万里昌代
この写真ではないのだがたぶん映画の宣伝用写真ではないかと思われるカラーで彼女の非常に美しい写真を見て一度映画も見てみたいと思い続けている。
顔立ちも外人ぽいところもあってこの当時は目立つ存在だったのであろう。第2次世界大戦が日本の降伏により終了したのが1945年でグラマー写真雑誌が興隆したのが1959年くらいからであるのでそのころ20歳前後であったモデルさんたちは生まれがほとんど戦時中ないしは戦前くらいということになり、そのころの日本の栄養事情が極めて劣悪であったことを思えばまったくよくがんばってこのように育ってくれたものだという感慨を覚えます。
池上麗子
最近ではどの人をまだ掲載していないかを忘れてしまうことが多く池上さんもテレビキャプ画像は載せたもののまだきちんとした写真を載せていなかったのを思い出したので改めての登場となった。
レベルの違いはあっても1950年代から今に至るまで大きな乳房を礼賛することはすたれるということなく続いているものなのだがこの人が活躍していた頃は時代としては一時的にテレビシーンでは巨乳が下火であった。
時代の流れの中で忘れ去られていくこんな子も今はネットで復活できるのだから思えば幸運なのかもしれませんね。
麻生奈美
レースクイーンは言うにおよばず「車回り」に抜擢される女性はアベレージが高いものの私のようにいくぶん屈折気味のマニアには「これといった欠点が無いのが欠点」などと思えて後回しにしてしまうことが多い。
仮にこの子とつきあえる、などということになっても私は「遠慮します」と言ってことわってしまうであろうことは確実であろうし。
この程度の胸のデコルテはもうモデルに当たり前に要求されるアベレージレベルなので巨乳さんに加えるのもかえって違和感があるのだがかといって石を投げればこのレベルに当たるか、と言われればそうでもないしもやもやしつつの掲載(笑
麻田奈美
奈美さんが2人続いてしまったがこちらは思いきり70年代を代表する方の奈美さん。数十年ぶりでリリースされた写真集というのはまだ私は見ていないのであるが思えばあのリンゴ写真以来彼女はまるでモナリザの絵くらい自分の中では有名なモデルであったのになぜかそのプロフィールについてはまったくと言っていいほど知らずかつ調べようという気持ちにもならなかった。
別に知識などはどうでもいいが確かにそのものがしっかりとした存在感を持っている、それが我らの世代にとっての奈美さんであるかもしれない。
潤ますみ(潤真理子)
私が日活ロマンポルノを初めて見たのはもう18才も終わるころの冬であったように覚えている。
そこで出ていたのが潤ますみさんだったのだが確かトルコ風呂(当時の呼び方で)のトルコ嬢の役であったろうか。地方都市のポルノ映画館は客もまばらで私たち仲間数人意外はぽつぽつと席に座っているおじさんたちがいるくらいであった。私はそれを見ながら映画の中のエッチシーンでは胸を揉んだり吸ったりする場面がほとんどない(わずかにしていたが)ことが不思議で当然自分もエッチな気持ちもまったくわき上がってこなかったものである。
寒くてそれどころじゃなかったという気もするが。
青山ミチ
すでに巨乳史特集5でかなりの写真を紹介した青山ミチさんであるがなおも興味がそそられ彼女の代表的グラビアともいえるこの写真に出会うことができた。
さりげなくクレジットされているB101cm、見たことのないようなお椀型の膨らみ、ジャズ歌手というプロフィール。美人とも言えないしこの肌のあらわな汚れ。その後絵に描いたような破滅劇を演じることになる彼女であるがまさに時代をはみ出した生々しい乳房グラビアと言えるだろう。
中山千夏
私より上の年代の人にとって中山千夏さんと言えばひょっこりひょうたん島の「博士」そのものでありセクシーグラビアのモデルどころかむしろ逆のボーイッシュな人であるという記憶しか思い浮かべられない人も多いに違いない。
しかしその後民放で見たドラマでも彼女はびっくりするような妖艶な女性らしさをふりまいており当時のNHK番組と民放番組の差異の大きさも感じたものである。
神崎優
よくビデオ屋さんで見かける母乳物ビデオというのは私は好きではないのだが母性的胸は好きである。
しかしどういう胸をもって母性的と言うかと問われるとこれまた説明ができないのである。例えばこの優さんのおっぱい。どうでしょう。私はとても母性的に感じられるのですけど。
岡元あつこ
学生時代から活発で芸能界へもアプローチするような子は自分には到底縁のない存在であまりシンパシーも感じられない存在ではあるのだが、そのようなバックグラウンドは置いておいて純粋にその胸を見るならばもう申し分のない豊かさ、どうしても触れあったりする妄想すら抱けないのだが鑑賞する対象としてはいいのかな。
小野愛
この子が外伝、というのも不思議ではあるがまあそういうことです。休日に田舎のソバ屋さんの天井近くに置いてあるテレビの中で出ているのを見たのが初めてであったが端正に形作られたビキニの胸しか見れないのは他のグラビアアイドルも同じことなのになぜ好みに差が生じるのだろうか、などと考えながら天ぷらを食べていてどうせならば水着グラビアなどやらないでおいたらいんではない?とも思った。
豊乳グラビアとは言え胸の大きさのみで優劣がつけられるものでもないが大きさはやはり越えがたい資産の差である。天は過酷な線引きを行うものなのだね。
麻生早苗
豊乳in My Lifeというページを始める前には受動的に自分を感じさせてくれる子のグラビアだけをとっておく習慣があったのがページを始めてからは積極的にグラビアを見入るようになったところが一番大きな変化であるかもしれない、その結果今まで何気なく見過ごしてきた写真の中にもなぜか自分にしっくりくるものが多くあるのだなあということに気がついたのである。
おそらく自分は最初に女の子とつきあうにあたりどうしても胸の大きな子しか選べないことは確かだがどのような形の胸なのかはある程度つきあってその子と抱き合えるようになってからでなくては完全にはわからない、そんなとき好きになった子の胸が自分にとっても愛おしいと思えるようになるものなのかどうか、、
美咲彩
風俗嬢なので一応画像がある程度古くなるのを待ってからの掲載とさせていただいた。この子の写真は私にこれから先の日本女性の巨乳の発展に関するインスピレーションを与えてくれた。
華奢な体躯につく脂肪型乳房ではおのずと大きさも形状保持能力も限界がくる。大味でデリカシーが無い、という感想を持つ人もまだ多いかもしれないがより大型化を目指すのならばぽちゃではないにせよ大柄な体躯と固めでがっちりしたパーツはどうしても必要になるのである。
もとより日本男性が外人女性の巨乳グラビアに抱く感覚は自分たちの手におえるようなかわいらしさではなかったはずである。もっともまだまだしばらくは日本女性の巨乳アイドルがこのようなタイプに変化していくには時間がかかると思われるのだが。
みつる
ハイレベルな巨乳さんがしのぎを削る風俗嬢グラビアにあって特に目を引かれたみつるさん。これは素晴らしいエロさです。なぜこのような感覚を起こさせる人とそうでない人が分かれるのか。これは私にもまだはっきり把握できないのだがおそらく極めて微妙な相違にすぎないのでしょう。
楠真由美
さすがに40代の垂れは感じられるもののまだ充分丸みのある乳房で扁平につぶれてはいない。ふわふわな熟女おっぱいの好きな向きにはたまらないものであろう。濃いめのメラニン色素で形どられた大きな乳輪が素敵です。
琴野まゆ
この子を私がとても好きなわけはおそらくこのページを見てくださっている方にはネタばれなのでしょうね。かつて熱烈に好きだった胸の豊かなアイドルに罪悪感を感じつつも琴野さんをオーバーラップさせることがあった。
理知的目鼻だちに横目使いやアヒル口まで良く似ていたし、美しすぎる釣り鐘の揺れももしかしたらその子も、と思わせるものであったし、、ごめんね、そのアイドル本人にも代替あつかいしたまゆさんにも。
小泉一十三
大阪万博の初めての夜のことはつい少し前のことのように思い出される。昼前からさんざん歩き列に並びそしてまた走る、の繰り返しで疲れ果てふと見上げた太陽の塔の目からまっすぐ伸びる強い光の筋が本当に未来を指し示す光のごとく思えた。
今はもう先週も先月も何も思い出になるようなことなどないし、だいたい何をしたんだったかさえ覚えていない。 大阪の後数年後に沖縄博も行ったしつくば博も行ったもののやはりあまり何があったかは覚えていない。
いっしょに行った友達には彼女がいて自分はいなかったな、そんなことくらいである。感性ってもしかしたら鈍らないでいてくれるのかも、なんて勝手な期待を抱くこともあるのだけどきっともう心の中のほとんどのネジは錆びて朽ち落ちてしまっているのかもしれないなね。今、あの頃の自分に戻って松金洋子さんや根本はるみさんを見たらどんなふうに感じるのだろうなあ。
これもまた永遠の謎
1960年代の週刊プレイボーイセンターフォールド
週刊プレイボーイが発刊にあたってアメリカのPLAYBOYとどのような業務提携を行うことにしたのかなどという細かいことは知らないのだが60年代の週プレはアメリカのPLAYBOYを習って雑誌の真ん中にセンターフォールドとしてこのような外人の写真を掲載していた。後に日本版PLAYBOYが創刊されてからはアメリカのPLAYMATEがそのまま日本版にも掲載されることになったがこのころはどうも週プレ用に特にモデルを用意していたようだ。
その中で特に私が好きであった写真の一つなのだが残念なことにモデルさんの名前がわからない。どなたかご存じでしたら教えてくだされば幸いです
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