「ついに実践と検証を開始する時がきた」

2006年 初春
今朝は医師は回診も来ないし看護士さんが検温も血圧も測りにこない。まだ一応入院しているのになあ、この何もなさはなんということだろう。しばしぽつねんとベッドの上に座りこんで見るともなしに外を眺めている。いい天気だな、かなり寒そうだな。
一応形式的にでも検温でも血圧でも脈でも測ってくれればいいのになあ。痛みがなくなったらもうここには用事がないってことなのかしらね、、
しかたなくまだ一人でベットに座って時間が過ぎるのを待つ。夕方くらいになってようやく看護士さんが熱を測ってくださいと来たので今日唯一の仕事にかかる。当然ながら私がどういう状態の人なのかは連絡を受けているらしい。看護士さんは小さい声で「悲しいことになってしまったからね」と一言言ったがそれ以上は何を話してよいかわからないようであった。
昨日の夜に見せてもらったDVDの画像を思い出す。薄い膜のあちこちに白い半透明の玉がいくつもくっついている。膜だから切ってしまうとまるで駄菓子屋で売っていたゴムで包んだ丸い水羊羹のようにいっきに膜が縮んでしまったりするんだろうか。そうでなかったらあの白い玉を一つずつピンセットで潰してやりたいもんだ。ブチーッっと潰したら中には何が入ってるんだろうな。無数の癌細胞?そいついらはまた周囲に飛び散ってカビのようにそこから繁殖するんだろうか。顕微鏡で見てみたいな、それこそ小さいころから自分が思い描いていた仕事の姿ではないか。
話を聞いたときにはさほどなんとも思わなかったのだが夜になり消灯の時間がきたらとたんに不思議な怖い気持ちがわきあがってきた。そうなんだ、、、、やっぱり自分はもうすぐ、、なんだ。
「きついことをお話ししなくてはならないのですが。」 と前置きしてから外科の先生は腹腔鏡検査の結果を説明しはじめた。やはり医療のテクノロジーは進歩しているんだな、腹腔鏡でお腹の中を海底探査のようにたどっていく様が今はDVDに録画されていてPCにDVDを入れてやって再生しながら動画で説明ができるようになっているのだ。画面に映し出される臓器をまるで理科の授業を受けるような気分で眺めていた、そういえば昔の教科書でなぜか胆嚢は緑色で描かれていたが本当に緑色なのかな、、
「ここが腹膜ですが全体にこのように白い玉のようなものがたくさんできていてこれが癌なんです」と先生は説明していく
まあなんということ、下駄箱をずっと閉めきっていたら中の棚板に白いカビがびっしり生えたみたいになっている。カビキラーみたいな抗癌剤をここに撒いたらいいんではないのかな。ダグラス禍のところにすっぽりはまるように大きな癌の玉がいやがった、これうっとうしくていやだなあ、これだけでもとりあえず切り取っておいてくれたらよかったのに。次に鏡は上行して肝臓のほうにむかっていく。「肝臓にも転移が見られました。それと気になるのは腹腔内の液がこのように赤みがかっていてたぶん癌から出血があるかもしれないことなんです」
ひととおり説明をして画像を停止させて先生はしばし間をあけてから話しはじめた。
「これからの1、2ヶ月が+++さんにとってとても大切な時間となるでしょう。このまま推移すると寿命は、、、1年以内であると思われます」
今まで多くの人がこれまでこのようにして宣告を受けてきたんだろうなあ、そういうときみんなどういう反応をしたんだろうな。なぜかあまり動揺もせずさりとてうれしいわけはなく、うまく説明しにくいがたとえると「第3者の話を聞く」ような気分でもあった。そうなのか、あと1年、、、今のように元気でいられるのは2ヶ月くらいでそのあと具合の悪さが出てくるってことなのか。2ヶ月、、8週間か、あっというまだろうなあ、8週間なんてさ。
一階に降りて外来待合の横を通って受付窓口のほうへ歩く。午前のまぶしい光が中庭を照らしている。なんとなく水っぽい視界のむこうからたっぷりな胸のママさんが小さい女の子を連れて歩いてきた。あ、あれは近くのスーパーマーケットでレジをしている人だな。そうかママさんだったのかやっぱり。中庭に近い日の当たっているソファに腰掛けてしばらくその親子を眺めた。脇から背中にかけて食い込んでいるブラのバンドに視線が釘付けになる。 そうか、もう自分には時間がないんだよね。もうあそこにたどりつけることはないのかな。

グローバル化、変革、勝たなくてはいけない戦い、利益重視、成果による評価、、
そんな言葉ばかりにどっぷりつかってきた毎日。でも生活していくためには仕事をしなくてはならないのだしね。必死に勝ち続けなくてはならない世界とはもうおさらばすることになった。しかしそれでも今後しばらくの間でも仕事をしようとしたらまだそのような激流の中に身をおかなくてはいけない。もういっしょうけんめい泳ぐ気などない、というか元々ないんですけどね。しかしこれからおそらくかかってくる高額医療費だって払い続けないといけないのだからなあ。
自分は何のためにこうして生きてきたのかなあ。本当に自分が望むものってたいしたものではないんだよね。自己満足でいいからかっこよくベース弾きまくって。夜になったら巨大な鏡餅のように白くてなめらかで柔らかなおっぱいに顔を思い切り埋めて朝まで幸せな時間をすごしたい。それだけ、それが私にとって夢の生活。あとはカレーライスとかハンバーガーとかコーラとかラーメンにビールと餃子、そんなもので十分だよ。他のものには執着などはないさ。でもそんなことがとてつもなく難しかった。どうしてもたどりつけないものがあった。コーラだけはたくさん飲んだけどね。そして毎日また仕事だけをして、手のとどくところにおっぱいはない、果てしない遠いところにしかそれはない。
誇り高い立派な人生の幕引きなんてとうてい自分にはできそうにない。だって「残る時間をせいいっぱい」っていう気持ちにどうしてもならないんだもん。もはや将来を考えることもできないのだし。
ノートを出してとりあえず残る日々でしたいことを書き出してみる。
「爆乳さんと1泊2日で温泉旅行をすること」
「録音すること」
「ページ更新、ラストを作成」
「みそラーメン、餃子、生ビールを飲むこと」
「古本屋に行くこと」
・・・
・・・
やっぱり1番目の目標が一番大変そうだな。風俗の女性で十分な謝礼をもって一晩温泉に行ってくれる人などいないもんだろうか、、しかし書いてて笑えるな。やっぱり自分はこういうレベルの人間だったんだなあ、一つくらい他人を感動させることが出てきてもよさそうなもんだが見事に無い。いくつか書きとめたところで自分の中にふと大事なことがあるのが頭をよぎった。
そうだ、中学1年のときの担任の女の先生に会いたい。その人はおそらく自分の初恋の対象だったに違いない。そんなはずはないとそのころは思おうとしていたけど終業式の日部屋に帰って仰向けになったらとめどなく涙があふれたのだった。その一度だけだった、あんなにも貧乳な女性に焦がれたのは。おそらく100%Aカップのブラが夏はブラウスにくっきりそのレース模様を透けさせていたのだったな。
当時先生が30代半ばであったとして今は、、えっと70歳くらいかな。今の女性の平均寿命からしたらまだご息災である可能性のほうがずっと高いだろう。さっそくネットで出身中学のホームページを調べて連絡先を調べた。こんな自分でも過去に置き忘れた大事なことはあるのだな。そうして思いめぐらすと他にもいろいろ見てみたい古いものがたくさん思い浮かんだりするのだがいずれもおそらくは不可能なものばかりである。その中であの先生に会うことだけは一番現実的に可能なことであるかもしれない。
しかしこれは今すぐにはやらないでおこう、あえてもう少し体が危なくなって来始めてからにしよう。考えているとその頃のことがいくつか頭に蘇ってきた。
そう、ある日曜日自分はその先生の家のほうにずいぶんな距離を歩いて行ったことがあった。でもなぜそんなことをしようとしたのかわからない。電車やバスで行けない時代でもあるまいになんで自分は歩いていったんだろう。ただそのときの周囲の景色だけが今でも妙にはっきりと思い出せる。変電所、自動車整備工場、スーパーマーケット、関東らしい荒れた田畑。
もちろん先生の家には行けなかった。遠すぎたからではなくて場所を知らないからだ。そう、もしかして先生が他の生徒と雑談している時自分の家はどのあたりだという話をしていたのを横で聞いてそのあたりに行ってみたのかもしれない。帰り道はとんでもなく遠かった。高圧線の鉄塔がどこまでも続いている。大きくなった夕日が西方の山の稜線あたりに落ちようとしていた。なんでこんな馬鹿みたいな長距離散歩をしたのやらと思った。万一ばったり先生に会ったとしたってどうすることができるわけでもないのに。
あのとき自分は初めて切ないっていう気持ちを知ったんだろうと思う。すでにそれ以前から自分は女性の胸の膨らみへの異様なまでの関心を感じてはいた。しかし自分はそうでない人へ恋心を抱いた。これはけっして矛盾したできごとではないように思える。しかしその後さらに強くなってゆく胸への執着が自分のそうでない部分を飲みこんでしまったのだろうと思う。
先に入院していた病院からの紹介状でガン基幹病院に転院した。
当たり前のことだけどここに来ている患者さんはほぼ全員ガンなのだろう。だから普通の病院とは雰囲気が違う気がする。
これまでのすべての検査結果や画像をすでに見ていた若い担当医師は前の病院の医師以上にはっきりと「このまま推移すると余命は半年から1年です」と言った。言い方に抑揚がないのは別にいいのよー ってなんでいきなり半年短くなっちゃうわけ? そのわりにえらい元気なんですけど。どうもこれまでいろいろ聞いてきたガン告知とイメージが違うなあ、というかまるで役所で何かの手続きでもしているように淡々と物事が過ぎていってしまってまるで重大事のような感じがない。「対応としては化学療法がありますが効果は実証されています。これで約20ヶ月程度延命が図れます。」はあそうですか。
でこっちも熟慮するというようなモードではなくなってしまって、流れ作業のように「じゃあそれをやります」とあっけなくこれからの方針は決まって。ではさっそくですが血液検査をしてもらってそのあと点滴のためのポートを埋める手術をしていってください。え、今すぐ手術するの? ととまどうまもなくたちまち簡易手術室であっさりとポートが装着された。給油口みたいなものなのね。
なんかどうも妙だなあ。半年で死ぬって言われたあとの行動じゃない。とりあえず時間がちょっとあったのでゲームセンターでクレーンゲームをする。 ガンダム物はどうしてもほしくなってしまう。おかげでザクの一個部隊が編成できるくらいの数を持っていたことがある。えーそれでーなんでこんな日にあいかわらず自分はこんなことしてるんでしょ? ひょっとして得意技の現実逃避なのかな?でもそれはいいかもしれない。いつも恐怖にさいなまれるより逃避できちゃうのはすごい才能かもしれないな。
初回の抗癌剤点滴は副作用程度を見るために入院で行った。さすがに選択毒性が完全じゃない抗癌剤だけのことはあって起き上がることのできないすごいだるさに発汗に吐き気、やっとこ病気っぽくなってきやがったなという感じである。本当はここで次回も入院を選択すべきだったのだが間違って「なんとか外来点滴でも大丈夫そうです」と言ってしまたのがまずかった。
2週後の外来での点滴。48時間点滴のタンクをつけ終わると看護師さんは では次回の予約と会計をしてお帰りください、とあっさり言っていなくなった。しかしものすごいだるさに眠さ。これで帰れるのか!? と後悔したがもうほっぽりだされたのだからなんとか帰るしかない。朦朧とする意識の中でなんとか財布を出そうにも中に入っている札の種類も判別できないほどの眠さ。もう何をどうしたのか自分でもよくわからないがなんとかタクシーを呼んで家に帰りついてばたりと寝込む。
表で近所の中学生くらいの子たちがサッカーをしている声や音が聞こえる。そのとたんひどい絶望感に包まれた。「こんなことしたって治るわけじゃないんだ!」とにかくだるいしゲロゲロ。でもこれからいずれ味わう辛さはこの100倍、200倍なのか。
どんな姿勢をとっても楽にならない長い時間をようやくやりすごしたら時間は翌日の夜中になっていた。一つ大切なことを忘れていた、そうだ、やりたいこと、あまりに身近すぎて忘れていることがあるのだったよ。自分にはやはりこれしかないんだ。いろいろなことを書いたけど他すべてがかなわなかったとしてもこれだけはしておこう。投薬と投薬の間の最も体調が戻るワンポイントの日を使うのはこれしかない。

2006年 春
携帯電話を切ったら脱力感がやってきた。
もう何日もの間毎日ネットのその店のHPを穴があくくらい見て何かしら難点はないか神経をとぎすませて写真を何度も眺めた。その女性の写真は店のHPに掲載されていない、しかしとある方からすごい胸の大きさであると聞いていた。しかし具体的な行動ってあっけなく済んでしまうんだな。まてまてそんなこと言ってる場合じゃない、いよいよ女神様に会いに行くんだから。
急いでシャワーに入って下着も新しくして出かけなくては。風呂にいく前に風呂にはいる、というのがなんとなく可笑しくてシャワーをあびながら笑ってしまった。普通こんなことせんのだろうなたぶん。なんか汚い体でいくのは失礼な気がしてしまい、きちんとシャワーを浴びてから行きたかった。
駅から少しはなれた場末にある間口の狭い店を地図を見ながらようやく見つけてなんか気後れしつつも足早に入り口に飛び込んだ。なんとなく落ち着かない気持ちでソファで待つこと十数分、どうぞこちらへと案内されながらちらっとだけ階段の端に立っている女性の姿が見えた。自分の最後のライフワークの初回をかざることになる人だ。
部屋のヘリのあたりで下着をとっているAさんの胸は驚きだった。かがんでいるとおへその下にまで来て膝につきそうになっている。いきなりどぎまぎした気分になったがうろたえるのも見苦しいのでじっとしていた。脱ぎ終わったAさんは「服かけますよ?」とハンガーを持ってきてくれる。さばさばした男っぽいしゃべりかたの人だ。ひどく不思議な気分、脚が地につかない浮遊するような感覚、それにしても斜め後ろ少し下側より見る彼女の乳房のなんという大きさ。そう、おっぱいを見るにもいろいろな角度があるが本当に巨乳を感じるのはこのような後方位置から見るときに違いない。おそらくこのことだけでも自分にとっては今日来たことを後悔させないだけの大きな発見であると感じた。ぼんやりと胸に見とれていたら彼女はちょっと不思議そうにこちらを見た。
おずおずと 下から持ってみてもいいですか?と聞いて持ち上げてみる。手の上にある乳房のこの重量はなんということ。脂肪だけでできているわけではない、ほかのものもあるのかしら、すごい持ち上げるのにも大変な高密度。たぶん両方で5Kgは超えそうである。
「ほんとじゃまで大変だよこんなに大きいとさー」
いしょに浴槽に入って彼女は話す。これほど重量のある乳房でも比重は1よりは小さいようで湯の中で大きな風船のような胸がようやく乳房の下側が体から離れて浮き気味になっている。
ようやく少し雰囲気にも慣れてきて横になって胸をいろいろな部分から触れてみる。そのことに気がつくのにいくらも時間はかからなかったが、どうにもうまく甘えられない。
うーんうまくいかない、まだあせっているのかな。どうしたらいいんだろ。
原付バイクにだけしか乗っていなかった者がいきなり大きなハーレーを取り回そうとして上手くいかず四苦八苦している様子を思いうかべるといい。そうなのか、なるほどなあ。 下から顔を押し当てようにも膝までつくほどの大きさなので姿勢を思い切り不自然にして下から顔を入れないといけないのだが入れると今度はその乳房の重さで容易にうまく持ち上がらない。なるほど造形の美しさと実際にじゃれるのは両立しにくいんだなあ。 焦ってしまうとますます悪戦苦闘状態になるからとりあえずいったん仰向けになってもらおう。と仰向けになってもらいようやく腕全体でその素晴らしい容量の乳房を抱え込んで顔を押し当てることができた。
2m前で前かがみになっていろいろやている彼女を斜め後ろから見る。その角度から見る揺れ動く乳房。そうか、触れないほうが心が揺さぶられるものっていうのがあるんだ。ミロのビーナスに触ったってそれは冷たく硬い石膏にすぎない。おっぱいは違う、柔らかく暖かく、だから触れたい、ずっと触れていたい。なのにそれでもなお触れないゆえにわかる魅力があるのだ。逆に見ているだけでわからない触れて初めてわかる魅力もあろう。
自分が寝たところで上からおっぱいを乗せてもらいたいなあと願ったが彼女は少し躊躇している。IカップくらいならまだなんとかなるけどAさんほどになると重すぎて本当に危ない、きっと気持ちだってよくないのでは、と心配しているようだった。自分には確かにMな感情がはいっている。窒息させてもらいたい、制圧してしまってください。
本当に重くてもかまわないから。しかし結局彼女は気を遣ったのかそのようにはしてくれず少し顔からずらしたところに胸を乗せた。私に女神が見えた。これで死ねたら本望だよ。映画でもう死にそうなおじいさんが看護婦さんのおっぱいに吸い付いているシーンがあったな。実際そんなことしてくれる看護婦さんがいるわけもないか。今のうちしかないんだ、今のうち。 結局何がなにやらよくわからないうちに時間が過ぎてしまった。でも初めてなのだから無理もないか。初めてでいきなり女神と出会ってしまったのだしね。

桜を見に行く。何事も今年が最後になってもいいように当たり前のことをちゃんとやっておきたい。藤原正彦さんが書いていたのだったように思うが花のわずか1、2週間の期間以外はでくのぼうの木を日本人は愛している。ほんとに花の季節以外はあるのかないのかもわからずにいるのだがこの季節だけはこんなにもたくさんあったのかと驚く。近所のゴルフ場のクラブハウスに登ってゆく道沿いが桜にレンギョウに雪柳が並木になっていてとてもきれいだ。クラブハウスの近くまで上がると西のほうに山々が見える。老後はまた山に住みたいと思っていた。今は山の家でもインターネット環境はそこそこそろっているからそこで晴耕雨読ならぬ晴耕雨ネットをして暮らせたらと思っていたのだがもうそれを考えることも意味がなくなった。老後を考える必要がなくなったのは楽になったとも言えるが。
もっと貯金があればよかったのだがなああるのは家のローンだけ、これは悪いけど後は野となれで死んだら逃げさせてもらう。まあ住宅金融公庫は現物を担保にしてるんだからいいだろう。どうもこういうことをきちんと手配しておくのがひどく億劫でならない、本当は最も大切なはずなのにねえ。
ネット通販で大きなサイズのブラをせっせと探す。Aさんにちょうど合うブラをプレゼントしたいということもあるが大きなブラ探すことそのものが楽しい。日本女性の胸がいくら大きくなったとはいえアメリカやヨーロッパでみかけるおばさんたちのとんでもない大きさはやはり日本とは段違いであるから外国製には大きなものがそろっている。とは言え通販ではファッション性の高いブランド物がメインとなるので日本サイズでM、N、Oくらいまでが販売されている。AさんはおそらくM、N程度であると判断できたのでそのあたりのものとOカップ相当のものを購入。研究報告を行うときに国産Iカップで内容積を測定したがOカップ(アメリカサイズ表記でJJカップ)の内容積でさっそく試しに量ってみるとなかなかうまくいかなかったのであるがほぼ2000~2300ccというところであった。比重1として2Kg強 Aさんの胸を持ち上げてみたときの重量推定とほぼ一致しているようだ。
ブラジャーというものは人類史上最もすぐれた発明であると思っている。日本はさらしで胸をつぶして着物を着る文化が生まれてしまったがために乳房の開放に西欧に比べて数百年の遅れをとってしまった。しかし戦後それを他の分野同様にすごい勢いで挽回した結果がここにきて花開いてきている。 日本の若い女性はダイエット、スレンダーグラマー志向も高いのでこれからは微妙なところだがそうなるとどうしても巨乳はぽちゃ系が主になっていくのはアメリカと同じであるかもしれない。全体バランス、美を求める巨乳マニアには不快なことであるかもしれないが自分のように肉に食い込むブラの背中やサイドボーンを見て快感を得るような者にとってはまあそれでいいかという思いもある。
Aさんはスレンダーではないがぽちゃではない普通範囲の体型なのでそこにあの胸というのはまだまだ希少な存在であろう。
もうそろそろ梅雨に入ろうとしている。蒸し暑くなってきた。
わざわざアメリカから昔の職場での同僚(というか正確には部下)の女性が尋ねてきた。今はアートの仕事をしていてそのため講演やイベントのための来日であるがわざわざ来てくれるのはうれしい。それにしても老けたなあ彼女も、まだ彼女が大学を出て1年くらいたったころに出会ったのだからさもありなん。胸もけっこう垂れてきてるようだし。彼女は自分が胸フェチであることをよく知っているから食事中に あ、すごい人がいる、とか言ってきょろきょろしてもかまわず気軽に話せる。胸の小さい女性とは普通に会話できるから気が楽だ、どうしても大きい女性とだと落ち着かない。だから彼女との一日は非常に楽な時間であった。とはいうものの今年になって巨乳風俗をいっしょうけんめい探して回っています、とは話せなかったが。

2006年 夏
その女性は信号が黄色になると右腕でたわわな胸を抱え込んで横断歩道を小走りにこちらにむかってやがて数メートルの横をすれ違って消えていった。
それは数秒の光景でしかない。しかしそれが自分の精神を根元から揺るがすほどの衝撃になる。何か特定のことに後悔しているのではない、すべて、自分がどうしてこういう自分であるのか、そのことがやりきれない。過去がまるで高波のようにいっせいにおそいかかってくるような気持ちだ。もう自分はやり直すことなどできないのだ。なんでもないように安定させていられるような精神は実はものすごい危うい、まるで狭い岩山の頂上に置かれた球のようなものなのかもしれない。「なぜこうなったんだろうか」最大の謎はおそらく解けないまま終わるだろう。おっぱいだけが依然自分の心をわしづかみにする「痛いでしょ、さあ、苦しみなさい、どうしようもないことが世の中にはあることを知るのよ」なぜなんだろう、自分は生身のおっぱいを手にして口をつけ、その柔らかさも硬さも頬で感じることもできたのに、それは何の防衛にもなっていないというのか。横断歩道を渡り終えて振り返ると梅雨明け間近のどんよりとした空の下に彼女の後姿が小さく消えてゆこうとしている。この大都会の中に自分にとって最高の乳房というものが存在するのであろうか、「最高」とはどういうものなんだろう、それにめぐり合える人もいるのだろうか。
やはり癌闘病に関する本は多いもんだなあ、しかし買ってはみたもののまるで読む気になれない。読むのが怖いわけでもない、ただ面倒なだけなのだ。今にこれらが必要になる日も来るのかもしれないし来ないのかもしれないし、読んでおくほうが有意義なのかもしれないけどとにかく読む気になんないのだからしかたない。それよりガンダムオリジンとかを読んでいるほうが楽しい。物はむなしいなあ、「物より思い出」などという宣伝コピーを好きになれなかったけどけっこうこれは真実かもしれない。死ぬ寸前に人はすべての記憶をリピートすると言うけどそれならいい思い出を一つでも入れておくほうがいいのかもしれないし。でも思い出したくない嫌な思い出もどうしてもある。あの借金であえいでいた日々、あんなものが最後に出てきた日には死ぬに死ねない。「ごみ箱」に移動して削除してやりたい思い出ファイルだ。
今年になってよく同じ会議に出るその子はいつも胸の谷間を露わにした服で仕事をしている。大きさはF~Gくらいかな。巨乳の基準がH~Iカップ以上になった時代とはいえやはり目立つ。それにしてもなんでこの子はこういつも無造作に露出させているんだろう。彼女は自分のセクシーさをアピールしているという仕草はいっさいしない、それどころかまったくつきあっている彼氏もいないのではなかろうかと思えるほどセクシーさがまるで無い。なんだけどなぜか胸だけはいつも強調している。どうもこのちぐはぐさがいつも気になる。おかげでその子といっしょの会議では頭の90%はそのことを考えて残り10%弱で会議に参加している。今日は特に会議で発言する気もなかったのでなおさらおっぱいのことだけを考えていた。しかし彼女の場合妄想に浸るのにも相当にエネルギーが必要だ。セックスアピールしている子については自然に妄想が浮かぶものであるが彼女の場合には感じたときの声だとか甘える仕草だとかを想像するのに1から自分で作成しないといけない。おっぱいの先端を舌でなめてあげたらどうなるんだろうなあと思えどなかなかマッチする場面が浮かんでこない、そんなこんなしていたら会議がどこを話題にしているのかわからなくなった。
乳輪は大きいのかなあ、小さいのかなあ、どんな色だろうな。舌でころがしてあげたらやっぱり乳頭は固くなるかしら。あ、なんかだれか自分に質問したような気もするな。
「あ、はい、まあいいと思います」
あらら、やっちゃったかな?

JRのグリーン車は快適だ。風俗に行くためにわざわざグリーン車で上京ってちょっと面白いな。何に使おうと自分の時間の使い方、世間的には顰蹙を買おうがなんだろうが関係ない。車窓の外は真夏の太陽が照りつけている、夏ってだいたい何をしていたのだったかな、そうか、バンドか。当然だな、それよりもずっと昔は山に行っていたのだっけ。炎天下でも熱心にテニスしていたこともあった。
海にも連れていってもらったなあ。そこまで思いめぐらすと何年前のことになるのか、伊豆七島の中の島に遊びにいったときに入り江で見かけた女性の胸の映像が鮮明に蘇った。赤いビキニ、あまりになだらかな隆起のため巨乳という感じに見えないないのにやけに豊かでビキニの周囲全体が歩くたびに振動している。島のまぶしい太陽に照らされて日焼けした肌の上に水滴が筋を作って胸の下へと流れている。あんまり思い出すのはやめよう、どうしてもいかなる心の隙間からでもいつも過去が忍び寄ってくる、それをいっしょうけんめいシリコンシーリングで埋めていく日々。
もう過去に何ができていてもできていなくてもしかたないのだから、これは病気になっていなくたって同じこと、ただそれをより露につきつけられるだけのことなのだ。きっと病気になっていなくたって自分は今ろくなことをしているわけはないのだ。必ずや今よりももっとろくでもないことをしているに決まっている。それに比べれば今これから自分にとって最も大切なおっぱいに会いに行くなんてなんという充実した時間の使い方であろうか。
山の手線に乗るのもずいぶん久しぶりのように思えてしまう。体力をあまり消耗しないようにできるだけゆっくりと駅の構内を歩く。少し時間があるからアイスオレでも飲んでいこうかな、今日はタバコ解禁日にしているのだしね。
今日はAさんのところではない、ぽちゃ系の風俗である。Lカップを標榜しているがネットに掲載されている写真より判別して間違いなくAさんほど大きくはないということは最初からわかった上でである。実際はほぼH~Iカップであろう。Iカップで「さほど大きくない」などとあたりまえのことのように書いている自分ももう相当まともじゃないだろうということはわかるがやはりAさん、そしてまだ直接見たことはないが日本女性のレベルを一回り超えてしまっているあのすごい風俗嬢などの画像を見慣れてくるとIでもかつてのFくらいに感じられてしまうものである。この慣れというのは本当に始末が悪いものだ。
デリバリーヘルスというのは初めてで指定された駅の周りをうろうろとしてしまう。どのホテルを選んだらいいだろう。昼間もホテル街は本当の恋人どうしなのか風俗嬢との同伴なのかよく見分けのつかない二人組が次々とホテルに入ってゆく。胸を露わに強調している女性がいたが彼女は風俗嬢なんだろう。しかしどう見てもそうは思えない女性が歩いている、ところが間もなく彼女は一人でホテルに入っていってしまった。なるほどなあ、、、
などと観察している場合じゃない、どこに入ろうか。とりあえず適当なところに入るも満室、あるいは高い値段の部屋しか空いていない。いけないこんなことしていると時間に遅れてしまう。急いで3軒くらい入ってよさそうなところを見つけた。狭い部屋だけどまあいい。やれやれ暑い暑い。
部屋からお店に電話してしばらくするとOさんがやってきた。
どの風俗も同じではあろうがなじみのお客さんではない全く初めてのお客のところに一人で行くというのは不安なものではないかなあ。だから最初に部屋にはいったら自分がどんな人間なのかできるだけ早くわかってもらえるようこちらも気を配ってあげないとね。
とても丁寧な接客をするOさんはブラをはずすとハの字型に外に開く典型的ぽちゃタイプのおっぱいである。予想どおりジャストHカップくらい、だから十分な巨乳さんなのだがどうもAさんを見てしまっているのでどうしても「かわいいおっぱい」という印象を抱いてしまう。あーほんとにこの自分の狂った基準をなんとかしてくれ。
Oさんはサービス濃厚であった。Aさんに会ったときなんとも思わなかったのであるが風俗の本来の目的はHに決まっているんだよな。自分がついおっぱいだけに集中していてそのことさえも忘れていたのである。 Oさんのサービスで初めて、あ、そうか自分は今風俗に来てるんだったなどと馬鹿なことを認識してしまった。しかしおそらくは病気のせいで今の自分はもう下半身は力がない。やっとのことで立ってもすぐにへたってしまうしあまりこすられてももう痛くなってしまう。反応しないと申し訳ないように思うもののこればかりはだめなときはだめであせるとなおさらだめになるし。しかしOさんおそらく相当テクニシャンなのかもしれない。情けない私の下半身をゆっくり丁寧に扱ってくれた。
Oさんの胸はAさんに比べてやわらかい。しかしまったくのふわふわ型ではなく仰向けになってもかなり隆起を保っている。吸ったり埋めたりするにはこのくらいの大きさが適当なのかなあ、
しかし贅沢を言えばもうちょっとだけ大きいくらいがいいかな。自分にはJカップくらいが甘え遊びするには一番いい大きさなのかもしれない。Oさんは甘えっ子タイプの客の心理もよくわかっているようでしばらくすると彼女はゆっくりと上から顔に胸を乗せてくれた。Aさんのように凶器的重量ではないもののIカップのレベルなら窒息するには充分である。それにしても自分はなんで何年もの間このような遊びをせずにいたんだろう。
ただ一人のおっぱいを選ぶということは不可能なことなのかもしれないな。しかし自分は長い年月その幻想を持ち続けていたのかもしれない。グラビア写真などで見るとほとんど個性のない胸も実際ゆっくりくまなく触れると人によって様々である。それはほんの微妙な感触の違いであることもある。しかし官能は敏感にそれを区別できる。残念ながら今になって始めたらもうそんな人数の胸には触れられないだろうけどできるだけいろいろな胸に触れてみたい。自分にとって理想の胸というのがあるのかないのかわからない、それは寿司と中華とフランス料理で何が理想の料理か選ぶような行為であるかもしれないからだ。考えてわかるようなことではないのかもしれない、自分は夢をみているような気持ちにさせてくれるおっぱいに会えたら、そう願っているだけなのだから。

あの頃の夏も暑かったな。
なぜ急に思い出したのかよくわからないのだけどそれはもう30年近くも昔のことだ。そう病院の薬局にいたお胸が大きな女の子。笑うと歯茎が目立つ子だった。その病院の若い薬局長とは特に親しくしたのではないのにお互い馬が合って、たぶん似たところがあったからかもしれないのだがたまに食事などをいっしょにしにいったりしていた。
その日は少し大きな宴会をやるということでわざわざ東京まで出張っていったのだがどういう会だったのか思い出せない。その胸の豊かな子やその他の数人もその日は珍しくいっしょに行ってやや値のはる料亭で飲んだ。そんな状況になればたいていは自分は切なさで苦い気持ちのほうが先に出てしまうものなのであるがそのときはなぜかひどく楽しく飲むことができたのだった。いっぱいしゃべって笑って。普段飲み慣れないフグの鰭酒なども何杯も飲んですっかりぽわんと酔ってしまった。特にその子と親しくしゃべれたわけでもなかったのだし、誘うなどということができない自分にはその先の展開などあるわけもないことはよく自覚していたし、なのになぜ苦しくなかったのか不思議だな。物語の入り口にいる主役のような気持ちに一瞬だけなれたからなんだろうか。物語はもちろん先には進まないのだがそれでもこれから何か物語りが起こる時の気分で満足できたのかもしれない。
帰り道が違う方向のその子とは別のタクシーに乗ると酔いがさらに回ってきてしばらく眠った。気がつくと街の灯がずいぶん少なくなってちょうど大きな河を渡る橋の上を通り過ぎるところだった。遠くに電車の鉄橋の灯り、さらに下流にかかる橋の灯りが列になっている。
タクシーのラジオから曲が流れてきた。
「夏のクラクション、Babyもう一度。鳴らしてくれ、」
ほんとになんであんな日のことまでがこんなに鮮明に思い出されるんだろうな、、あのおっぱい、見てみたかったな、、
夏の終わり、かわいがってきたトイプードルのヘンリーが去った。
母親が転倒により入院し自分も仕事をしかつ定期的に入院しなくてはならない、そんな状況で飼い続けることは困難になってしまったからである。しかし引き取り手が決まった後もなおこの決断が正しいのかどうか迷い続けた。今でもまだ迷っている。もう少しなんとかがんばれる方法はないものか。しかしその日はあっというまにやってきた、引き取ってくれるのは昔の同僚の実家であるから全く知らないところに行ってしまうわけではない、その気になったらまた会いに行くことだってできる、そういう点はいくらか気が楽であったがいまさらのようにこの真っ黒で小さい家族の存在の大きさが感じられる。
ペットロスなど贅沢病のようなものと思っていたもののいつもいっしょにいた子がいなくなるとなると悲しくてしかたない。そろそろ行かないとね、部屋で最後に写真を写す。ヘンリーはきょとんとこちらを見た。駅に向かう車の中でおとなしく外を見ていた。いつも車に乗せてでかけるときには騒がしくしていたのだが今日はときどき席の上に立ち上がるだけで声を出さなかった。
なぜ人生って別れることばかりの連続なんだろうね、出会うこともきっと同じくらい多いはずなのになぜ別ればかりが記憶に刻まれるんだろうか。この子はうちにいるよりきっとこれから楽しい生活が始まるであろう。大切にしてもらえるであろう。こちらだけが寂しさに慣れればいいだけのことだ。これからもっといろんなものと自分は別れなくてはならないのだしね。昨年の夏まで住んでいた賃貸マンションでヘンリーが廊下を歩いてきてはぼくの部屋の前でこちらを覗きこんでいた姿が思いうかんだ。
元気で暮らすんだよ、、、いい子にしていないとだめだよ。

2006年 秋
余命宣告からちょうど半年たった。幸いまだビールも飲めるしなんとか巨乳さんに会いにいくこともできる。自分が80年代初頭まだ製薬会社で働きはじめたころ持っていた抗癌剤のイメージはそれこそ「ただの気休め」であったり「悪あがき」であったが今はそれなりに実効があるものなのだな。しかしデータによる延命平均は20ヶ月だからそれで計算すれば残りは14ヶ月、か。
この半年結局何ほどのこともしていない。仕事はしているから何もしていないというわけでもないけど仕事は高額な医療費を支払うために行わなくてはならないことでしかない。たくわえがあったらもう仕事しない道を選ぶかもしれないのにな、いやまてよけっこう見栄っ張りだからかっこよく仕事してやろうなんて思うかな。どっちなんだろ、わからない。でも今はっきりしているのは「仕事しなくてはならない」ってことだけ。バンドに出かける週末の日課がなくなってから土日はたちまち過ぎてしまう。
朝ごはんを作り、洗い物して洗濯して、昼ごはんを作り、なんとなくうたたねしていればすぐに夕方のゴルフの決勝ラウンド放送の時間、それが終わったら笑点の大切。夕ご飯を作って食べ終わることにはNHKの大河ドラマ、それで一日は終わり。頭の中はいつでもおっぱいのことなのだけどこのごろは巨乳アイドルDVDもあまり見る気にはならない。そもそも面白くないもんなんだあれは。 次はいつごろAさんのところに行けるかなあ、、Oさんのところにも行きたいし、そんなことを思い浮かべるだけ。この人は死ぬまでの最後の1年は何をしていたんでしょうかね?話題にできるようなことなんかしていないよ、いいざまだ。
いつでもソファーの上にいたヘンリーももういない、自分が手放してしまったんだ、まだがんばれば飼い続けられるかもしれないのに。出かけようとするとあわててソファーからとびおりて玄関まで走ってきてワンワンと鳴く。なんで手放したりしてしまったんだろ。いろいろ考えると滅入る、考えたくない、涙がでる、やっぱり先がないことはこんな能天気な自分にも重圧になっているものらしい。本当に忘れてしまえたらどんなにいいだろうな。
どうして自分の死だけは特別なことなんだろうね。なんて言ったらそんなこと当たり前じゃん 自分にとっては一番の一大事だもの、って言われちゃうよね。でも死ぬことって生物にとっては生まれることと同じウェイトなんですよね。毎日地球上では何億、いや何兆も生き物が死んでいくのだと思えば死ぬこともなんとつまらない出来事なんだろうな、と思っていたら今日も道路の真ん中できっと昨夜あたり轢かれたのであろう猫の無残な遺がいの上をまたいで走りすぎた。そう、こんな死に方も毎日無数に起こっていること、それに比べたらなんと長い時間自分はこの世での時間をもらえているのだろう。それでも何を本当にやらなくてはならないのかどうしてもわからない。やりたいことはおっぱいに会いにいくこと、それだけ。それしかないのならそれでいいじゃん。他の何か、なんてたぶん無いんだよ。
遠くから古い友人が訪ねてきた。彼とは中学1年のときからのつきあいだからもう35年以上のつきあいだ。彼は私が結婚もできないままこうして人生の終末を迎えようとしていることを気にしてくれていて今からでも彼女はできるし子孫を残すことだってまったく不可能なことじゃない、とか言ってくれるがしかし私にはそれはありがたいものの絵空事だ。せっかくなのでこのあたりの観光名所に行ってみる。まだ紅葉には早く夏の観光シーズンは過ぎちょうど端境期にあたる頃だがここは年中混んでいる。しばししゃべりながら歩いていたら女の子3人で来ているグループの中でひときわ胸の大きな子がいる、私の目は自動巨乳センサーだから何をしていてもそればかり探知したがる。面倒なやつだ。たまにはスイッチをOffにしておきたいときもあるのに絶対に電源が切れることがない。
いつしか自分は街で見かける大きな胸の子の写真をとるようになっていた。スカートの中を写したりするのではなくありのままを写すのだから必ずしも盗撮にはならないようにも思うが本人に無断で写すのだから広義の盗撮にはなるんだろうか。少なくとも品格のある行為じゃないことは確かである。写した写真を見てその瞬間の気持ちをリピートすることができてもこれくらい虚しい行為もないということはよくわかる。たまさかのおっぱいたちを写したとて何も得られない。虚しいのをわかっていながらやめることができない。風俗に行けば充分な巨乳に触れることができることはよくわかった。なのにこの行為をやめる原動力にはならない。街を歩く見知らぬ女性の胸に惹かれることは全く別の欲求であると共に実際に生身の乳房に触れること以上に胸フェチの本質に通じているものであるような気がする。予約をしてお金を払えば得られることではない、得られない物にだけ憧れる。かなわない思いだけを追い続ける。だとしたらなんとも救われないのがフェチではないのか。


お腹のあちらこちらがいつもわずかに痛い。やはり徐々に癌は成長しているのであろうか。医師は今のところ状態は落ち着いています、と言っていたのだが右足の腿の感覚はなくなってきているし体のあちこちでじわじわと破壊が行われているのを感じる。一人エッチをしてみようとしても弱弱しくやっとの思いで終わるだけ。もうこの先心底すっきり体調のよい日、というものは訪れないのかもしれないがそれでもまだ普通にしていられる。何かしないといけない気持ちだけがあってしかし何をしたらいいのかわからない。何がしたいのか、過去を悔いるのも時間の無駄であることは百も承知だがそれでもわずかな心のひび割れから後悔は容赦なく入り込んできて心を攻撃する。
しかたないだろう、実際こんなしょうもない人生だったんだから、周囲がどう思おうと関係はない、自分さえああこれでよかったんだと思えさえすればいいのだ。そのために何をしておいたらいいんだろう、、でもまたその答えのないまま仕事に行き、そして週末は疲れて何もする気持ちになれずに終わるだけ。きっと最後の入院の病床で今このときもっと何かしておくんだったと悔いることになるのであろうな、おろか者の人生とはそういうものなのかも。
やっぱりおっぱいは不思議だ。巨乳風俗嬢の胸に実際に触れて何か自分が以前と変わったところはあるだろうかと思いめぐらせてみる。変わったような気もするし変わっていないような気もするし。でもいくつか以前から考えていたことの検証ができたのは確かなように思える。好きなものであっても記憶に刻まれる瞬間はそう多いものではない。90分なり100分なりをおっぱいと過ごしても後でああ、これがよかったなあ、と情景が焼きついているのはほんの数秒のことであったりその数秒の中でさらにまさに一瞬であったりする。頭で考えることなんて思い出になるものではない。思いがけない一瞬の感触や風景が心に残るものだ。
以前よりネットに掲載されている画像で気になっていたUさんを指名する。このUさんはOさんと同じ店なのでどうも指名するのに躊躇していた。風俗なのだからだれを指名してもよく別にこれまで指名していた人に義理立てする必要もないのだろうけどこういうところがひどく気になってしまう。数日間指名しようか、やめておこうか、やっぱりしようかと迷い続けた上、自分がもう後悔しないようになどという言い訳じみた理由でなんとなく自分を納得させた上で電話をした。今年になってからもう行きなれた道順である。もう秋も深まってきていくらか肌寒い、駅の周囲を携帯電話をかけながら歩く明らかに風俗嬢とわかる女性たちももうブーツをはいていたりコートを羽織っている。
Uさんは170cm以上の長身で大柄なので体に比してあまり乳房は大きくはない、相対的に見ず絶対的にみてもOさんよりはやや小さめ。ちょうどジャストのHカップというところであろうか。しかし最初からそれは予想した程度である。今日はとにかく添い寝でまったりしたい。体調がそう要求することもあるが大柄巨乳さんに包まれて時間が過ぎたらそれでいい。 初対面ということでUさんもこちらがどういう人なのか見ているようであった。
「大きい人が好きなんですか?」
大きくておっぱいが大きい人が好きです、と言ったら彼女は胸は自信ないなあ、と言った。控えめな言葉が意外であったがこのごろの巨乳マニアが相当な大きさを求めてしまうことを彼女はよくわかっているんだろうか、でもHカップあれば気持ちはいいものですよ。
とにかく厚い体側、断面が円形に近い体型が自分の嗜好のど真ん中なので抱き心地がとてもよい。おっぱいを吸い乳頭をなめると彼女の体がびくっと反応する。こうして本当に感じてくれるのはなにかうれしいものだ、おっぱいとコミュニケーションしている気持ちになる。彼女は特に何かするということもなく、いわゆる「まぐろ」にしてくれたがそれがうれしい。添い寝してもらって胸に顔を押し当てて少しのあいだ眠った。なんのことはない自分はこういうことを欲していたんだろうか。エッチをするときだけおっぱいに触れるなどということはかえって不自然に思えてしまう。もっとおっぱいは日常的な要求のように思える。
フェラも何もないひと時、しかしUさんのやわらかなおっぱいはその後も不思議なほど何日も感触を思い出しては懐かしい気持ちにさせるものであった。
投薬中はいやな夢を見る。小さいころ熱がでると必ず太い鎖にぶらさがった巨大な鉄球が徐々に振幅を増して飛んでくる夢を見たものである。自分はそこで細い金属の輪になっている。その輪の中をうまく鉄球が通りぬければセーフ、少しでもずれてぶつかるごとに苦痛が襲い掛かる。でも今見る嫌な夢はひどく静かなそれでいて鬱陶しくまとわりつくような夢ばかりである。
でも今日は少し気分がよくなった。気分がよくなっても今度は切ない昔の記憶ばかりがよみがえってくる、どっちにしても狂おしいのだ。今日は大学のころの真冬の景色だった。そのころ自分たちはほとんど店で飲むということはなかった。ほとんど全員下宿やアパート住まいだったからだれかの部屋で飲み明かすのが当たり前だった。ちょうど台頭してきたセブンイレブンで安いウイスキーと氷、カルビーかっぱえびせんにポテトチップ、ぼくはそれにコーラと缶ピース、体に悪いものすべてとりそろえたらあとは朝まで楽しめた。そろそろ帰ろうと外にでると雪がうっすら積もっている。そんな道を何キロかつるつるすべりながら歩いて帰るのだ、自分が住んでいたのは温泉街で24時間いつでも入れる銭湯が近くにあった。明け方雪を見ながら湯にはいるのは気持ちがいい。いい時もあったんだよな、自分にも。そこには甘い恋、苦い恋、激しい恋も何も出てこないけどそれでかまわなかった。恋愛できなかったことだけが後悔になるのはもっとずっと後のことなんだ。 青春に必ずしも恋愛は必要あるわけじゃないんだということは今でも断言できる。
ああ、、世の中にままならないことなどいくらもあるのになぜ戻らない月日だけがこうまで心を苛むのでしょうね、、
入院していない週は仕事に行く。もし自分に十分な蓄えがあったのならもう仕事などしなくてもいいという気持ちになっていたかもしれないが残念ながら現実はこんな感傷に浸る余裕すら与えはしない。高額医療費を払うために最後の最後まで仕事し続けなくてはいけないだけのことなのだ。しかしこのごろ妙に職場が自分とは縁遠い疎遠な空間に思えてくる。確かにここ数年でやめていった人もけっこういるので知らず知らずのうちに同期近くの人間は少なくなっていることもあるのだがそれにしてもなんというよそよそしい場所なんでしょうね。雑誌架の1冊の表紙にQOLという単語を見つけた。ヘルス関連の雑誌だ。
そういえば年の初めに説明を聞きにいったホスピスの担当医師が病気の進行、QOLの関係をグラフにして画いて話をしてくれたなあ。死ぬまぎわにむけてQOLは劇的低下をする、そりゃまあそうだろう。しかし死んだ直後医師はQOLを最高の高いところにはねあがる線を画いた。死んだ人にQOLも無いもんだろとは思うがしかしこれはウソとか気休めと言い切って無視してしまうものでもないように思える。 こう思わなくては死に向かえない、というようなこともあるかもしれないし、そう思えるから最後までがんばれるのかもしれない、しかし医師はまったく何の冗談でも比喩でもなぐさめでもなく、本当にそうなのであるという自信に満ちた様子でその線を画いたものだから自分もこれは本当に本当なのかな、と疑いつつもなんとなくそう思えるような気がしている。
もはや自分は敗戦処理の気持ちで仕事をしているものの立場上はそうではない、だからいまだにいろいろな問題をかかえこむし嫌な思いもする。たいていは自分の無能さを思い知ることによる嫌な気分だ。以前なんとなく自分は仕事ができる と思いこんでいた時期おもあったがそれはそのときの立場にマッチしていたからなのかもしれない。自分が人を管理する仕事などに向いていないことはもう1000も承知しているのだがもはや実務仕事人に戻るとしたらどこかの閑職への左遷しかないが傍からみると今の仕事をなんとかできているように見えるらしくそれもさせてはもらえないだろう。
最後の最後までこういうことで苦労しなくてはならないのか、まったく人生はままならないものだがしかしこれもまたこの世に在ることゆえに味わえる幸せなのかもしれない。 耐えることも苦悩することもまたこの世の思い出、、か。
ことさら親しくしてよく遊んだりしたというわけではないのだが妙にしっくりきて馬の合う友人というのがいるものだが、ちょうどそいう友人が結婚式をあげたので出席した。親戚づきあいがまったくないほうなのでこの歳になると結婚式に出るなどということもまったくなくなっていた、何年ぶりだろうな。
彼は自分と同い年で再婚であったがだいたいこのくらいの歳で再婚しても派手に披露宴などやらず質素に済ましたりするものなのだが彼の場合相手の女性が初婚だったため若い時と同じように披露宴を行った。自分ももうこれが最後だろうからそういうところに出られたのは幸運であった。とは言うものの今までとは出席しつつやはり少し違う感情がわきあがってくる、端的に言えばもうどうしようもない悔恨の思いである。彼の新婦がまたとてもかわいくてとてもよいお嫁さんであるようなところがなおさらつらい。ほんとに自分はついにこういうことはできずに終わってしまったのだなあ。
今日は少々具合が悪い、めまいがしている。ぼんやり客席の向こうを眺めていたら新婦の席に挨拶にゆく女性グループの中でまたかなりの巨乳の女性に気がついてしまった。ほんとに「しまった」である。具合が悪いってのにエネルギーの一部が勝手にそちらに割かれてしまうのだ。ほんとになんて面倒な精神構造なんだ。それにしても彼女はなんであそこまで露出させているんだろうなあ。女性はおっぱいを見せたいものなのか隠したいものなのかいったいどっちなんだろう。少なくとも隠したい人があんな服を着るわけはないから見せたいんだろうけどどうも彼女はママさんらしいのだがじゃあいったいだれに見せたいのだ?こんなことすらわからないから奥さんも彼女もいない男は永久に未熟者なのだろう。しかしそれでもわからないものはわからない。「なんのためにあの女性は友人の結婚披露宴でおっぱいを半分も出しているんでしょうか。」私のような者がいることをあらかじめ予想していて苦しめようとしているのかな。まさかね
いい結婚式であったと思う、若い男女の結婚式での挨拶はだいたいもうわかりきったものが多いのであるが年とるといろいろなことを経ているのでほんの短い言葉の中にもなにかいろいろなものが詰まっている。 しかし自分は結婚にはやはり憧れない何かがあるようだ。いくら極上のおっぱいの女性であってもやっぱり結婚はしないのかもしれないな、これもまたフェチがもたらした人生の姿だったのであろうか。

2006年 冬
母の具合が急激に悪くなってきた。自分もだんだん低調になっていくがそれどころではないような様子になってきた。それこそ死んでいるひまもありゃしない、運命はきちんと艱難辛苦だけを目の前に用意してくれるもんなのだな、ありがたいことです。 癌にはストレスがもっともよくないと言う、免疫力が低下するからであろう、となるともう自分はますます絶望的であるな。自分の人生の最後に自分のことに専念できず介護などの問題に追われることになるとは、それほどまでに前世の行いが悪かったのかな、犬を虐待したとか公園の鴨をボーガンで撃ったとか。
母とは常に口げんかばかりしてしまう。面倒だから相手にしないでおきたいと思うのにどうしても我慢できないようなことを我慢できないタイミングで我慢できない口調で言うものだからついかっとしてしまう。親とはそういうものなのかもしれない。たとえすべてを頼らなくてはいけない状態になってでも子には悪口を言うものらしい。せっせと母が好きそうなものを考えて夕ご飯を作ってテーブルに持ってゆく、一応何を作ったのかとかなんとか言ってもらいたいものだがその突如母が口にすることは
「みっともない変な髪!浮浪者か日雇い労働者みたい、なんとかしたらどうなの」
あわてて心の中で1から10までいっしょうけんめいゆっくり数える、、、どうしてこの人はこういうタイミングで喧嘩を売るようなことを言うんだろうな、、少し前にニュースで老人介護施設でヘルパーが老人を虐待してしまったニュースがあったがその内容を聞くとそのヘルパーの気持ちは理解できる。ヘルパーはその老人女性が寒いので暖房をつけてくれ、と言ったのでストーブの前に座らせた、ところがその老人女性はストーブのスイッチを足で消してしまった。その直後に手をだしてしまった、と報道されていた。もちろんそのヘルパーはそれでも我慢しなくてはいけなかった。しかし細かい事の積み重ねは忍耐力をすっかり奪ってしまう。きっとその老人女性はあまりにまん前に座らされたため暑くてストーブを消しただけのことなのかもしれないがいろいろな事でもう余裕を失っていたヘルパーから見てその一瞬はその老人がまるでわざと意地悪をしているように感じてしまったのだろう。
不自由になっても母としてはできるだけ自分でできることはしたいという気持ちがあるのだろう、タイヤのついたイスに座ったままのろのろと移動しようとするのだがそのときイスの背にかけてある服が石油ストーブに触れそうになりそのたびにあわてて引き離しにはいる。服の袖がこげて臭いを出している。でも母は謝るということを絶対にしない。
「火事になったらなったで仕方ないでしょ、それが運命なんだから仕方ない」「そんなところに服をかけておくのがいけないんだ」
もう大声で「もうイヤだーーー!!!」とわめきちらしたくなる気持ちを抑えつつもつい語気は荒くなってひどいことを返してしまう。
「ぼくが死んでいなくなったあとに勝手に火事でもなんでも起こせばいい! でも今はまだいっしょに焼け死ぬ気なんかないからね」、、そんなひどいことを言う気などないのに、ぜんぜんないのに!
理論的な説得を全く受け入れない頑固な相手は仕事だったらとっくに相手しないところなのだが母なのだからそれでもなんとかするしかない。死ぬにあたってもこの試練、、か。ちゃんとやったら死ぬのを1年延ばしてくれるって保証でもしてくれたらいいのに、いや、がんばるんだ。「これもまたこの世に在るゆえ経験できる幸せなのだ」と。
主治医よりお話がありますので相談室のほうへ、と呼ばれる。もうこれだけで悪いことに決まっている。「いやあ、驚きました、すごく治ってるんですよ」なんて話をわざわざ呼び出してするわけがない。やっぱり自分は現実逃避の才能があるんだろうか、すでに年頭にさんざん言われているくせにどこかで自分はなんとなく平気なんじゃなかろかなどと思い込んでいるところがあるようだ。だから今日まさに駄目押しのように薬が効かなくなっています、と言われてもそのあとで平気で天ぷらそばとか食べにいってしまう。
とはいうものの、、、、、来年のクリスマスはきっと来ないのだ。もっときちんと考えたほうがいいんでしょうかね。でも何を考えるっての?今からラストスパートして何かをやり終える、ということそのものが自分には無いらしいことはもう今年1年をまるで余命1年の人とは思えないだらけた生活で費やしてしまったことからもよくわかる。それでももっと体が苦しくなってきたとたんにそういうことを思って100倍の後悔をすることになるんだろうか。
昨年より日本人離れした超巨大乳で有名になっていた子がグラビア嬢となって表舞台に登場した。言うまでもない風子さんである。グラビアアイドルよりAVにいった人たちがこのごろは話題になっているがまさに逆のパターン。これだけの胸ならばさもありなん。しかしどうも風俗店のHPの紹介画像はいくらかの判断には役立つものの、鑑賞しうるいいなあと思える写真はほとんどない。彼女のいた店の紹介画像も同様自分にはどうもぴんと来なくてそのために彼女の胸への思いいれも今ひとつであった。しかしグラビアにきてくれたおかげでようやくゆっくりしみじみ見入ることができてここにきていいなあと思えるようになった。
これを見て本物の風子さんの胸をみたいなあという気持ちがどんどん強くなってきたが難しいかもしれないな。しかし面白い現象であるなと思っていたのは、風子さんが突如登場して話題になった後も多くの巨乳マニアの間で「彼女こそ最高」「夢中、これ以上のものはない」と言った絶賛の声があまり聞こえてこないことであった。大きさに驚く声はもちろん多いのだがそれが「好む」ではなく「珍しいものを見る」、つまり「興味」に傾いていることのほうが多いのである。もし単純に
「巨乳マニアとは巨大な胸を愛するフェティシズムを持つ人のことを指す」
と定義すれば風子さんの登場によってもうこの子の写真だけ見れば他の人のものはさして見る必要もなくなった、という人がたくさん出てきてもよさそうなものだがそういうことはどうも起きていない、ということはすなわちこの定義は間違っているのかあるいはこの定義にあてはまる人は非常に少ないかのどちらかということになる。だがやはり後者であると考えるのは無理があるようだ。となると暫定的ながら
「巨乳マニアとは乳房にある程度以上の大きさを求める人のことを指す」
という幅を広くとった定義が妥当のように思われる。さらにつっこんでゆくと答えは意外なところにゆきつきくのかもしれない、それは例えば
「巨乳マニアとは大きな胸を主に好むが小さい乳房も含めて胸が好きな人のことを指す」


まずいな、お腹が痛いのが治らなくなってきた。お腹をこわしたときの痛みとは明らかに異なる、腸の外での痛み、ちょうどお腹の皮の内側のあちこちが痛む。お迎えには予定よりまだ早いぞ、もう少しおとなしくしていてくれ。体の苦しさはさすがに呑気な自分にもあせりを感じさせる。このままどんどん悪くなっていってしまうんだろうか、もう数日で何かをやれと言われたらとりあえずこの手記をアップすること、それだけだ。未完成でもいたしかたない。確かに時間はそんなにないのだ、そう毎日そればかり気にしてあせってもしかたないけどいろんなことに期限を定めて確実に行っていくことも必要だ。これは嫌いな仕事の手法だが生きることそのものも仕事なのだな。
今日は東京に友人カップルとピザを食べに行く。ピザには目が無いほうである。昔東京で仕事していたころも居酒屋に入るのは好きではなく、一人でビールを飲むならピザ屋であった。あるいはラーメン屋さん。ピザ屋でもラーメン屋でも一人で勉強の本などを読んでいた。自慢するわけでもなんでもないがそういうことを自らしたい時期というのもあるものらしい。もちろんそれらはまるで今日役にたっていない、、んだろう。
書いていたらまた食べたくてしかたなくなったぞ。友人といった店のピザは生地は薄いが物足らなさがなく、もちもちしていていいオリーブ油を使っているのかお腹にももたれない。うんこれは気に入った。年があけたらまた別の人さそって行きたいな。おっぱいはこの世での大きな未練であるが食べ物もきっと最後まで名残惜しい存在なのだろう。おっぱいへの欲と食への欲って似たところがあるのかもしれないな。「飽きる」ということがない欲求であるというところが似ているのかな。

雨が降るとんでもなく寒い日だった。なんだってよりによってこんな日に行くことにしたんだろうな、我ながらあきれる。もうこの時点で今日の試みは失敗なんじゃないの?
生まれて初めて行く吉原のそこそこのレベルのソープ。それをなんと自分は「乳のことをまったく選択要因にいれずに行ってみよう」などとバカなことを考えた末しかもあんまり体調もよくないところにきて寒くて風も吹いて雨も降りしきる日にやってきたのである。まるでいいことなど起こる予感もせず、しかも予約時間には右も左もわからない土地で道に迷って遅刻して駆け足でたどりつくし。
こんななかまだ息も整わず体も冷え切った私の目の前にえらくかわいい子が現れた。このソープでの女の子の登場のしかたって不思議な雰囲気がある。昔の吉原を舞台にした時代劇で大物の花魁が登場するときの感じに似ている。こういうところは吉原の文化が時代を経ても生き続けているのだろうか。今回はわざと写真をあまり見ないで予約をしただけになおさら登場のシーンは緊張の瞬間である。
Hちゃんはまだ二十歳、かすれた声にまったく今の若い女性のしゃべりかた、そうかあこれが今の若い女の子なのだなあ。
胸を目当てにしていないゆえになおさらどうしていいのかまったくわからない。それでもHちゃんの胸を見てみる。Eくらいかな、店のHPのプロファイルではGと書かれていたように思うがGはないだろう、しかし今日はいいのだ、さほど巨乳ではない胸をあえて選んだのだから。服を脱ぐとかわいらしい乳房が現れる。しかし形はロケット型できれいだ。かわいい小型ロケット弾頭という感じ。目を引いたのは乳頭がゼリーのように透き通った色をしていることであった。体の色もすごく白いのだが乳頭がこういう色であるというのはあまり写真でも見たことがないので不思議なものであった。おそらく皮膚の色素がとても少ない体質であるのだろう。
Hちゃんはいわゆる甘え上手というタイプなのだろう、自分が甘えたい性格の自分にはこのような場合にもどうしたらいいのかとまどってしまったが何事も体験してみるものだ。
考えてみたら当然のことながら特におっぱいが大きくてそれを売りにしている子でなければ売りはエッチのサービスということになるのであるが、せっかくのサービスはありがたいものの残念なことに自分の下はもうあまり反応してくれないのでこれは逆に苦痛であったりしてしまう。正直なところこのあとしばらくはむしろ「我慢」の時間であった、せっかくサービスしてうれるのを拒絶するのも悪いけどもうあんまり激しくされても痛いだけでどんどんだめになってしまう。
なんとか終わったあとやっとしばらく落ちついた時間がきた。Hちゃんは偶然にも自分が手放したのと同じトイプードルを飼っているということでその話しをずいぶんした。しかしこの話をすれば悲しい気持ちがまた沸き起こってしまう。
「泣いた?」
「泣いた。すごく」
・・・・・・
「あは、今また泣いちゃったよ、、」
「・・ぐすっ・・」
おそらくこの数秒の会話が自分を今日ここに来てよかったなあと感じさせたのであろうと思う。このあとしばらくの時間添い寝して二人ともしばらく居眠りした。
「あ、いけない居眠りこいちゃった」
いいんだよぜんぜんOK、もはや自分にはSEXそのものは完全に苦痛となってきてしまった。でもこうして触れ合って何かお話して、そんな時間のためにもうしばらく風俗に行きたいな。もう自分には彼女の住む世界のことはわからない。それでもなにかしら一瞬自分にもわかる瞬間があるくねくねと曲がったお互いの曲線がたまに点で触れ合うところがあるみたいに。もし自分の中に欠けていているものを埋められたとき、幸せを感じるのであったらきっと自分に欠けていたのは何なんだろう。なんとなく答えが見える気がした。この子がさほど巨乳でなかったのがかえってよかったのかもしれないな。
もしかしたら今回はまったく思い出に残らないような訪問になってしまうかなと最初は心配になったのであるがその後もいつまでもこの日のことは思い浮かべるだろう。
「でもかわいかったよねえ」「うんかわいかった」とその後数日の間自分は何回もつぶやいた。 うれしいな、自分は今こうして身を削りながら残り日々をおっぱいのために生きているけど予想していなかった他のものにも出会えるんだ。
平日しか出勤しない子を指名するにはなんとか平日に上京するきっかけが必要であるがこのごろはあまり出張もないのでわずかなチャンスにかけてみる、が予約とれず、、
予約がとれないとよけいに固執してしまうものである。ますますこの子を指名してみたいと思うようになる。しかしどうも年明けに持ち越しになりそうだ。もういっそ仕事休んででも行こうかな。おっぱいの質感が伝わってくるような写真というのはけっこう出会うことが少ないものである。ありのまま は写真というアートにとって美しくないことだってあるのだろうし。工藤先生でさえもなかなかその域に至るのには苦労していらっしゃるようである。氏のおっぱい写真はまぎれもなく美しいし被写体の女性のためにもきっと美しく撮ってあげたいという気持ちもあるのだろうし、何よりカメラマンとしての鍛えられた審美眼がある。しかし何か私のようなフェチとは違うものを胸に求めているように思えてならない。むしろ自分がどんどんそのような「見て美しい胸」を求めなくなっているのかもしれない。
以前自分のページの画像投稿掲示板に自らデジカメで写した写真を投稿してくれていた女性がいたが写真芸術としての出来など言及のしようもないものなのであろう。しかしその写真の胸はひどく自分の琴線をはじくものであった。風俗店の紹介写真はもうほとんどダメ、何も感じさせてくれないただの標識のようなものばかりである。グラビアアイドルの水着写真も一流プロの方が撮っているはずなのになぜあんまりおっぱいを感じないんだろう。そのカメラマンがやはり胸への執着が無いからなんだろう。実際顔はすごく感じるところがあるからね。だから風俗HPを見て行ってみたいと思うのはほとんど直感に頼ってしまう。今行きたいと思っている子についても店HPの写真はぜんぜんいいと思えないのだが何か自分にとってよさそう、と直感で感じられたからである。公表されている数値やカップサイズくはあくまでスクリーニングに用いるのみ、最後は自分の勘に頼る。風俗の達人さんたちはよく当たり外れを口にするけど自分にとっての当たりってなんなのかな。
一瞬でもずっと記憶に残るような瞬間をもらえることなのかな。
今日は風も強くやたら冷える日だ、ずっと気になっていたデリバリーヘルスに電話する。ここの店はとにかく巨乳レベルが高い子たちをそろえているから指名してみたい子はたくさんいる、第一候補は残念ながら予約できなかったがもう一人いいなあと思っていた子を指名した。あいかわらずの田舎者は寒い中駅から反対のほうに歩いたりさんざん時間をロスした上でようやく待ち合わせ場所にたどりつく、みんな元気だなあ。若いっていいなやっぱり。もっともこれだけ人がいたら逆に自分以上にシリアスな人生の局面に立たされている人がすぐ斜め前にいたりするのかもしれないな。
EちゃんはHちゃんよりさらに若い18歳!?やっぱりすこしかすれた声、なんで今の若い女の子はみんなかすれた声なんでしょうね。大丈夫かなあ話できるんだろうか、という心配はぜんぜんいらなかった。むしろこの歳になってもNANAとかのだめとかコミックを読んでいる自分のほうが普通ではないのかもしれないが妙にきちんと会話できる。今の若い女の子はこちらに合わせようなどと考えてもいないようで普通に自分が興味あることをしゃべってくるのであるがけっこう話できるものなんだな。
Eちゃんは背が低くややぽちゃめでこの体型は日本の巨乳女性の典型といえるだろう。早い年齢に胸が大きくなるような二次性徴が活発になると背が伸びる方向にはいかない、そのため小柄ぽっちゃりな爆乳さんができあがる。
ソープではコンパニオンさんはすでに特別な衣装でスタンバイしているが、このようなデリヘルのいよいところは普通の服を脱いで胸が現れる瞬間も見ることができることである。AVで一番好きなのは普通に服を脱いでブラになるところだけであったりする。Eちゃんのすごさはもう服の上からでもよくわかるが脱ぐとなんとも合わないブラをしている。2カップは小さいのをしているようだ。 あららブラが小さすぎるみたいだね、と言ったらなかなかいいのがなくてしかたなく小さいものをしていることが多いとのことであった。この子にもブラをプレゼントしてあげなきゃいけないかな。
それにしてもEちゃんの胸はもうなんとも素晴らしいボリューム。このところずっと思っていたエッチと巨乳とは必ずしも一連のものではないという考えがぐらつきそうになる。エッチ欲も出てくる胸であった。これは今年自分が最も気に入ったAV女優の石黒セリさんを見るときの感情に共通する。自分は巨乳AVがわりと「嫌い」である。どうも上と下がちぐはぐなのだ。特に胸フェチが喜ぶべきであろうパイズリのシーンが特に嫌なのだ。胸の鑑賞をしたい自分とエッチを見たい自分とが引き裂かれてしまうような気持ちで結局満足感が得られないことが多い。しかし石黒さんはその点がすごい、胸がそのまま下ときちんと連動しているようでパイズリもまったく無理もわざとらしさもなく自然の流れで見ていられる。こういう人が天性のAV女優とでも言うのだろうか。
Eちゃんが横になって添い寝してくれると下側の乳房を枕にして眠ることができるくらいであった。しかも張りがあって顔を埋めても弾力ではねかえってくる。窒息しそうになってもひたすら顔を埋めたくなる。18歳ねえ、18歳でなどと心の中で感嘆しつつひたすら胸をなでてみる。このおっぱいの内側からの弾力はAさんもすでに失いかけているものであった。おそらくはAさんの二十歳ごろもすごいものがあったのだろうと思われるが年齢は残酷にもまたたくまにこの弾力を奪ってしまう。Eちゃんはまさに今が旬の頃なのであろう。あーだこーだ考えながら甘えるのはもたいない。もう全部忘れてしばし思い切り甘えきってみたい。
乳輪が大きく端ははっきりとした輪郭がなく皮膚の色にとけこんでゆく、これもまた欧米人巨乳に多いタイプである。本人はくっきりした輪郭の乳輪がいいと言うのであるが巨乳マニアには乳輪も大きいほうがよいという人は多い、自分もその一人であるがEちゃんの乳輪はその点もストライクである。ひとしきり胸に甘えた後Eちゃんは攻めにはいって、パイズリの体制にはいる、そこではたと気がついたのだがこれまで指名した誰もパイズリをしたことはなかったのだった、依頼すればしてくれたのではあると思うが自分も特にそういう気もなかったので何も言わないでいたため今日までまだパイズリをしたことがなかったのだった。思いがけずこのことを初めて自分がやるのはなんともどぎまぎする。大きなEちゃんの乳房にはさまれては小さい自分のものなどたちまち埋もれて見えなくなってしまう。自分はおっぱいはやはり顔で感じたいのだがせっかくだから今日はパイズリというものがどういうものか感じてみよう。としばし目を閉じてみたが率直なところあまり何も感じられなかった。そもそももう自分のものは機能が弱っていてあまり弄り回されても気持ちいいどころか逆に痛いだけでへたってしまうからかもしれないがもっと若いころだったらいい気持ちであったんだろうか。残念ながらそれはもうわかる術はない。
よくわからないこの下と上の関係。エッチがしたい下の欲望はおっぱいにむしゃぶりつきたい原動力になる。しかしおっぱいへ甘える上の気持ちは直接下の欲望に直接つながってはいないようだ。下が反応しなくなってもおっぱいが眼前にあってくれることがとても安心できる。こんなこと起こってくれるはずもないが、このまま左右の房の間でまどろんでいるうちに召されたらいいのに。
世間が賑わうクリスマスは点滴で過ごした、おりしも寒気がやってきてもうただ、寒いのと吐き気に耐えるだけの日であったがしかしもう来年はクリスマスは来ないかもしれないのだから何かしらしておきたいという気持ちだけがくすぶっている。本当はクリスマスもおっぱいに会いにいけたらよかったな、しかしこれでいいのかな。もっとたくさんのおっぱいを見ておきたかったもののお金の都合もあるし、点滴期間の間の最も調子のいい日を選ぶことから回数も限られる。なによりも出会ったおっぱいを充分に自分の中で何度も思い出していろいろなことを思う時間はとりたい。
何かが見えてきそうでしかしまだ曖昧模糊としてはっきり言葉で表現ができないこの執着の感情。 でもおっぱいに顔をおしつけていると常に心の中にどす黒くうずまく不安な気持ちが一瞬なくなることがある。もしかして自分はすでに何かを見つけることができたのかもしれない、、 まだもうしばらくこちらの世界にいよう。おっぱいが私をこの世へとどまらせる力になってくれている間は。

To be continued to Stage2
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