70年代の終わりに中村京子さんが「Dカップ京子」なるキャッチフレーズで巨乳=Dカップという一つの新しい図式を確立させた。
これは1977年に初めてワコールがブラジャーの「カップ表示」を開始したことに呼応している。「大きな胸の女性とはいったいこの新表示でいうと何カップなのだろう?」という素朴な疑問への最初の回答である。当時ほとんどの女性がAあるいはBカップだった頃このDという響きは強い印象をもたらしたものである。
そしてこの冴島さんのデビューはたしか85年末あるいは86年の最初くらいではなかったと思うのだが、ここで彼女はFカップというさらに次の時代の一つの指標を示してくれた。当時はまだFといっても未知の領域、というか洋モノのBig Boobsを見慣れているとDDとかDDDという表記のほうが多いので、そのこともあって新鮮な驚きであった。
一度だけ彼女がプライベートでロック系ディスコ(この呼び名もなつかしいね)に来ていたのを見かけたことがあるのだがすばらしかったです。痩せていて腕などもきゃしゃ、しかししっかり乳腺型の上乳が大胆なカットの服の上で物を乗せられるんではないかと思うような棚を作っていたのが目に焼き付いています。
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