桂奈美
時代など関係ないんだなあやっぱり。時代を遡ろうと考えた当初は自分がよく知らない時代の巨乳さんに果たして学術的な考察ではないもっと生々しい気持ちを感じるものだろうかと自分自身半信半疑であったのだがまったくそれは杞憂であった。
本当に出会えてよかったなあと思える写真が次々と出てくるのが今では密かな楽しみです。
青山京子
1980年、私は上京した。初めて知った六本木の夜の混雑。昼間これほど静かな街が夜が更けるほどに人の数が多くなる。いったいこれは何なんだろう、田舎育ちの私には深夜に何事もないようにビルから出てくる遊び慣れた風な女性たちを外国人のような気持ちで見ていた。
考えてみればずっと慣れ親しんできた週刊プレイボーイ、や平凡パンチ、平凡、明星で見ていた子たちはこんな世界で生きている別世界の人たちだったのだな、ということを初めて実感したのである。
横山エミー
「時代のあだ花」などという見出しが嫌いであった。美しいが無駄なグラビアなどあるものか。美しいグラビアを1枚でも世に出せればそれでもうしっかり実は結んだのである。
井本選手の名は残念ながら人々の中にさほど残らないかもしれないがその井本のパンツを洗ってあげたい、と去っていったエミーさんのことは多くの男性の心の片隅にいつまでも残っている。ゆえにかえって90年代になって発表したグラビアは悲しいものがあった。
真理明美
デビュー作品の題名が「モンローのような女」といういかにもというタイトルであるから、さもありなんという感じであるが当時このバストラインはまさに日本人離れしたものであった。しかし彼女は本家のモンローのようにセックスシンボルになることはなかったがこれはおそらく当時まだセクシー女優が一般の若い世代に広く愛好されるようになるためのマスメディアが整っていなかったことも大きいように思われる。
結局若者の間で一人のの女性が絶大な人気を博するようになるのはこの10年後のアグネスラムの登場までかかるのである。
渚まり
フーテンの寅という名前について一応私たちの世代はフーテンの意味をおぼろげながら理解しているのだが考えてみれば若い人たちは何の意味なのかさっぱりわからないのではないだろうか。
私たちにしてもさらにその前のみゆき族とかヒッピー族とか言われるとさっぱりで ある。かすかに記憶に残っている雑誌でGo Goを踊る東京の若者たち、というような写真記事に出ていた子はこんな髪型であったように思える。まだその服の下の膨らみへのあこがれは覚醒していなかったのであるが。
亜里香
このような美少女タイプの子は豊かな胸をしているのをつい見逃してしまうことがあるが、この亜里香さんもボーイッシュな美少女フェイスと実によいところでバランスをとっているふっくらした胸が逸品であろう。
これより小さいとボーイッシュな面が勝ちすぎてしまうし、これより大きいと逆に際物っぽくなるし。後に名前を変えて写真集も出したが古本屋でまた探してみたい気持ちになった。
谷ナオミ
谷さんについては70年代以降の活躍を懐かしく覚えていらっしゃる方が多いかと思うがデビュー当時は96cmの豊満な胸が「男殺しのおっぱい」の異名をとっていた。
哀れを誘う顔がいつしか彼女を厳しい道へと導いてしまった感もあるがしかし女王とまで称されるようになるとは当時の彼女自身も想像だにしていなかったかもしれない。
沙川菜緒
私の1996年ごろは青裕に入れ込むあまり見落としてきてしまった子が多いようである。平成女学園もたまにしか見ることができなかったということもあるのだが、ある方のおかげでこの沙川さんを再発見することができてとても感謝しています。
潰してしまうと目立たないおっぱいのようだけどそれがまた出すぎない良さのようなものも醸し出していますね。
ポーラ野沢
1970年代の後半はCM史においてもかなり重要な時期であるらしい、それまで商品の名称や写真を中心にあくまで「宣伝」という最終意図を外さないように作られていたCMやポスターがそのもので一つの完結した作品に進化してその分商品そのものからは遠いところからイメージを表現することになる。
ゆえにCMやポスターからよいアイドルがたくさん出現することになった。確かこのポーラさんは全日空のポスターが印象に残っています。
辰巳典子
「達見」と記載されている場合もあるがおそらくそちらは本名ではないだろうか。身長が154cmと低いので当時SONYの電子技術の代名詞となり始めていた「トランジスター」だけど「グラマー」という表現がなされておりおそらくこのころがこのトラグラ(トランジスタグラマーの略語)という語が使われはじめた走りではなかろうかと思われます。
竹村由里
当時もバラエティー番組のちょっとしたアシスタントでよいおっぱいの子を見かけることがあったのだがまだホームビデオも普及していず録画ということができなかったため忘れ去られていった子の数は多い。
私もテレビでのこの子の記憶は非常におぼろげでしかないのだがこうしてスクラップをとってあったのはよかったなあ。ああ、ご本人に是非発見してもらいたいものです。
注)竹村さんはすでに外伝2で載せていました。あちゃー だぶってしまいました(汗
椎名みずき
ここで一つお断りしておかなくてはいけないのですがAVや風俗関係の女性についてはたとえそのてのメディアに顔を出して写っていてもそれは相当のリスクを覚悟して、またその出版社等にいざという場合の手配を準備した上での掲載であることがほとんであるので私のところとしては顔はできるだけわからない処理をすることにしました。
しかしその人の顔と胸の両方がミックスされて全体の雰囲気を形作っているのでこれは残念ではあるのですがやはりそこは被写体ご本人の保護も大切であると考えるわけです。
ということでこのみずきさん、かわいいんですよー ほんとに「奥さんにしたい」と言いきっちゃいたくなるタイプです。
中島秀美 / 風かおる
1980年代の前半から中盤が日本の巨乳史において谷間の時期であったということは多くの人が説いているところである。
アダルトビデオの分野で80年代半ばから巨乳物がジャンルとして確立されて突破口が開かれるのであるがそれまでの数年はグラビア、ポルノとも巨乳の人気タレントの輩出率は非常に低い、ここにあげた二人もそんな時代の数少ない豊かな胸の女優であるが当時の雑誌などを見ても一時的に男性が女性に対して性において優位に立ったというような証拠は見られず、むしろどんどん男性に対して優位性を増していく女性に抵抗した最後の時代であったのかもしれない。
この後男性は際限なく女性に甘える方向に進むかさもなければ優位性をロリータやアニメという架空のものに求めるようになってしまうのである。
南ももこ
ももこさんが持っているビデオカメラが時代を感じさせる形ですね。
よく思うのはタイムマシンで70年代にテレビとビデオデッキ、ビデオカメラを持っていけたらなあということです。高校の文化祭で講堂の片隅から眺めたあの豊かな胸の上級生の姿を今また見ることができたらなあ、、
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