つ覚えのように強いソフトフォーカスをかけることが妙な面白みを感じさせるがティナの盗撮されたものと思われる流出写真までわざと本物に似せるために同様のソフトフォーカス処理がされていてそれゆえティナの写真はベタな写真が当たり前のこのジャンルの写真の中で一種独特の雰囲気を持っている。
後になって公開されたティナを初めて撮影したときのモノクロ写真は全く違った雰囲気を持っており映画「コットンクラブ」の世界を彷彿とさせるようなレトロなムードである。しかしマニアにとってこれらの写真が貴重だったのは別の理由がある。彼女が本当に天然の超巨大乳房であったかを確かめるヒントを与えてくれたからである。人工乳特有のパンパンに張りつめた独特の形状の乳房に対して天然の乳房は皮膚も乳房と共に成長しているのでそのような無理な張りはなくまた必ずある程度以上の大きさになると乳房は形が保てず崩れた形となってくる。ティナは胸に脂肪がたまっていく病気であったためときどきそれを除去する手術をしないと一般の生活ができなかったと言われるがその病院通いが後に彼女が豊胸手術をするためだったと中傷される原因となってしまった。また有名になった後モデルとして仕事をしていくために顔の整形を行ったとも言われこれは明らかであろう。
しかしその元となる巨大な乳房はおそらく天然のものであることがこれらの初期写真から推測できるのである。話がいくぶんバチェラーの話題からそれてしまったがティナという巨乳マニア界における最大の謎とも言うべき素材をこのバチェラーがもたらしてくれたのである。
ティナの正式な販売写真はザビエル氏の芸風によりきついソフトフォーカスがかかっているものばかりであるがこの写真は初めて氏がティナの家で写真を撮らせてもらったときのものでこのとき氏は普通のカメラが壊れていたために別のモノクロのポラロイドカメラしか持っていなかったため貴重な「普通の」写真となったものである。
80年代バチェラーは一つの絶頂期を迎えたと言える。当時アメリカのポルノビデオに出演していた多くの人気女優やストリッパーが次々とグラビアに登場した。それらはいずれもマニアの間では懐かしい名前ばかりではないだろうか。
ペントハウス誌のグラビアからポルノ女優となったクリスティーンキャニオン、同じくそのころのビデオに多数出演していたこのミンデイィーラエなども常連さんであった。
クリスティーンと同時期に多数のポルノビデオに出演して人気のあったミンディー、当時の感覚でも「痩せた」乳房がかえってエッチっぽさをかもしだしていた。
80年代には日本の巨乳AVモデルの紹介ページも目立ってくる、同時に風俗においても巨乳コンパニオンを専門にそろえる店が登場してくるようになった。吉原のDカップコレクション、あんみつ姫などはその代表でこれらの店の女の子の写真を見ることもバチェラー購読の楽しみであった。
80年代のバチェラーではしばしばオールディーズ特集というようなタイトルで50年代、60年代のグラマーフォトの特集も行っていた。当時の編集スタッフのどなたがこのあたりを担当してたのか興味があるところであるが今の私が感じているのと同様にこの時代のグラマーモデルたちのおっぱいを含めてのレベルが非常に高いことをよく理解しておりそれらの写真は年月を越えて観賞できる素晴らしいものである。
80年代の後半にはいると登場するモデルのかなりの割合がかなりうさんくさい乳房をしていることに気づくようになってくる。
「巨乳」とは自然のいたずらであり授かりものであると考えるのが当然と思っていた多くのマニアに対して大きければいかなる方法でもかまわないとする退廃的な考えを持つ勢力がしのびよってきていたのである。
フェイク巨乳、つまり豊胸手術を施した人工巨乳モデルが次第にバチェラーにも多く登場することになり、バチェラーはいやおうなしに巨乳についての雑誌ポリシーを問われることとなっていくのである。
バスティダスティは人気があったようであるがこの胸はあきらかに人工であろう。90年代になるとこのような胸のモデルやストリッパーの写真を掲載せずには雑誌そのものが作れない時代となっていく。
アメリカのポルノで活躍したオリエンタル巨乳といえば古くはチャイナリーを思い出す人も多いだろう。日本からはかの「しのざきさとみ」も渡米して数本の作品に出演した。このミンカは韓国人とのことであるがちょっとこの爆乳が天然であるかは疑わしいもののなかなか魅力的でバチェラーにも多く登場した。
90年代のバチェラーを見るとアメリカを中心とした人工乳の氾濫に対してバチェラーがとった編集方針の苦心が感じられる。もはやまったく掲載をしないわけにはいかないほど海外巨乳シーンは人工に席巻されていたしそれでよいとする読者層の数も無視し得ない。
しかし巨乳はあくまで天然の人材を発掘するところに意義があるという誇りを捨てては多くの読者に見離されてしまうだろう。バチェラーは人工巨乳のグラビアを掲載しつつも添える記事には賞賛の言葉を書かず天然巨乳モデルにその賛美を添えるというやりかたを保つことにしたようである。
しかしそんながんばりに答えるごとく特にイギリスやヨーロッパから素敵な天然巨大乳のモデルが現れてくれたことはバチェラーにも朗報であっただろう。それらの代表がリンジードーンマッケンジー、アンドレアイレーナフィッシャーなどである。
イギリス(オランダ系とも聞いているが)のリンジー、ドイツのイレーナフィッシャーは徐々に人工巨乳が浸食しているシーンの中にあってバチェラーの救世主とも呼べる存在となった。
人工乳が氾濫するアメリカにおいても天然の良さを売りとするモデルはまだ多く存在しており、特に多くの巨乳マニアはつまらない人工乳を見るくらいならば太っていようと顔がよくなくとも高齢だろうと妊娠していようとそんなものは気にしない、あるいはむしろそちらを好むという傾向も強かったためアメリカからはそのようなおばさん巨乳、プランパー巨乳、妊婦など巨乳マニア内のさらにサブグループのような素材が多く提供されていたようである。
90年代半ばではかえってこのような外人における天然の乳房は新鮮な喜びすら感じさせてくれるようになった。写真のテレサは欧米人ではかえって珍しい脂肪型の日本人の胸に近いタイプでどことなく親近感が感じられる。
バチェラーは海外の雑誌の紹介をメイン記事としている雑誌であるので権利等の問題であまり多くのオリジナルグラビアを掲載できないという足かせは創刊以来かかえている問題であったが少しずつ雑誌としての信頼性を高めることにより掲載権を獲得しオリジナルグラビアの比率を増やしてきたことは評価できるだろう。
しかし近年はインターネット画像関連の雑誌、DVD紹介専門誌、和製の巨乳雑誌その他盗撮、投稿雑誌などに押されて再び雑誌としての生き残りの岐路に立たされているようである。私はずっとバチェラーを見続けてきて常に海外雑誌の紹介記事中に小さい写真で掲載されているバランス破りの超巨大乳がこの雑誌のメイングラビアをにぎわしてくれたらと願ってきていた。
他のメディアから得られない物、専門化こそが今の雑誌のキーワードではなかろうか。まだまだ絶対的な乳房の大きさでは日本女性は英米の女性にはおよばない、バチェラーにはなんとかそのような問答無用の超巨大乳写真の発掘と掲載を期待したいと思う。
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