MY巨乳史特集2「イエローキャブ史に輝く至宝 かとうれいこ」

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お知らせ)
イエローキャブ殿より画像使用停止を求められましたので、画像を削除いたしました。
ご了承ください。 2003年8月

事務所が彼女に気遣って公称した86cmEカップ。写真週刊誌が「この数字を信じた者はいない」と書くまでもなく大きな胸を愛する者たちにとってそれは何の意味も持たないクレジットであった。

潜在的に豊かな胸に憧れていた男性の多くが彼女の姿を一目見て胸というものがいかに自分にとって大きな意味があるものかに気づき、そしていつか彼女の名が多くの男性にとって忘れることができないものになっていく。

かとうれいこにイエローキャブの野田氏が出会ったころ氏は初めて彼が自ら手塩にかけたタレントである堀江しのぶの病と早すぎる死に気持ちが沈んでいる時期であった、しかしそのときの野田氏の経験が後に所属する女性を大切にする野田イズムの基礎となっていく、そんな中で彼にまかされた当時まだ星野麗子と名乗っていた驚くほど胸の豊かな女性。彼女にはよけいな説明など必要はない、その胸の圧倒的な魅力を見せればもうそれでよいのだ、と野田氏は確信したに違いない。

すでにアグネスラムの頃よりグラビアを主体とするタレントの最高の登竜門であったクラリオンの年間イメージガールを彼女を売り出す切り札に用いたことがグラビア界における彼女のステイタスを確実なものとした。

しかしかとうれいこの一番の特色は彼女自身がその最大の悩殺兵器である豊かな胸をひどく嫌っていたということであった。最初にリリースされたビデオジャケットに「私はこの胸が嫌い」と書いていることなども普通では考えられないようなことであろう。

水着でのインタビューのたびに必ず彼女が「水着は嫌です」と繰り返す姿もあまり普通ではないほどのかたくなさであったが確かに彼女の水着写真を見込んでいると他の水着アイドルの写真から伝わってくる「どう、この胸!」というアピールが無いことに気がつく。隠したいのに絶対に隠すことなどできようもない圧倒的な豊乳の魅力、このアンバランスな関係がかとうれいこの魅力ではなかったろうか

その後の彼女のビデオにおいても見ることができない全盛期の彼女の胸を激しく揺らして浜辺を走るシーン。おそらく本当のサイズはIカップあたりである彼女の若い日の迫力にはその後のイエローキャブの多くの後輩たちもしのぐことができないほどのものである。

80年代の後半はAVビデオの世界から大きな胸の女性の輩出があいつぎアイドルビデオというものはそれらに押されてしまっている様相であったがその中にあってAVビデオに真っ向から対決できる見応えのあるアイドルビデオとして後世まで残るものとなった。

当時まだその後のようにイエローキャブ戦略とも呼べる独自のスタイルは確立されていなかったためかとうれいこの芸能界におけるステイタスもすぐには定まらなかった。

グラビアアイドルはいかに本人に魅力があっても何年もの間続けられるものではない、いずれは他の仕事にウェイトを移していかなくてはならない、しかも彼女自身は早く水着を辞めて音楽をやりたい、と願っている。けれどもグラビアにおけるトップアイドルというキャリアは音楽という分野ではほとんど役にたたない、そのことを野田氏はよくわかっていたのに違いない。

演技ができるかどうかはさておいてとにかく映画やドラマに出させることである。この作戦は成功であったともいえるし成功しなかったとも言えるだろう、確かに彼女は女優としてさしたる成果は出せなかったのかもしれないがしかしあまり露出しないことがかえってマニアの間では永遠に忘れることのない偶像、限られた世界で崇拝を受け続ける、そんな存在へとなっていったのである。

「女優かとうれいこ」は結局一時の企画で終わってしまったがわずかに残された作品の中では彼女のその時代にのみ出せ得るきらめきを感じることができる。珍しいノーブラ姿をも含めて。

93年に入ったころよりかとうれいこは数回のラスト水着宣言をした。

当時私たちは巨乳好き仲間の間で「まったく自分がなぜこんなに人気が出たのかわかってんのか」などと悪口を浴びせてしまったが後に考えてみればそのラスト宣言も彼女が常に語っていた水着はできれば早くやめたいというだけの希望を出版社が売り上げのため利用するためのコピーだったので彼女を責めるのは的はずれであったと思うようになった。

実際最後にしたいと彼女自身は希望を出したものの「もったいないです、あと1回だけお願いします」と熱心に説得されたのかもしれないのだし。本人が思い描く終わり方を回りは許さないこともあろう。

タレントは商品であり会社の売り上げ計画、システムの中に組み込まれている存在なのであるから。マスコミにとっては商品となる間は1枚でも2枚でもその写真を使いたい、本人の都合や希望などどうでもよい、ただそれだけのことだったのかもしれない。

グラビアを去った後バラエティー番組のゲストや音楽活動などでときおりかとうれいこの名を見かけることはあったもののごく地味で実質的にさしたる活動ではなかったようである。

イエローキャブの所属プロフィールにおいても彼女はすでにボディーサイズの表示はなくグラビアモデルとしての彼女の思い出もいつしか時の流れとともに風化してゆく。しかしグラビアとはそういうものでよいのかもしれない。ほんの数年を駆け抜けるからこそその記録は見る人たち自身の個人的思い出となるものなのであろう。

あの頃はあんなことがあったなあ、そんなふうに。でも今もあの頃もただ一つまったく変わっていないこと、月日が流れてようとも私たちは未だ永遠におっぱいに惹かれ続けている。

PS
2002年、かとうれいこさんはご結婚されました、これからもお幸せに。

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