MY巨乳史特集5b

前 編

 

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とある日の小学校からの帰り道、淡い夕方の明るさの中、歩道の向こうから歩いてくる女性。

学生だったのか、主婦だったのかOLであったのか、それはもうわからない。その女性が赤い薄手のセーターを着ていたことだけが思い出せる、髪はパーマヘアであったような気がするが。胸の形がはっきりわかるほどの距離に近づいたとき、私は自分がその膨らみに視線が釘付けになっていたことにはっと気がついて突然照れくささと罪悪感にとらわれた。

それはつい先日雑木林の中に捨てられていた卑わいな雑誌の雨でよれたヌード写真の記憶が重なったせいであったのだろうか。ブラジャーの表面のごつごつがセーターの上に筋状の模様を浮かびあがらせ、それはゆっくりスローモーションのように私の目の前に近づいてそしてすぐに後ろ姿に変わった。

そのとき心に芽生えた疑問は今も続いている。何一つ変わってはいない、何も解決していないしそして何も謎は解けてはいないままである。どうしてそれが自分を引きつけるのか、、、

 

 

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1945年の敗戦の後、復興を開始しした日本でまず流行した風俗がストリップであったという。これはおそらく1950年ごろの写真であるがなかなかの豊乳ダンサーであることが見てとれる。しかしもちろんまだ私はこの世にはまだいない。

 

 

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1960年代の代表的な漫画の一つである「ハレンチ学園」その映画化においてヒロイン柳生十兵衛(こういう名前であるが女性です)に抜擢された児島みゆきさん。わずかな膨らみがやっと確認できるほどのかわいい胸なのに自分の中では彼女は不思議なくらい豊かなおっぱいの記憶を残している。豊乳というのは見る者が自ら作り出している幻想なのかもしれない。

 

私の中で60年代と70年代の間には深い溝が存在している。私がいくら自分の中の古い乳房記憶を呼び起こしてもそれはどうしても1970年の壁より前に遡ることができないのだ。これはきっとすごく古いと思って調べても確認するとやはりそれは70年代なのである。しかしこれは無理もないことでもある。

なぜなら週刊プレイボーイの創刊そのものが昭和41年(1966年)でしかもヌード写真を多く掲載するようになったのがちょうど1970年ごろ、平凡パンチは昭和39年が創刊であるがそのときは写真主体とは別の種類の雑誌であり、ヌード、水着、音楽に車、といった若い世代のカルチャー雑誌となったのはやはり1970ごろなのだ。

60年代の巨乳の多くは一般の人が普通の本屋ではほとんど目にすることのない成人向け雑誌の中の、しかもきっとその中でもほんの一部分でしか目に触れることはできず、それらは時代の流れと共に存在したことすら人々の記憶から葬り去られてしまったのだから。

 

 

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小早川恭子さん。ピンク映画の俳優さんでさえもこのころは一般雑誌ではこのように乳首を隠すことが普通であった。このくらいのかわいい膨らみでも「ボイン」のタイトルがつけられていたし私たちもたしかにそのように感じていたのである。

 

 

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1963年ごろから写真が流行となり私も小さい頃テレビで毎年数多くの新しいカメラのCMが放送されていたことをよく覚えている。「ヌード写真」の発展もこのころに同時に進んでいたようで後に私が平凡パンチや週刊プレイボーイで見ることになる秋山庄太郎、早田雄二、柿島隆など大御所が新鋭カメラマンとしてヌード写真雑誌で活躍した。これら写真雑誌はあくまで芸術指向でありエロ雑誌とは異なるものではあるが女性のヌード写真においてその乳房の存在が何より重要なポイントであったことは言うまでもないだろう。だから「巨乳」というよりはむしろ「美乳」の歴史をたどるのに良い美しいおっぱいがたくさん発掘できる。

 

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ハの字に開いた日本女性の典型の一つ。まだ体の横幅に比べて一回り小さいおっぱいであるがこのままの形でその後20年をかけてその大きさは成長していく。現在のAVで多く見られるこのハの字型爆乳の基礎はすでにこの頃に登場しているのである。

 

巨乳(ボイン)であることが初めて誉め言葉して使われたということがまさに60年代と70年代の境目付近であったのではなかろうか。 これは暴論であるかもしれないが江戸時代300年にわたり、あるいはそれ以前からかもしれないが果てしなく長く日本人を支配していた「鳩胸出尻は下品で醜い」とする女性への審美基準が明治以後百数十年を経て1970年のころまさに逆転が起こったのではないだろうか。

 

 

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私がいくぶん不思議に感じたのは1963年当時すでにかなりの頻度でボインという見出しが見られるようになっていることであった。私がそれまで思っていた大橋巨泉さんが初めてボインという単語を用いたという逸話よりそれは前の話になってしまう。だから実はこの語の創始者は大橋さんではなく他にいるのではなかろうか。しかし考えてみるとその後用いられるようになる巨乳という単語も誰が最初に用いたのかはなかなか謎である。

ボインというタイトルでもこのようにかわいいおっぱいというところがいかにもこの時期らしい。おそらく現在のカップ表示にあてはめたときCカップぐらいのところがボインと呼ばれるラインであったようである。そしてDカップ、というボインのベンチマークが登場するのはその数年後、78年にワコールがカップサイズ表示を開始した後のこととなる。

 

 

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前田美波里の資生堂ポスターでの登場は陰湿さの無い健康的なグラマラスボディーの美というものを時代を先取りして世に知らしめたとも言えるできごとであったろうか。1960年代にすでにこのようなプロポーションのモデルが現れていたことはまさに驚異的とも言える。しかしそのころ前田美波里さんの胸がことさら騒がれたという記憶はない。受け入れる男性の側にまだ胸だけを特別に扱うというフェティシズムの意識は少なかったのだろうか。アグネスラムブーム以降に現れていたらなおさらにトップグラビアアイドルとなれたのかもしれない。登場する時代が早すぎたのである。

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2000年の今見ると顔の化粧法の違いが大きいのでいったい何歳なのかの推測がつけにくいかもしれない。撮影当時左のクララマリさんは18歳右のこだま玲子さんは20歳ということである。日劇ミュージックホールと言うとむしろ1980年ごろ有名だったダンサーである松永てるほさんを思い出す方も多いかもしれないがさらにそれより遡ること10年以上前からこのように豊かな胸の人が所属していたことは当時の私は知るよしもなかった。日劇というのが何なのかも知らない歳であったのだから。

 

 

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もちろん比率は2000年ごろとは比べものにならないほど低かったと考えられるが60年代にもバスト(当然トップバストを指す)が100cmを越す豊かな胸女性は多く存在した、しかしそのことが特別商品にならなかったようでそのため雑誌に出る頻度も当然のことながら非常に少なかった。当時のブラジャーは機能的ではなくまた大きなサイズもほとんど販売されていなかったためこのような巨乳な女性はしかたなく妊婦用ブラを使うことも多かったのだそうである。

 

 

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ちょうど1970年ごろではなかったかと思うのだが「泣くなおっぱいちゃん」(あるいは泣くなボインちゃんの記憶違いかもしれないが)という歌で自分の胸写真をレコード会社でプロモーションで配って歩いたという歌手がいたのであるが何という名前だったのかどうしても思い出せずにいる。この吉成さんも歌手とのことであるがどんな歌を歌っていたのだろうか。

 

 

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私は2000年現在に見られる巨乳愛好の流れの元となるようなモデルやタレントが登場するようになるのが70年代の半ばごろからと考えているが、しかし初めてグラマーな体型の女優の人気が高まったのはそれよりさらに20年以上も前のまだ日本映画が隆盛であった50年代に遡る。

テレビドラマ俳優というものもまだ存在しない時代で必然的にそれは映画スクリーンから登場するのだが後に大女優となる京マチ子さんなどもグラマー肉体派女優としてデビューした一人であったというのは私には驚きであった。私の知っている巨乳の時代の夜明けよりさらに10年以上も前にすでにこのように豊満なおっぱいを見せていた日本女性が多数いたことは新鮮な驚きであった。

しかしさらに調べていくとわかるのだがこの和製グラマーの人気が60年代にはいるといったん表舞台から姿をひそめる。この原因はなかなか単純ではないのかもしれないが陳腐な分析をすれば価値観がダブル化、さらには多様化へ移っていたこととその後の歌謡アイドル人気の元となる「かわいい」女性を愛好する男性の指向が強まっていたということであろうか。

しかし60年代にも前田美波里さんやほかにも大柄でグラマーな女性の出現もしっかりと続いていたのであっていわば60年代の10年間は続く70年代に起こる巨乳ビッグバンへの準備時期であったのかもしれない。

 

 

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前田通子さんはスキャンダル(と言っていいのでしょうか?)で映画界を去ったためにその後のテレビ世代の人たちにはほとんどその名を知られることが無く終わった。 しかし1950年代から60年代にかけての和製グラマーブームの先がけとして多くの映画で活躍した、大型おっぱいを持つグラマー女優の先駆け的存在であった。

 

 

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50年代は短いながらも日本における映画の黄金期であり映画が娯楽の王様であった時代であったという(親にも聞きましたが)松竹、新東宝、そして日活などが競って女優を売りだした時代である。新東宝の前田さんに対抗し日活が擁していたグラマー女優の代表がこの筑波久子さん。彼女はその後外国に渡りプロデューサーになり2000年の今でも現役で活動されているそうである。

他にも泉京子さん、万里昌代さん、毛利郁子さんなどの名があげられるがいずれ画像を入手したら追加掲載してみたいと思っています。

 

 

50年代のグラマー映画女優の全盛期が終わり60年代のテレビの時代を迎えると映画は次第にピンク、ポルノへと活路を見いださざるをえない状況となっていった。しかしまだ完全にポルノ映画というカテゴリーが確立されてはいず、通常の映画の一部分としての「成人指定映画」の中で次世代のグラマーアイドルが登場する。しかし彼女たちはその成人映画というカテゴリーで活躍したゆえに一般への知名度は低く限られた世界でのみ崇拝される存在となってしまった。おおきな胸が再び日のあたる表側の世界へ戻ってくるのは70年安保の終結以後のこととなる。

 

 

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history1でも登場していただいた三原葉子さん、おぼろげであっても私がその名を記憶しているほどであるからその人気は相当なものであったのだろう。前田通子もスクリーンから去り、50年代のグラマーブームの後、テレビの急激な発展と共にお茶の間で家族全員が受け入れ得る女性の人気が高まり、露骨に肉体美を表すものは次第に世の中の裏側の存在へとなっていく。さらにミニスカートの元祖ツイギーの来日などもあいまって時代は痩せたかわいいアイドルブームへと様変わりしていた。

しかしそんな時代背景の中でも「グラマーという語は三原葉子にしか使ってはいけない」とまで評された彼女はこの世界ではまさに特別な存在で現在でも三原葉子さんの業績を検証するページもいくつか存在する。新東宝の映画と言えば三原さん、と言われるほど多くの映画で活躍した彼女はこの時代にすでにこの素晴らしいプロポーション、2000年の今見てもこの胸は絶品である。浅学な私の賛美などは不必要であろう、とにかくじっくりこの素晴らしい胸を見こんでみてください。

注)「三原葉子の部屋」は彼女を最も深く研究している優れたページだと思います。もし三原葉子さんに興味を持たれたらこちらを是非ごらんになることをお勧めします。

 

 

おっぱいの面より1960年代をうまくひとまとめで説明することはかなり困難に思われるがそれは当然のことでメディアの種類が多様化し女性の望む女性の姿、男性が望む女性の姿なども年齢層などにより多様化していく時代だからである。ほとんど映画のみからグラマー女性が登場していた50年代と異なりテレビ番組、製品ポスター、雑誌グラビアなど様々なメディアからいろいろな形で新しいアイドルが登場
することになるからである。

60年代も半ばにさしかかり映画もかの有名な「007シリーズ」の頃になると私の記憶にもおぼろげとはいえかなり明確なおっぱいの形が見えてくるようになる。父親が会社の帰りに読みながら持って帰ってきた新聞の中で見たものが日本女性で初のボンドガールとなった浜美枝さんの姿である。まさに痩せているけどボイン、スレンダー巨乳の元祖と位置付けられよう。しかし実は私は初めてこの映画を見たときストーリーの半ば過ぎまでずっともう一人の女性、若林映子さんのほうをボンドガールであると勘違いをしていた。

浜さんは映画中でほとんど白い素朴なビキニ姿であるが若林さんのほうがファッショナブルでしかも稟とした姿はその後の日本のオフィスで活発に活躍する優秀なキャリア女性の姿を先取りしていたように思われる。映画ではわずかにあまり胸がわからないようにビキニ姿を見せるがその胸も実は浜さんをも上回る見事なものであったように思われるのだ。

 

 

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日本の自動車テクノロジーの急激な進歩を代表していたトヨタ2000GTを映画の中でかっこよく操っていた若林さん、後のテレビの人気番組プレイガールに見られるセクシーでかつ強くアクティブな女性たちのイメージの原点になっているのではないかと私は推測している。ボンドガールは浜美枝さんだったので体をあまり出さなかったものの実はその胸は脱ぐと浜さん以上に豊かだったのではないだろうか。

 

 

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浜美枝さんが着ていたまるで下着のような素朴で純白のビキニはかえって後に機能、デザインとも進化したビキニ以上に原始的なセクシーさをかもしだしていた。ボンドガールと言いつつもダイナマイトバディを誇示するというものではなく逆に日本女性の華奢で控えめに盛り上がった胸の隆起、線の細やかなライン魅力のほうを感じさせてくれていた。

 

 

 

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60年代当時はまだ「読者モデル」などというものは存在しなかったがプロモデルとしてそれだけの仕事をしている人たちとは別に一時期だけヌードモデルとして登場する人たちも多くいたようである。佐々木礼子さんもそのような人だったのだろうか、今となってはよくわからないのだがこの写真のころ19歳と書かれていたと思うので2000年を過ぎた今は50歳くらいでしょうか。

ご本人もしご覧になっていたら連絡してくださるとうれしいです。30年を経た今見てもあなたのおっぱいは素敵ですよ。

 

 

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60年代の半ば前このような脱色茶髪の女性はおそらく街でも非常に目立った、というか特別な職業の人と見られてしまったのだろう。しかし2000年のコギャルと髪もメークも著しく類似していて今になって見るとむしろ違和感が無いところが不思議である。体に合っていないビキニもかえってエッチ感が出ていていいですね。

 

 

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バチェラーなどの外国ポルノ紹介雑誌が登場する以前はこれらを専門に紹介する雑誌というのは無かったように思えるのだがどうなのだろう。スクリーンが別冊でポルノを扱うようになったのも70年ごろからであったと記憶している(間違っていたらすみません)

そんなわけで60年代の洋ものポルノに現れる巨乳さんをわずかだが載せてみよう。そのころは洋物ポルノの無修正のものを「ブルーフィルム」と呼んで密かに隠れて映写会などが行われていたそうだがもちろん子供だったのでそれ以上のことはわからないのですが。

 

 

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そうだ、青山ミチさんだ。そうなんだ。毎日この特集のためいろいろと記憶をめぐらせていた私にとって最高の、おそらくは「再会」をしたに違いない胸が青山ミチさんである。

意識的にその名がはっきり記憶されるのは彼女が歌をヒットさせていたときのことではなく、悲しいかなその後覚醒剤であったかで彼女が逮捕されたほうの雑誌宣伝記事であった。しかし彼女の写真を見た私の脳の古い記憶野で眠っていたDNAが突然蘇り私に語りかけた。「私はかつて必ずこの胸に出会い、そしてこの胸にあこがれたことがあるのだ」と。

 

 

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当時100cmという数字は特別な響きがあった。しかもこの痩せた体での100cmである。またもちろんそのころはわからなかったことであるがこの頃のビキニはその後進化したビキニと異なり胸の形を造ったり保ったりさせる、増してや寄せたり上げたりなどする機能など皆無のただの布だったのだ。しかしそれでこのお椀型に保たれたおっぱいは非現実的とも言える魅力であった。

 

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MY巨乳史特集5b

後 編

 

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私が性に関する物心がつきはじめたころ、すでに日活ロマンポルノが日本のポルノ映画の代名詞的存在なっていたのでそれ以前の成人映画界の状況というものをわかっていない。しかし非常に不思議に思えるは70年代の日活ロマンポルノでは巨乳なアイドル女優さんが非常に少ない、ということである。

70年代完全にグラビアモデル、CMモデルのほうが巨乳文化をリードしていたのである。日活ロマンポルノは80年以降単発的に藤尚美さんなどの巨乳さんがロマンポルノに加わるものの70年代にアイドルとなった女優はいずれもどちらかといえば小柄で華奢でグラマーというよりプリティーという感じである。

60年代末までに池さんをはじめとするポルノ映画における日本女性のパーツの大型化は起こっていたにもかかわらずそれがそのままつき進まないところがまた時代の不思議な動きというものだろうか。再びポルノグラフィーが巨乳をリードするようになるのは80年代半ば過ぎからのアダルトビデオにおける巨乳ジャンルの確立を待つことになる。

 

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MY巨乳史1のオープニングとなる池さんは私にとっては「巨乳菩薩」とも言える永遠の偶像的存在であるが彼女の社会文化史上の位置とはどのようなものかを少し外側より見てみよう。

彼女が登場し人気を博していった時期はまさに69年から71年でそれまでカルチャーとはみなされていず世間の裏側に隠されてきた成人映画がプレイボーイや平凡パンチなどの若者雑誌の興隆に伴い表舞台に開放されていった時期である、つまり70年代の扉を開ける立て役者の一人として「女性のおっぱい」の魅力を確認させる偉業をなしとげた歴史に残るおっぱいであったと言えよう。

実は私が最もよく印象に残っている池さんの雑誌記事は普通の週刊誌(週刊新潮か読売あたりであったように思えるが)で漫画家の加藤一郎さんと対談したもので加藤さんの肩に腰かけている池さんのまさに「国産ロケット第1号」のようなおっぱいにすっかり心がとらわれてしまった、そして数十年を経てこのようなページを作成する原動力ともなっているのである。

 

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なぜこれほどまでに彼女のおっぱいはいとおしいのであろうか。当時でも大きさだけで見ればいくらも彼女以上のモデルや女優は存在したのであろうが自らのフェチを気づかせてくれた池さんの胸を超える記憶は存在しない。そして今自分は逆に自分の娘と言って差し支えない年齢の巨乳さんたちを愛でながらもどこかでこの30年以上前の面影を探し続けているのである。

 

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60年代以前のポルノ映画ではまだフェラチオというものは一般的ではなかったようである。私は小学校のころ雑木林に捨てられていた成人雑誌をよく読んでいたのだがそれによればフェラチオも一種の「フェチ」的偏愛行為と捉えられていたようで外国ポルノの中で現れるフェラチオシーンをかなり日本ではまだ行われていない珍しい行為としてなまめかしく描写していた。

ましてパイズリなどというものは日本のポルノで現れるのはかなり後、アダルトビデオの時代になってからのことではなかったろうか。しかしけっして60年代以前よりそれができ得ないような平らな胸の人ばかりだったわけではなく写真の津村さんのようにもみがいのある豊かな胸の人はいくらもいたようであるのだが。

 

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「エロ雑誌」などという呼称はいくぶん差別的なようにも感じられるがあえて私はこの呼び名を敬称としてえたい。つまり一つの文化的遺産としてエロ雑誌は位置付けられる。

最初のエロ雑誌はおそらく50年代登場したと考えられるが60年代が終わり70年代に入るころにいったん衰退する。しかしその後エロ雑誌「ビニール本」(ビニ本)として新時代を築き90年代にはいるとコンビニで気軽に購入できる写真雑誌とビデオ専門店などで販売するより細分化されたマニア向けのものと2極化していくこととなる。

60年代の中盤から後半のエロ雑誌は今見るとチープさの中にも芸術性とでも言うものが感じられる。胸に関しては確かに平均的にはまだほとんどのモデルはAカップ、Bカップなのだが中には充分見事な巨乳さんたちも見つけることができる。

名前さえもクレジットされていない当時のエロ雑誌の巨乳モデルさんたち。時代は「週刊プレイボーイ」「平凡パンチ」など日の当たる「健全エロス」の時代に移りつつあったがその裏で埋もれていった人たちに今スポットを当てよう。

 

「エロ雑誌」などという呼称はいくぶん差別的なようにも感じられるがあえて私はこの呼び名を敬称として考えたい。つまり一つの文化的遺産としてエロ雑誌は位置付けられる。

最初のエロ雑誌はおそらく50年代に登場したと考えられるが60年代が終わり70年代に入るころにいったん衰退する。しかしその後エロ雑誌は「ビニール本」(ビニ本)として新時代を築き90年代にはいるとコンビニで気軽に購入できる写真雑誌とビデオ専門店などで販売するより細分化されたマニア向けのものと2極化していくこととなる。

60年代の中盤から後半のエロ雑誌は今見るとチープさの中にも芸術性とでも言うものが感じられる。胸に関しては確かに平均的にはまだほとんどのモデルはAカップ、Bカップなのだが中には充分見事な巨乳さんたちも見つけることができる。

名前さえもクレジットされていない当時のエロ雑誌の巨乳モデルさんたち。時代は「週刊プレイボーイ」「平凡パンチ」など日の当たる「健全エロス」の時代に移りつつあったがその裏で埋もれていった人たちに今スポットを当てよう。

 

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この方の名前はわからない。柔らかそうな脂肪100%というタイプのおっぱいであるがこのタイプがその後も数十年続く日本女性型の典型的な巨乳と言える。固めで形状の崩れない乳腺型が多く見られるようになるまでまだあと20年近い歳月がかかるのである。

 

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上から順に中山やよい、岸優子、水野あけみさん。クレジットの信憑性は確かめるべくもないがいずれも素人モデルとのことである。コケティッシュに突き出した乳首が色気を醸し出しているいい写真であると思います。

 

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この不思議かつ微笑ましい情景設定も60年代前半の芸術フォトの流れを汲んでいるからであろうか。雑誌の種類はいかなものであろうとカメラマンはよい仕事をしようと努力していたのであろう。

 

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当時のエロ雑誌の難点と言えばやはりまだ胸指向がなかった点であろうか。たしかに胸の大きいことを賞賛はしているのだがその写真アングルは完全に股、ないしヒップ優先であったのでポーズが一律になってしまっているところは残念である。胸優先のフォトが登場するのは70年代も半ばごろになってからではないだろうか。

 

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60年代の雑誌ではこのようなカラー写真とモノクロ写真が混在することが当たり前であった。栄えあるカラーに選ばれたモデルたちの美しいおっぱいはさすがに40年近くたった今でも十分鑑賞するに足るクオリティーを持っている。

左が太田ゆき子さん、右は岡京子さん。

 

1969年代の末から1970年代初頭という時代を思い出すとまず私が思い浮かべるのが「プレイガール」「キーハンター」といったテレビ番組である。1970年代に入ると集英社、平凡社など大手出版社が女性雑誌においてもNONNO、ananというその後定番となる新たなブランドを発刊していくがこの頃から女性が考える理想的体型と男性が求めるそれとの間のギャップが広がっていたようである。

男性が求めるものに女性が合わせていた時代は遠く過ぎさり「アクティブであること」が女性が求める女性の姿となり男性の側がそれに合わせていく傾向が生じる。スポーティーでアクティブであることと巨乳は残念ながら物理的にバッティングしてしまう。そのため健康的な乳房を開放して見せてもその大きさについては女性の側がリミッターを作動させて活動に邪魔にならない範囲に抑えるようになるのである。

女性側自らが巨乳であることを欲するようになるのは1990年代半ばごろから、乳房の質そのものが変化し、巨乳であることが体にあまり負担にならないようになってからであると考えられる。70年代日本女性がひたすらアクティブになっていく中で巨乳好きの男性が求める安心、やすらぎといったものを100%提供してくれたのが日本人ではなく外人であるアグネスラムであったことは皮肉な現象であったとも言えよう。

 

 

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私もまだ小さかったころ他の子たちといっしょに「リンダ困まっちゃうなー」と教室で大声で歌いながら走り回ったことがあった、その数年の後60年代が終わろうとしていたころにいきなり「噂を信じちゃいけないよ」と色気爆発路線でブラウン管に戻ってきた彼女は思春期に入っていた私たちの世代を充分餌食にするほどの豊乳を覗かせていた。

しかしその歌の強烈なイメージと美貌、スリットのパンタロンから見える美脚のほうにもっぱら世間の話題は偏っておりあまり彼女の胸が語られたことはなかったようである。70年代を目前にしてすでに受ける女性の質は変貌しようとしていたのでリンダさんの「色気」はここでもまた一時代前のレトロなものと受けとられていたのである。

 

 

今回私は私の中の巨乳追憶の根元を探るべく過去への小さな旅の試みを行ったわけだがわずかこれだけでも非常に面白い時代の推移を実感することができた。

まだ私が卵だった1950年代に予想していた以上に戦後日本で初めてのグラマー人気が映画の世界から起こっていたこと、ところが1960年代のテレビ文化の急速な成長と映画の衰退に伴いいったんそれが中断されたこと、そして70年代になり学生運動終焉のちにまた新たなスタイルで日本の巨乳礼賛の時代が始まったことなどなど、記憶の中で断片的に現れる豊かなおっぱいたちがやっとつながりを持って見えてきた感がある。

これからはさらにこの50年代の日本での第1次巨乳ムーブメントとも言える頃の映画を見て研究していきたと思っています。

 

 

最後に1970年代のグラビアの歴史を語る上で避けては通れない有名な写真を掲載しておこう。この写真を掲載してよいものかどうか私は豊乳inMY LIFEの制作を始めたときからたっぷり1年迷い続けた。これを載せてしまうことは田舎のマイナーな美術館がいきなりモナリザの複製を展示してしまうに等しい行為と言えるからである。

安保闘争、ウッドストック、神田川、ウーマンリブ、、、あまりに多くの1970年代初頭の典型的若者の心象風景がこの写真1枚の中にすべてつまっているのである。

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最後に

本研究はまったく私自身のおっぱいへの視点からのみ50年代、60年代を探ったものなので映画史などに関する認識は誤っていることは多分にあり得ると思います。このあたりは詳しい方からはご指摘を受けるかもしれませんがご了承ください。

もし50年代、60年代の巨乳についてさらにわたくしの知らないことをご教授くださる方がいらっしゃったら非常にうれしく存じます。また50年代、60年代で私が引用しなかった人で巨乳さんがいらっしゃったら教えていただけますとうれしいです。

 

 

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19世紀の西洋絵画にはすでに胸の下からウエストをきつく締め付けて乳房を高く突き出す上流階級女性の姿を多く見ることができる。古代のヨーロッパにおいて花開いた女性美礼賛の文化は中世になるといったん押さえつけられるが再び近世の帝政時代になって現在の洋服や下着の原型となる衣服が登場することとあいまって乳房の美しさを強調するものへと発達したのである。同様に近世には庶民を描いた絵にも作業着を着た豊満で胸の大きな女性の姿が多く現れる。

おそらく日本人が乳房を見せるもの、鑑賞するものと認識するようになったのが女性にも洋服が定着する太平洋戦争敗戦の後からであることを思えばその歴史の長さはあまりに違いすぎる。とは言うものの多くの科学技術や政治、社会制度を明治以降一気に取り入れ自分たちのものとすることができた日本人は実際の年月の長さの差から比較すれば驚くほどの速さでこの美観を自分たちの感覚としたと言えるのかもしれない。

1950年代日本でもおそらく歴史上初めて巨乳のブームが起こったがその動きの発信地であるアメリカ、ヨーロッパでのグラマーピンナップガールたちこそが現在の様々なジャンルにおける巨乳崇拝の源流と言える。今回この50年代から60年代にかけての乳房グラビアをいくつか眺めてみることにした。

 

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乳房は美しいものである、これは理屈ではない、私たちの細胞のDNAがそのように感じるよう設計されているとしか説明のしようがないものである。しかし乳房は狭義の生殖器ではないしまして大きさと生殖能力は別である。それでも乳房はモンシロチョウを誘因するキャベツ畠のごとき力を持っており私たちはその引力に抗うことはできない、だからこそ不思議な謎なのである。

第二次世界大戦が終わり大規模な戦争の脅威がいったん遠のくと人々は性文化を享受するようになる、かつての絵画に代わる新しい芸術手法として「写真」の時代が始まった。劇場、映画、そして本当のセックスというように性そのものを表現したり実写するのではなく、静止した被写体の一瞬を提供する写真が見る者のイマジネーションを刺激して見る者は能動的に美を感じとる。

写真というものの存在意義は21世紀が始まった今においてもまだ絶大である。私たちは40年以上の歳月を経たモノクロームの乳房からでもそのやわらかさ、しなやかさ、体温までをも受けとることができるのである。

 

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50’sの豊乳グラビアモデルとして私がまず出会ったのがマリーデベロークスである。1954年に16歳の若さでセミヌードでメンズマガジンのグラビアに登場したマリーは後にハリウッドで多くの映画に出演した女優であるがイギリス人でありブリティッシュ豊乳グラビアアイドルの先駆け的存在と言える。

まだ体に比してかわいらしいおっぱいであるがこのおっぱいのフォルムは後の80年代90年代に登場する圧倒的迫力を誇るブリティッシュ巨乳モデルたちへとと確かに繋がっているものである。この写真はとくに腕や脚、腰の肉つきなども含めて気に入ったものです。

 

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ジューンウィルキンソンはバストモデルという尺度で言えば50年代末から60年代初頭にけてはマリリンモンローも全く及ばないヒロインであったかもしれない。当時はアメリカでもまだカップサイズを表記する慣例はできていなかったが42inchというトップ数値が男性をときめかせたことであろう。この上乳の棚をコミカルに誇る構図も彼女の胸への絶大な自信がかがえる。

 

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アメリカにおいてPLAYBOYが男性雑誌の一大ブランドとなる以前はModern manやAdamといった雑誌で豊かな胸と脚線美を誇らしげに見せる女性たちを見ることができる。

これらの雑誌のグラビアページを切り取ってベッドサイドや机の前に画鋲で貼る、あるいは噛んでいたガムで写真を壁に貼り付ける、ということが独身男性の間で流行し、このことによりこのようなモデルたちを「pin-up girl」と呼ぶようになった。この頃の写真ではこのような斜め後ろ姿というものが多く見られるがこれは胸のみならず脚、お尻をも含めて見せようという意図のため最も適したアングルだからであろうか。このような角度で写したときにも十分に存在感のある高さがあって美しい三角形を描く胸のフォルムが求められていたようである。

 

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女性美に関して最初に成熟した国民といえばどこの国であろうか、と思いをめぐらせてまず思いつくのがやはりフランスやイタリアであろう。ブリジットバルドー、ソフィアローレン、ラクウェルウェルチなどに関して私などがあらためて解説することなど何一つないのでとにかくゆっくりその胸を眺めるにとどめよう。

彼女たちはもちろん「巨乳タレント」でも「巨乳ピンナップガール」でもなく純粋なスクリーン女優である、しかし女性たちが自ら理想的体型はこれだ、と口にすることができるような場にその胸を現したということにおいても歴史に残る人たちであったと考えられる。BBが女優として高く評価されるようになるのは60年代になってからであるがおっぱい史においてはなんと言っても50年代末の作品「可愛い悪魔」が適当ではないだろうかと感じている、時を同じくして敗戦後10数年がたちようやく娯楽を楽しむ余裕の出てきた日本においても初めてのグラマーガールブームが起こっておりBBの名は日本でも広く知られることとなり「バスト90cm」というのがグラマーの指標として語られるようになったのである。

ソフィアローレンはむしろ日本ではスクーターのラッタッタのCMに出た人、と覚えている方も多いかと(多くないか?)思われるがこのような大女優が日本のCMに出演することになったことでずいぶんそれまで遠く離れていたハリウッドなるものがいきなり身近になったと感じられたものである。このあと登場するアニタエクバーグも大物女優となったがまだ普通の映画でグラマー女性がそのまま素直にその体を誇示することが受け入れられるという点においてはまだおおらかな時代であったのかもしれない。後にポルノが一般映画からはっきり分化していくにつれ普通の映画からは体を誇るという女優がかえって出にくくなってしまうのである。

 

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垂れ下がった巨大な釣り鐘乳房をそのままにしておく写真が好まれるようになるのは70年代くらいからで50sから60sにかけてはひたすら地面と平行にできるかぎり前へ突きだした胸が好まれていたようである。バストの高さこそがグラマーのエンブレムであったのだ。 乳房のボリュームはまだその後の時代に比べると少ない人が多く、押しつぶしたり脱いだときはさほどではなくなるようだが着衣におけるこのシルエットは以後グラマー女性のシンボルとしてアニメのベティーちゃんに始まって日本の峰不二子に至るまで受け継がれいくのである。

ここでまたイギリス出身の巨乳ピンナップガール代表としてサブリナを掲載したが彼女のサイズはかのジェーンマンスフィールドと全く同等であったが彼女はそのプロフィールにおいて1/2inchだけジェーンより大きい数字を記載し、このためジェーンがひどく悔しがったというような逸話も残されている。

 

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バージニアベルはEarly timesのグラマーを語るときには必ず登場する有名なダンサーである。ラスメイヤーが彼女を発見したことも有名になったきっかけであろうと思われるがその短い活動時期が過ぎた後も何年も彼女のグラビアはグラマーピンナップの歴史には必ず登場するまさに伝説の女性である。

「Ding Dong Bell」と愛称で呼ばれた彼女は48inchというとびぬけた数値のバストサイズがクレジットされており彼女をフィーチャーしたピンアップ雑誌はたちまち売り切れてしまったとも言われ当時の人気がうかがえる。

 

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チェリーナイトは私が本特集をまとめるにあたり私が特に気に入った巨乳モデルの一人である。説明が難しいのだがいろいろな部分に見られる後の時代ならば修正を施されてしまうような普通さが気に入った。このころは「水着グラビア」というものはまだ欧米でも一般的ではなかったようで着衣であるか脱いでいるかのどちらかであることが多いのだがほんわかした雰囲気と豊かなおっぱいがよくなじんでおり私も気に入っています。

 

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キャンディーモリソンは50年代の末から60年代にかけて人気のあったグラマーモデルであるがたぬき系の愛らしい顔は日本人にも親しみやすいものではないだろうか。何よりそのおっぱいの豊饒感はまるで大きな卵を二つ実らせているようで素晴らしい。

60年代はPLAYBOY誌が巨乳モデルの発掘で最も強力なメディアとなるがキャンディーもまたヒューヘフナーに見いだされて有名になった一人である。アメリカ人男性もマザコン傾向はかなり強いと言われるがキャンディーのたわわなおっぱいはきっとそのような男性の心を捉えたことであろう。こう書いている私も数十年の歳月を飛び越えて彼女のおっぱいには魅了されました。

 

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テリーヒギンズも50年代の忘れてはならないグラマーピンナップガールである。元はダンサーのほうが本業であったようだがその豊満で柔らかなおっぱいにより人気を博した。彼女もまた顔も含めて親しみやすい雰囲気を持つ女性であるがピンナップガールとしてのグラビア数はさほど多くないようである。何より自分の本職はダンサーであると自覚していたとも言われている。

 

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ポーラページはアメリカにおけるバージニアベルとよく対比されて語られることが多いイギリスの伝説的巨乳ダンサーである。彼女はTwo Guns Paulaという愛称で呼ばれその着衣姿は胸に大きな銃を2丁入れているようだ、と形容された。

44inch DDカップという今ならばまさに「ロケット」と称される見事なおっぱいである。彼女はその素晴らしい胸でトップピンナップガールへと昇りつめたが最初はトラックの運転手をしていたとのことでどこかガテン的な逞しい雰囲気はそこからくるものかもしれない。

 

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ビスチェタイプの下着は外人グラマーフォトにおける定番衣装であるが日本ではなぜかアイドルビオオなどでこのような衣装は用いられない。ウエストが細い人でないとかえって逆効果になってしまうからなのだろうか。ベティーブロスマーも50年代の人気ピンアップガールであるがいわば今風の言い方をすれば「くびれ系」ということになるだろう。スレンダーなボディーに柔らかそうなおっぱいが魅力的である。

モノクロ写真でもそのおっぱいの柔らかさ、しなやかさが伝わってくるような実にいい写真ではないでしょうか。

 

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エルビスの初期のロックンロールが似合いそうないかにもアメリカンガールという風貌のジャッキーミラーはピンナップガールというよりは人気ダンサーと言ったほうがよい。当時のストリップダンスはBurlesque Danceと称することが多いが私たちがイメージするよりもその地位は高く日の当たる存在であったらしい。このBurlesque Dancerから人気モデルへというパターンが当時は一般的であったようだ。

ジョイランシングはモデルとは言えず女優、しかもテレビで主に活躍する「お茶の間タレント」的存在であったらしいがこの体を見ればフォトグラフ界がほっておくわけもない。60年代に入って彼女の人気が衰えた後三流の映画に出演したりストリップの仕事もしていたと言われるがこのような運命の変遷もまた後の多くのタレントが歩んだ道と同じであろうか。

 

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乳頭にこのようなかわいいバタフライを着けた写真はこの当時のストリップダンサー写真でよく見られるものである。しかし西洋人の場合これは乳頭を「隠す」という意味合いで用いてはいないのではないだろうか。昔アメリカで私もこのようなものをつけて踊るダンスを数回見たことがあるが乳頭を充分披露した後にまた羽根やらベルやらをつけて遊んでみせるというのがアメリカの男性の趣向にあっているようで、私はあまりぴんとこないのですが。

 

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グラビアモデルから俳優やその他のタレントへ、という道順は今でこそ日本の芸能界においても当たり前のようにとられている常道であるがメグマイルスもそのような経緯で有名になっていった人の一人である。しかしながら当時も女優なら演技力、歌手なら歌唱力が必要であったからどうしても「体」先行でのしあがってきたタレントには評論家などもきつくあたっておりかのマリリンモンローも「演技などと言えるようなレベルにすらない肉布団女優」などと酷評されていたのである。

メグはスキャンダルもなんとか乗り越えて60年代に何本かの映画にも出演しているが私たちにしてみればそのように無理にがんばらなくともその美しい胸を充分披露してくれれば満足なのではあるが。

 

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イヴメイヤーはこの特集の中にはいるとややこぶりな乳であるが彼女はかのラスメイヤーの妻であり、かつメイヤーの初期作品に出演した50年代巨乳を語る上で忘れてはならない一人である

 

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フェリーニ監督の甘い生活でのアニタのスチール写真はあまりに有名であるが乳首が見える写真のほうを掲載してみた。アニタエクバーグは1950年ミススウェーデンに選ばれたことからその芸能生活を開始したがフェリーニ作品への出演でやがて伝説的女優へと向かっていく。

まだ50年代はグラマーモデルであることと映画女優であることが渾然一体であって当たり前の時代であった。それが後にいったん女優とモデルは分離した存在となり、そしてさらに後の80年代にまたその境界はなくなっていくのである。

 

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50年代というのは男性が思い描く理想的女性の体型と女性が思い描くそれが珍しく一致した短い時期であったのかもしれない。この後再び巨乳女性が男性向けマニア雑誌の世界のものとなってからは女性が語る自分たちの理想とおっぱい病の男性の理想はどんどんかけ離れていくようになるのである。

 

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1960年代はPLAYBOYがグラビアを牽引した時代と言ってよい、映画においてはラスメイヤーが巨乳というものを最大限にフォーカスした独特のカルトな世界を築きつつあり写真においてはハリソンマークスがグラマーフォトというものの存在を世間に強く認識させていた。

そんな動きの中で一般の雑誌とはややかけ離れた世界でより乳房にのみ特化したマニア向けのグラビアが作り出される動きがあった。pre-Page-3という後のPage-3の前身的なものが登場するのもこのころである。おっぱい特化はその後ScorelandやGentといったマニア専門の世界へと進むようになる。

pre-Page-3の初期に登場したイギリスの人気モデルであるロジーナベルなどを見るとあえてトータルな魅力を排することでなおさら胸へのこだわりを強く打ち出そうとしていることが感じられる。最後にヒューヘフナーがある日歯医者へ行ったとき見つけて入れ込みスカウトしたというジェーンラッセルを掲載してこのミニツアーを終了しよう。

60年代はPLAYBOY、PENTOHOUSEといった一般向けグラビア誌の隆盛とPage-3などよりマニア向けのメディアが登場してくることで巨乳モデル輩出の数はいっきに激増しその趣向もいろいろ多様化してゆくがこのあたりの時代についてはまたいずれ考察してみたいと思っています。

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