後 編
私が性に関する物心がつきはじめたころ、すでに日活ロマンポルノが日本のポルノ映画の代名詞的存在なっていたのでそれ以前の成人映画界の状況というものをわかっていない。しかし非常に不思議に思えるは70年代の日活ロマンポルノでは巨乳なアイドル女優さんが非常に少ない、ということである。
70年代完全にグラビアモデル、CMモデルのほうが巨乳文化をリードしていたのである。日活ロマンポルノは80年以降単発的に藤尚美さんなどの巨乳さんがロマンポルノに加わるものの70年代にアイドルとなった女優はいずれもどちらかといえば小柄で華奢でグラマーというよりプリティーという感じである。
60年代末までに池さんをはじめとするポルノ映画における日本女性のパーツの大型化は起こっていたにもかかわらずそれがそのままつき進まないところがまた時代の不思議な動きというものだろうか。再びポルノグラフィーが巨乳をリードするようになるのは80年代半ば過ぎからのアダルトビデオにおける巨乳ジャンルの確立を待つことになる。
MY巨乳史1のオープニングとなる池さんは私にとっては「巨乳菩薩」とも言える永遠の偶像的存在であるが彼女の社会文化史上の位置とはどのようなものかを少し外側より見てみよう。
彼女が登場し人気を博していった時期はまさに69年から71年でそれまでカルチャーとはみなされていず世間の裏側に隠されてきた成人映画がプレイボーイや平凡パンチなどの若者雑誌の興隆に伴い表舞台に開放されていった時期である、つまり70年代の扉を開ける立て役者の一人として「女性のおっぱい」の魅力を確認させる偉業をなしとげた歴史に残るおっぱいであったと言えよう。
実は私が最もよく印象に残っている池さんの雑誌記事は普通の週刊誌(週刊新潮か読売あたりであったように思えるが)で漫画家の加藤一郎さんと対談したもので加藤さんの肩に腰かけている池さんのまさに「国産ロケット第1号」のようなおっぱいにすっかり心がとらわれてしまった、そして数十年を経てこのようなページを作成する原動力ともなっているのである。
なぜこれほどまでに彼女のおっぱいはいとおしいのであろうか。当時でも大きさだけで見ればいくらも彼女以上のモデルや女優は存在したのであろうが自らのフェチを気づかせてくれた池さんの胸を超える記憶は存在しない。そして今自分は逆に自分の娘と言って差し支えない年齢の巨乳さんたちを愛でながらもどこかでこの30年以上前の面影を探し続けているのである。
60年代以前のポルノ映画ではまだフェラチオというものは一般的ではなかったようである。私は小学校のころ雑木林に捨てられていた成人雑誌をよく読んでいたのだがそれによればフェラチオも一種の「フェチ」的偏愛行為と捉えられていたようで外国ポルノの中で現れるフェラチオシーンをかなり日本ではまだ行われていない珍しい行為としてなまめかしく描写していた。
ましてパイズリなどというものは日本のポルノで現れるのはかなり後、アダルトビデオの時代になってからのことではなかったろうか。しかしけっして60年代以前よりそれができ得ないような平らな胸の人ばかりだったわけではなく写真の津村さんのようにもみがいのある豊かな胸の人はいくらもいたようであるのだが。
「エロ雑誌」などという呼称はいくぶん差別的なようにも感じられるがあえて私はこの呼び名を敬称としてえたい。つまり一つの文化的遺産としてエロ雑誌は位置付けられる。
最初のエロ雑誌はおそらく50年代登場したと考えられるが60年代が終わり70年代に入るころにいったん衰退する。しかしその後エロ雑誌「ビニール本」(ビニ本)として新時代を築き90年代にはいるとコンビニで気軽に購入できる写真雑誌とビデオ専門店などで販売するより細分化されたマニア向けのものと2極化していくこととなる。
60年代の中盤から後半のエロ雑誌は今見るとチープさの中にも芸術性とでも言うものが感じられる。胸に関しては確かに平均的にはまだほとんどのモデルはAカップ、Bカップなのだが中には充分見事な巨乳さんたちも見つけることができる。
名前さえもクレジットされていない当時のエロ雑誌の巨乳モデルさんたち。時代は「週刊プレイボーイ」「平凡パンチ」など日の当たる「健全エロス」の時代に移りつつあったがその裏で埋もれていった人たちに今スポットを当てよう。
「エロ雑誌」などという呼称はいくぶん差別的なようにも感じられるがあえて私はこの呼び名を敬称として考えたい。つまり一つの文化的遺産としてエロ雑誌は位置付けられる。
最初のエロ雑誌はおそらく50年代に登場したと考えられるが60年代が終わり70年代に入るころにいったん衰退する。しかしその後エロ雑誌は「ビニール本」(ビニ本)として新時代を築き90年代にはいるとコンビニで気軽に購入できる写真雑誌とビデオ専門店などで販売するより細分化されたマニア向けのものと2極化していくこととなる。
60年代の中盤から後半のエロ雑誌は今見るとチープさの中にも芸術性とでも言うものが感じられる。胸に関しては確かに平均的にはまだほとんどのモデルはAカップ、Bカップなのだが中には充分見事な巨乳さんたちも見つけることができる。
名前さえもクレジットされていない当時のエロ雑誌の巨乳モデルさんたち。時代は「週刊プレイボーイ」「平凡パンチ」など日の当たる「健全エロス」の時代に移りつつあったがその裏で埋もれていった人たちに今スポットを当てよう。
この方の名前はわからない。柔らかそうな脂肪100%というタイプのおっぱいであるがこのタイプがその後も数十年続く日本女性型の典型的な巨乳と言える。固めで形状の崩れない乳腺型が多く見られるようになるまでまだあと20年近い歳月がかかるのである。
上から順に中山やよい、岸優子、水野あけみさん。クレジットの信憑性は確かめるべくもないがいずれも素人モデルとのことである。コケティッシュに突き出した乳首が色気を醸し出しているいい写真であると思います。
この不思議かつ微笑ましい情景設定も60年代前半の芸術フォトの流れを汲んでいるからであろうか。雑誌の種類はいかなものであろうとカメラマンはよい仕事をしようと努力していたのであろう。
当時のエロ雑誌の難点と言えばやはりまだ胸指向がなかった点であろうか。たしかに胸の大きいことを賞賛はしているのだがその写真アングルは完全に股、ないしヒップ優先であったのでポーズが一律になってしまっているところは残念である。胸優先のフォトが登場するのは70年代も半ばごろになってからではないだろうか。
60年代の雑誌ではこのようなカラー写真とモノクロ写真が混在することが当たり前であった。栄えあるカラーに選ばれたモデルたちの美しいおっぱいはさすがに40年近くたった今でも十分鑑賞するに足るクオリティーを持っている。
左が太田ゆき子さん、右は岡京子さん。
1969年代の末から1970年代初頭という時代を思い出すとまず私が思い浮かべるのが「プレイガール」「キーハンター」といったテレビ番組である。1970年代に入ると集英社、平凡社など大手出版社が女性雑誌においてもNONNO、ananというその後定番となる新たなブランドを発刊していくがこの頃から女性が考える理想的体型と男性が求めるそれとの間のギャップが広がっていたようである。
男性が求めるものに女性が合わせていた時代は遠く過ぎさり「アクティブであること」が女性が求める女性の姿となり男性の側がそれに合わせていく傾向が生じる。スポーティーでアクティブであることと巨乳は残念ながら物理的にバッティングしてしまう。そのため健康的な乳房を開放して見せてもその大きさについては女性の側がリミッターを作動させて活動に邪魔にならない範囲に抑えるようになるのである。
女性側自らが巨乳であることを欲するようになるのは1990年代半ばごろから、乳房の質そのものが変化し、巨乳であることが体にあまり負担にならないようになってからであると考えられる。70年代日本女性がひたすらアクティブになっていく中で巨乳好きの男性が求める安心、やすらぎといったものを100%提供してくれたのが日本人ではなく外人であるアグネスラムであったことは皮肉な現象であったとも言えよう。
私もまだ小さかったころ他の子たちといっしょに「リンダ困まっちゃうなー」と教室で大声で歌いながら走り回ったことがあった、その数年の後60年代が終わろうとしていたころにいきなり「噂を信じちゃいけないよ」と色気爆発路線でブラウン管に戻ってきた彼女は思春期に入っていた私たちの世代を充分餌食にするほどの豊乳を覗かせていた。
しかしその歌の強烈なイメージと美貌、スリットのパンタロンから見える美脚のほうにもっぱら世間の話題は偏っておりあまり彼女の胸が語られたことはなかったようである。70年代を目前にしてすでに受ける女性の質は変貌しようとしていたのでリンダさんの「色気」はここでもまた一時代前のレトロなものと受けとられていたのである。
今回私は私の中の巨乳追憶の根元を探るべく過去への小さな旅の試みを行ったわけだがわずかこれだけでも非常に面白い時代の推移を実感することができた。
まだ私が卵だった1950年代に予想していた以上に戦後日本で初めてのグラマー人気が映画の世界から起こっていたこと、ところが1960年代のテレビ文化の急速な成長と映画の衰退に伴いいったんそれが中断されたこと、そして70年代になり学生運動終焉のちにまた新たなスタイルで日本の巨乳礼賛の時代が始まったことなどなど、記憶の中で断片的に現れる豊かなおっぱいたちがやっとつながりを持って見えてきた感がある。
これからはさらにこの50年代の日本での第1次巨乳ムーブメントとも言える頃の映画を見て研究していきたと思っています。
最後に1970年代のグラビアの歴史を語る上で避けては通れない有名な写真を掲載しておこう。この写真を掲載してよいものかどうか私は豊乳inMY LIFEの制作を始めたときからたっぷり1年迷い続けた。これを載せてしまうことは田舎のマイナーな美術館がいきなりモナリザの複製を展示してしまうに等しい行為と言えるからである。
安保闘争、ウッドストック、神田川、ウーマンリブ、、、あまりに多くの1970年代初頭の典型的若者の心象風景がこの写真1枚の中にすべてつまっているのである。
最後に
本研究はまったく私自身のおっぱいへの視点からのみ50年代、60年代を探ったものなので映画史などに関する認識は誤っていることは多分にあり得ると思います。このあたりは詳しい方からはご指摘を受けるかもしれませんがご了承ください。
もし50年代、60年代の巨乳についてさらにわたくしの知らないことをご教授くださる方がいらっしゃったら非常にうれしく存じます。また50年代、60年代で私が引用しなかった人で巨乳さんがいらっしゃったら教えていただけますとうれしいです。
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