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シドニーローム、ジュリアパーク、シェリー、ハニーレーヌ、ステファニー、サビーネ、そしてアグネスラム、、1975年ごろの男性週刊誌の見出しは毎週のようにこのようなカタカナモデルの名前で埋められていた。

日本中の大学を巻き込んだ70年安保闘争も終焉をむかえ引き続き起こったオイルショックがおさまりこのころから学生のスタイルはひたすらレジャー、コンパと学園生活をエンジョイする方向へと転換する。

サザンオールスターズやツイストもこの年デビュー、戦後文化の成熟と共に週刊プレイボーイはすでにトップ男性週刊誌の座を固めつつあった。しかしビキニスタイルという水着が登場してからすでに10年以上が過ぎていたにもかかわらずまだまだ日本女性モデルの水着グラビアの胸は外人に比べて寂しいものだった。ビキニのブラが乳房の先端半分以下の範囲しか隠せないような純国産グラビアアイドルの出現、これこそが多くの豊乳願望を抱く男性が口にこそ出さずとも潜在的に求めていたものであったのだ。

そんなある日、相も変わらず外人の名前が居並ぶ水着、ファッション、化粧品などのキャンペンガールの紹介の中に名字がひらがなという一風変わった日本女性の名前があった。するどい視線、黒い皮ジャンに包まれたその大柄な体こそが後に百花繚乱を迎える「巨乳の時代」の扉を開いた女性、かたせ梨乃の豊乳ボディーとの出会いだった。

 

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1980年代に入るとオールナイトフジなどに代表されるように女子大生がテレビに氾濫することになったが当時はまだ女子大生をしながらタレントになることが話題となるような時代であった。

LAOXのあの乳房を激しく揺らすかなりエグいCMを見て彼女の両親が嘆いた、という話を後に彼女がトーク番組で話していらっしゃったがまだ世間知らずなお嬢さんであったそのころのかたせさんにとってはそれこそ人さらいにだまされて芸能界に連れてこられたごとき状態であったのかもしれない。

当時はまだテレビ番組のジャンルというものが限られていてその中でバラエティー番組というものも確立はされていなかった。深夜番組についてもまだまだアンダーグラウンド性が強くかろうじて老舗番組である11PMがその中で多くの有名な司会者を輩出し深夜番組の地位向上へ奮闘しているところである。

かたせ梨乃はほどなくその11PMのマスコットガールに選ばれる。まだまだ巨乳なアイドルはきわもの的扱いを受ける風潮が強い時代であったが彼女のはその有無を言わせぬほどのナイスバディーで次第に芸能界でもしっかりとした存在感を得ていった。

 

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彼女のCMデビューがヤマハであったということはその後変わらず続くことになる彼女のややきついアグレッシヴなイメージをそのまま象徴していたと言えるだろう。

ビール、カクテル、夏の旅行、エアコン、化粧品といったグラビアアイドルならではのさわやかイメージとは異なる「闘う肉体」の魅力、そして彼女はまだ成功者がほとんどいなかったグラビアモデルから本格的女優になるパイオニアとして実際に旧体制と闘うことになっていくのである。

 

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かたせ梨乃がデビューしてから25年、早4半世紀近い年月がたった。

しかし今でも警視庁が作成したかたせさんのシートベルト推進のポスターは日本の巨乳画像の歴史上3本の指に入るものであると私は確信している。このポスターはかたせさんのデビュー仕事ではなくすでにヤマハのCM他のグラビアで有名になり始めていたのにもかかわらず不覚にも私はこのポスターを見たときモデルがかたせさんであるということにすぐには気づかず「あ、これは外人女性だな」と思ってしまったのである。

後で知ったことであるが同じように思った人は相当いるらしい、与えられた情報ではなく目隠しテスト的に見せられたかたせ梨乃さんがまさに当時にしてみれば完全に「日本人離れしたボディ」であることが実験的に証明されたと言ってもよいだろう。

 

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80年以降まだまだグラビア、モデルとしての露出を続けてほしいと周囲が期待していたものの少しずつ彼女は時代劇やドラマなどへの活動にシフトしていくようになる。今でこそこのようなことは当たり前のことであるがモデルからタレントへという移行をスムーズに行うということは当時はまだまだ手探りの時代であった。

彼女自身のネームバリューは十分に芸能界で浸透していたもののまだグラビアアイドルというものは他のタレントに比較して今以上に数段下に見られていた、というよりむしろそのような職業そのものが認知されていなかったと言ってよい。当時グラビアアイドルとして圧倒的な人気を博したアグネスラムに対してすべての面で勝るとも劣らないボディーパーツを披露した彼女に対してもしそれを支持しない要素があるとしたらそれはむしろそれを見る当時の男性の側の感性であったといえるかもしれない。

まだ巨乳で大柄な体格の日本女性をグラビアモデルのまま受け入れ続ける心の準備が整っていず、グラマーというよりは清楚でかわいいというイメージをアイドルに求める状態は強く残っていた。それゆえアダルトな番組でその肢体を誇示することができるような彼女が一般の女性アイドルとは一線を画した存在として扱われてしまうことになったのである。

トレンディードラマなどというものが登場するのもまだ数年先のことであったから地味ながら時代劇への出演を選んだということが結果的には成功であったということであろう。

 

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寄せて上げた胸だけを見せるのがグラビアだとすれば垂らしきった姿を見せる勇気が女優には必要である。考えてみると1950年代に日本で起こったグラマー女優というものが1960年代にいったん途絶え1970年代かたせ梨乃で復活したとも言える。

しかし90年代以降まだ巨乳グラビアより本格的な女優として成功しそうな人は出ていないと言い切っても差し支えないであろう。イエローキャブからもそれはまだなしえていないのである。

 

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映画で裸身を見せたころすでに彼女は往年の爆乳ではなくかなり落ち着いた大きさに収まっている。地道な鍛錬により彼女は40歳を過ぎても美しいスタイルを保っているがそれはすでに20代のころから彼女は先を見据えたシェイプアップを開始していたからである。

大人の水着、プリティ・ピカピカや2000年になってシャンプーのCMで再び水着姿を披露してくれた彼女。そこにはもうあの頃の元祖爆乳の面影は見い出しにくいものの胸の豊かな女性が年齢を重ねると肥満系の巨乳となるか逆にまったく胸のボリュームを落としてしまうかのどちらかへ向かうことが当然と半ばあきらめる人が大多数であるなかで、できうる限りの理想の体型を保とうとする彼女は今でも豊乳グラビアモデルのパイオニアとして続く人たちに道を示し続けていると言えるだろう。

最後に最近の梨乃さんの画像を載せておこう。1999年出演の作品であるから梨乃さんは42才であるが役中で30才を演じても違和感を感じさせないものである。

 

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お知らせ)
イエローキャブ殿より画像使用停止を求められましたので、画像を削除いたしました。
ご了承ください。 2003年8月

事務所が彼女に気遣って公称した86cmEカップ。写真週刊誌が「この数字を信じた者はいない」と書くまでもなく大きな胸を愛する者たちにとってそれは何の意味も持たないクレジットであった。

潜在的に豊かな胸に憧れていた男性の多くが彼女の姿を一目見て胸というものがいかに自分にとって大きな意味があるものかに気づき、そしていつか彼女の名が多くの男性にとって忘れることができないものになっていく。

かとうれいこにイエローキャブの野田氏が出会ったころ氏は初めて彼が自ら手塩にかけたタレントである堀江しのぶの病と早すぎる死に気持ちが沈んでいる時期であった、しかしそのときの野田氏の経験が後に所属する女性を大切にする野田イズムの基礎となっていく、そんな中で彼にまかされた当時まだ星野麗子と名乗っていた驚くほど胸の豊かな女性。彼女にはよけいな説明など必要はない、その胸の圧倒的な魅力を見せればもうそれでよいのだ、と野田氏は確信したに違いない。

 

すでにアグネスラムの頃よりグラビアを主体とするタレントの最高の登竜門であったクラリオンの年間イメージガールを彼女を売り出す切り札に用いたことがグラビア界における彼女のステイタスを確実なものとした。

しかしかとうれいこの一番の特色は彼女自身がその最大の悩殺兵器である豊かな胸をひどく嫌っていたということであった。最初にリリースされたビデオジャケットに「私はこの胸が嫌い」と書いていることなども普通では考えられないようなことであろう。

水着でのインタビューのたびに必ず彼女が「水着は嫌です」と繰り返す姿もあまり普通ではないほどのかたくなさであったが確かに彼女の水着写真を見込んでいると他の水着アイドルの写真から伝わってくる「どう、この胸!」というアピールが無いことに気がつく。隠したいのに絶対に隠すことなどできようもない圧倒的な豊乳の魅力、このアンバランスな関係がかとうれいこの魅力ではなかったろうか

 

その後の彼女のビデオにおいても見ることができない全盛期の彼女の胸を激しく揺らして浜辺を走るシーン。おそらく本当のサイズはIカップあたりである彼女の若い日の迫力にはその後のイエローキャブの多くの後輩たちもしのぐことができないほどのものである。

 

80年代の後半はAVビデオの世界から大きな胸の女性の輩出があいつぎアイドルビデオというものはそれらに押されてしまっている様相であったがその中にあってAVビデオに真っ向から対決できる見応えのあるアイドルビデオとして後世まで残るものとなった。

 

当時まだその後のようにイエローキャブ戦略とも呼べる独自のスタイルは確立されていなかったためかとうれいこの芸能界におけるステイタスもすぐには定まらなかった。

グラビアアイドルはいかに本人に魅力があっても何年もの間続けられるものではない、いずれは他の仕事にウェイトを移していかなくてはならない、しかも彼女自身は早く水着を辞めて音楽をやりたい、と願っている。けれどもグラビアにおけるトップアイドルというキャリアは音楽という分野ではほとんど役にたたない、そのことを野田氏はよくわかっていたのに違いない。

演技ができるかどうかはさておいてとにかく映画やドラマに出させることである。この作戦は成功であったともいえるし成功しなかったとも言えるだろう、確かに彼女は女優としてさしたる成果は出せなかったのかもしれないがしかしあまり露出しないことがかえってマニアの間では永遠に忘れることのない偶像、限られた世界で崇拝を受け続ける、そんな存在へとなっていったのである。

 

「女優かとうれいこ」は結局一時の企画で終わってしまったがわずかに残された作品の中では彼女のその時代にのみ出せ得るきらめきを感じることができる。珍しいノーブラ姿をも含めて。

 

93年に入ったころよりかとうれいこは数回のラスト水着宣言をした。

当時私たちは巨乳好き仲間の間で「まったく自分がなぜこんなに人気が出たのかわかってんのか」などと悪口を浴びせてしまったが後に考えてみればそのラスト宣言も彼女が常に語っていた水着はできれば早くやめたいというだけの希望を出版社が売り上げのため利用するためのコピーだったので彼女を責めるのは的はずれであったと思うようになった。

実際最後にしたいと彼女自身は希望を出したものの「もったいないです、あと1回だけお願いします」と熱心に説得されたのかもしれないのだし。本人が思い描く終わり方を回りは許さないこともあろう。

タレントは商品であり会社の売り上げ計画、システムの中に組み込まれている存在なのであるから。マスコミにとっては商品となる間は1枚でも2枚でもその写真を使いたい、本人の都合や希望などどうでもよい、ただそれだけのことだったのかもしれない。

 

グラビアを去った後バラエティー番組のゲストや音楽活動などでときおりかとうれいこの名を見かけることはあったもののごく地味で実質的にさしたる活動ではなかったようである。

イエローキャブの所属プロフィールにおいても彼女はすでにボディーサイズの表示はなくグラビアモデルとしての彼女の思い出もいつしか時の流れとともに風化してゆく。しかしグラビアとはそういうものでよいのかもしれない。ほんの数年を駆け抜けるからこそその記録は見る人たち自身の個人的思い出となるものなのであろう。

あの頃はあんなことがあったなあ、そんなふうに。でも今もあの頃もただ一つまったく変わっていないこと、月日が流れてようとも私たちは未だ永遠におっぱいに惹かれ続けている。

 

PS
2002年、かとうれいこさんはご結婚されました、これからもお幸せに。