「豊乳」と「巨乳」の違い
このような定義づけはあくまで私自身におけるお遊びのようなものでなんら人に押し付けるものではないので軽く読んでいただけたらと思います。
無類のおっぱいフェチである私ですがこのごろまたDカップくらいの大きさのおっぱいに魅力を見出してしみじみ眺める機会が多くなっています。Dカップ周辺の大きさは今では巨乳マニアにはまったく見むきもされないようなところになっているのかもしれませんがそこで私が称する「豊乳」というのが「巨乳」とは異なるニュアンスを持つものであるということをお話するきっかけを与えてくれるわけです。
巨乳はあくまで「大きさ」といういくつかの尺度で測定しうる客観的な裏付けがある程度は存在するものなのですが豊乳というのはまったく見る者の感情が引き起こす、たとえそれが見る者の心が作り出す錯覚や妄想であってもそれをも許容できる「豊かさを感じさせるおっぱい」を意味する言い方として使っています。ですから人におっぱいのことを伝達するときトップ110cmでカップはJカップです、と言えばだいたい誰でも容易に共通したイメージが浮かぶのですが豊乳のほうはまったくそういうわけにはいかず、かといって仮に実物写真を見せたとしてもそれはまったく伝えられない事柄なのです。それを承知でなおもなんとか伝えることができないだろうか、というのがいわばこのページの大きな趣旨の一つでもあるわけなのですが。だからあきらめないではずかしがらずみなさんも自分が心奪われたおっぱいについてその絶対的大きさを気にせずに語ってみてください。
企画物の女優さん
グラビアアイドルと同等の人気を持ちソロで何本もの作品が発売される女優さんに対していいかげんな名前で企画物ビデオの中に出演する多くの女優(みたいなもの)さんたち。
AVの世界も女優さんのデフレ現象は進んでいるのだなあ、という印象を受ける、しかしことおっぱいに関してはこのような企画物ビデオの中でもアイドル女優を上回る逸材にしばしば出会う。しかしクレジットされているいいかげんな名前を覚える気にもならないのでhistoryに掲載するという性質のものではないのでこちらでとりあげることにしましょう。企画物女優にとどまるのはもちろん顔を含めて全体の器量のせいであるとは思うがそのようなことをまったく気にしない私などにはかえってその「普通の人」的なところが好きですね。
たしかにこの器量だとソロアイドルというわけにはいかないだろうけどそのおっぱいはどよーんとボリューム重量感も充分で素晴らしかったですね
Eカップというあたりは今は巨乳と呼ぶにはミニマムライン近くになっているが同じEカップでも人によりずいぶん大きさの差があるもので、この子などああ、Eカップでもいいんだなあと思わせる。おそらく寄せ集めてEカップになる人、というのが混ざってくるのでおっぱいのみのボリュームでは同じEを標榜していても差が大きくなるのだろうと思われる。
この子もいい感じでぶすっこさんでしたが(笑)街で見かけ、あ!とふりかえるおっぱいちゃんはきっとこんなふうなのだろうという完璧にリアルな想像ができるところがいいんですよね
なんといっても心ときめくこの瞬間、という人も多いでしょう。アイドルルックスではない子だけどそのエッチのテクも迫力もすごいものでした。ちょっと私のように弱いととてもではないけど満足させてあげられないつらさがありますね。
乳輪の盛り上がり具合も位置もとてもよろしいのではないかと思いますね。現実で出会えたらいいのになあーーーと切に感じます。
今年もやりましょうかねえ
海に行かなくなってもう何年になるのかなあ。もっとも今の自分からしてみれば昔は海に行っていたということのほうが信じられないような気もするのだけど。巨乳ではないのだけどなんか触れあってみたいおっぱいもあります。おっぱいと二の腕ってやっぱりセットのなのかしらね?
晩夏の情景
こうしてグループでドライブしたこと、何回くらいあったのかなあ、仕事では幾度かあったけど、、、でも自分にはかえって辛いよね、グループにこんな子がいたらきっと苦しくなってしまうから。みすみす声もかけられず何も起こせない自分に苛まれるだけなんだもんね。
GODDES OF 2002
全国何万人もの男性の脳を破壊しまくる抵抗不能の必殺乳、この夢を少しでも長く見続けられますよう、、
よい出会いでございます
なにげなくこんな方と知り合えてたらけっこう今頃は、、、なんてね。
豊乳直列
実はこのような饗宴は今後もほとんど実現しない極めて珍しい出来事であったかもしれません。今回ははるみちゃんご贔屓の方のために1枚すばらしい曲線芸術を追加しました。
これは個人ページの単なる日記です
さて、いきなり無粋なお断りをしておかなくてはならないのであるが先日このページの画像が2チャンで流用されていたということをメールで教えてくださったかたがいて、まああたくしも偉そうなことは言えない立場であり転載そのものはかまわないと思うのだがそれを「私のオリジナル」と称するのはやっぱりただのウソツキということになるであろう。そんなわけで面倒だし画像の雰囲気を壊すしでもうやりたくないことおびただしいのであるがしかたなく文字を入れておくことにする。これをまた胸にかかるように入れなくてはならないようなことにならないよう願っています。
さてつまらない話はこの程度にして、ついに、ついに生AKIKOさんを見ました。しかし登場したときには上着を着ており、彼女もまた「あまりに胸ばかり見られるのにうんざり症候群」にかかってしまったのかと少々落胆してしまったが3曲目の半ばピアノがソロをとっている間にそのジャケットをさっと脱ぎ捨て一気にフェロモン全開のタンクトップ姿となった。やったー!思わず目がハート。あとはもう夢中でタンクトップの中にゆるく支えたお胸が歌にのって揺れるのを見入っておりました。
ご抗議により画像は削除いたしました
(9月28日、画像を削除いたしました。しかしながら文章までが肖像権等に侵害にあたるとするのは妙な話であると考えます。当人の誹謗中傷などもまったくしていないただの個人ページ内のエッセイですからそれまでをも削除させられる理由はないと考え文は消しません。いかなる職業の女性であってもその人の胸が私のようなフェチには一番の問題なのであってほかのことなどは話題にする必要もないことなのです。)
閑話休題
なにげなく素晴らしい方が「古い雑誌に」、、、
↑ここを明示しておかないとまたなにやら言われるからね
巨乳マニア内のカテゴリー棲み分け
このページを始めたころから少しずつ感じてきていたことなのであるが「巨乳好き」あるいは「巨乳マニア」と言ってしまうと外部の人たちから見ると均一な一つの集団を思い浮かべるかもしれないが実際はその中でいくつもの別れたサブカテゴリーが存在している。
そのカテゴリーの分け方はいくつかの異なる視点から行うことができるが例えば単に自分の好みの体型、というところからもぽちゃ系巨乳好きの人たちと全体のプロポーションの良さを求める人たちとが比較的きれいに線引きされるのはよく知られているところである。
しかしカテゴライズはそれだけではなく、最近よく思うのはインターネット特有の事象なのかもしれないが画像の美しさを追求する人々、珍しいものを求める人、素人巨乳のみが好きな人、というような分かれかたがあって同一のホームページ内でもメジャーなグラドル画像の話題を扱う掲示板のみに行き他へはあまり行かない人、逆にグラドル系には来ず風俗、AVのみに行く人、素人投稿のみに行く人、などがけっこうはっきり分かれるものなのだなあ、ということを興味深く感じている。
私は特にどれということもなく行っているつもりであるがそれでもどうしても自分の中で偏りが出てくるのはよく感じている。一口に巨乳が好き、と言ってもこれらの様々なカテゴリーのどれに一番興味をそそられるかということはその人が自分の心の問題として捉えている乳房問題と密接に関連していて、どのカテゴリーもまんべんなく客観的に同一の比率で見るということもできなくはないにせよそんなことをしてもまるで仕事をしているようで楽しくないのではないかと思われる。
私もどうしてもページを行う管理者としての立場から偏りすぎがないようにバランスを気にしてしまうくせがついてきたようだが内心ではもとより超偏ったページを作ろうとしていたのだしだからバランスなどおかまいなしでやりたいことだけやろうかな、という気持ちも強くなっているのでもしかすると来年などは従来よりとっつきにくいページへと変貌していくかもしれません。
きれいになれてよかったです。ということで掲載も許してください。お胸も白くて柔らかそうでとても素敵ですね、ママさん。
鍛えることと美
今が旬のジョーニー、おそらく巨乳マニアの多くがジョーニーをチェックはしていると思われるがしかしいいと思うか、ということになるとかなりの割合の人が「結構です」と脱落してしまうかもしれない。
これは彼女が格闘家であるという先入観がかなり純粋に鑑賞できない原因を作っているであろうということも考えられる。仮に全くなんの予備知識もなくこの写真などをいきなり見せられて「ファッションショーの光景です」と説明されればジョーニーが爆乳グラビアモデルになっても非常に上質な人であろうということが察せられるだろう。鍛えて逞しくなることと女性美はときにはぶつかりあうこともあるが多くのモデルさんも体を健康に保ち鍛える努力をしているように大筋ではむしろ共存してゆくものである。不健康な感じも変化球として魅力があるものの内側から発せられる健康なオーラというものがやはりおっぱいの魅力にも大きく関わっていると私は常に考えています。
覗き見心理
このようなものを見るにつけまたなぜこう心が反応してしまうものなのか。
スカートの中を覗く等の行為とは異なりそこに居るのをただ見るだけであるから公的には「覗き見」にはならないのだし顔を見ることとなんら変わりはないのであるががおそらく自分が異常に固執しているという自覚ゆえに自から後ろめたい気持ちを引き起こしており、それが見てはいけないものを見るときの快感を増幅させるというループにはいっているように感じられる。だから胸フェチはいくら素晴らしい水着モデルが現れても街で気になる胸を見る行為をやめることはできないのでしょう。
日本女性の巨乳化
すでにSPAが数年前にほとんど同じ表題で日本女性が本当に巨乳になってきているのかを考える記事を載せてていることがあった。
しかし昨年からこのようなページをやっているからということとは別に明らかに昨年くらいから新たに登場する17~20歳くらいのグラビア女性の胸は平均してみても20年前くらいに比べておそらく2カップサイズ分くらいは大きくなっているようであり、またトップクラスに君臨する数名を見ればもう先端グループで発達の著しいことは特に証明を行うまでもなく明白であろう。
生物学的な現象のみならずいろいろな事で何かが発達するときにそれが時間の経過とともに一定の速度で進んでいくのではなくしばらくの停滞時期の後一気に現れることがある。雑誌などのメディアで取り上げられる頻度が多くなったためそのように錯覚をしているのではないかとも思ったのだが80年代頃の10年間以上に匹敵するくらいの巨乳化がここ4~5年の間に起こっているように思われるのであるが何かそれを実証できるような資料は無いものだろうか。
毎月の日本全国における年齢別にブラのカップサイズごとの販売数、などという資料があったらよいのだがそれはもちろん無理であろう。下着会社により全体としてブラのカップごとの出荷数は出ているがこれは日本の女性全体の傾向を示すのみである。私がこの先のこととして漠然と考えていることは日本女性の胸の発育がさらに進み平均レベルが上がったときに起こりえる現在の巨乳ブームの終焉についてでこれは早ければ2、3年後に何かしらの兆候が現れるのではなかろうかと思っており、そこで同時に起こると思われる新たなマニアックな動きについてである。
そしてまたフェチについての短い考察
実際に肉体はそのことを行わないのに行っているかのように脳に感じさせること、これがあの大ヒット映画マトリックスでも登場する究極のバーチャルリアリティーである。昔よく将来は頭にジャックを挿し込んで電気信号で音楽を聴かせるようなことになるかもしれない、などと想像したものである。
いきなり飛躍した内容からスタートしたがもう毎日頭の中が豊かな乳房で占領されているような私が感じているのは「見る」という行為がこのフェチな心にどのように作用するものなのかという常々とりあげている事柄である。今年(2002年)はもう言うまでもなく松金さんや根本さん、MEGUMIさんなどの写真が雑誌のグラビアを毎週のように飾り写真集も数多く発売された。
このような上質のグラビアを見るときにはまったくその対象が自分の手になどはいるものではないことがわかっていてしかもそれが手に入らない苦しさを感じるということもなく、いいなあと感じて鑑賞するときの気持ちは北斗の拳のラオウの科白ではないが「心地よい苦おしさ」とでも表現できるものであろう。しかし普段職場などで見かける自分に近いところに存在する生身の胸が引き起こす感情はもっとどろどろした欲望を伴っておりしばしばそれは本当に苦しくそれが絶対に手にはいらないと思うことはたまらなく苛立たしくまた犯罪へと駆り立てられる気持ちさえ理解できるようになるのである。
よく私が提起する問題として巨乳グラビアを鑑賞する行為は巨乳フェチのどのような感情を満足させ、どの部分とは無関係であるものなのか、ということがある。巨乳フェチの心がただ一つの目的を欲しているのならば代償行為となるかならないかは二者択一YesかNoかの問題になってしまいYesとすればあとはその代償できる程度問題ということになるがどうもそれは違うようである、はっきり解答が見つかったわけではないのだが巨乳グラビアを見ることはそれだけで完結された行為であり自分の巨乳フェチを満足させたり解放するものではまったくないと言っても過言ではないのではないか、というのが今の私の感じているところである。
グラビアの鑑賞は楽しいものであるし私ももう何十年もそのことを繰り返してきたが、自分の巨乳フェチは今も昔も年齢に応じた反応の違いこそあれ暗くたれこめた雲のごとく広がったままである。ある日その雲が切れその隙間から日が差しかける時が来るのかどうなのか。フェチが苦しみから脱出するのは実はフェチでなくなれる時しかないのではなかろうか、とすれば何らかの事柄によって自らがフェティシズムより解き放たれるということは起こるものなのか、、、、再び何も解決できないまま今年ももう暮れていきます。
旅先でテレビ画面をビデオで撮影する、などという荒技を使ったのでこういう写真になりました。そこまでするかよ、と言われそうですけどやっぱり私にはやらずにはいられません。困ったものですほんとに
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