ほんとに気に入っていた写真である。有名な子ではなかったがまさに70年代の最後に出会った珠玉の巨乳写真。

私のお宝の一つです、どうぞご鑑賞ください。

春川さんについては、historyの1しかも早い時期のところに置きたいと思い続けていたのだが、なかなかこれという画像がなくここまできてしまった。

しかしこのごろ思うのだが20代、まして10代でこのおっぱいがいい、と思える人はやっぱりそのほうが変わっているというかそーとー救いようがないポチャ巨フェチ予備軍と言えるかもしれないですね(笑)

ポチャ巨好きの素質がある人は、だいたい30代くらいからその症状が著しくなるのではないかというのが私の感じているところであるが、後になって思い返すと若い頃なにげなく見すごしていたと自分でも思いこんでいたポチャ巨乳さんたちのことを、心のどこかが原点として覚えていることに気づくのではないでしょうか。

 

なにげなく見ていたのだけどけっこう巨乳さんだったんですよね。ご本人は自分が肥っているとかなり気にしていたのだそうですがぜーーんぜんそんなことないんですが。

あまり日活ロマンポルノを映画館で見た経験が少ない私は、日活女優を女優としてではなく雑誌グラビア上でだけ知っている偏ったマニアであった。

だからあまり映画に関係したことは思い出に無いのであるが、おそらくそのように日活ロマンポルノ女優のことを映画では知らずグラビアだけで知っているという人は多いのでは、もしかしたら実際に映画を見ていた人よりその数は上回っているのではないかとも推測しているのだがどうだろうか。

本当は高い声の子を低いかすれた声と思いこんでいたり控えめな子を勝ち気で我が儘な感じと思いこんでいたり、もう映画をきちんと見ていた人たちにとっては邪道もいいところではあろうがしかし所詮は恋人どうしとなってつきあうのでもないのだしグラビアの女の子を好きになるのは外見以外はすべて妄想で作られた世界で遊ぶということなのであろう。

芸能人水泳大会で女性競泳に出てきた彼女のおっぱいは白くやわらかく怪しく揺れていた。

お笑い系男性タレントがスタート前のそれぞれの女性の腕やら肩やらをマッサージしていたのだがケイさんを担当していた芸人さんがどさくさまぎれに指で彼女のビキニの上にはみだす上乳を2回くらいつまむように触った、わずか1~2秒足らずの一瞬の光景であったのに指がその柔らかい胸に埋まって次の瞬間にびっくりするような弾力で戻っていくのを今でも思い出せるのだ。

まったく私の記憶っておっぱいだらけなんだね(苦笑

大切にずっと持っていたはずのサントリーカクテルブックをいつのまにか失っていたことがすごく悔やまれます。

他にも失ったものなど山ほどあるのだけど、それぞれ1つづつを思い出してしまうとそれに思いが拘泥されてしまうのはなんとも嫌な気分ですが、しかたないので彼女のちょっとワイルドなテイストのおっぱいが見られる広告フォトを掲載しておきます。

70年代の最後にだれをもってきたものかとかなり迷った末登場していただいたのが咲田美樹さん。

実は雑誌に頻繁に登場していた当時はあまりぴんとこなかったのだがむしろ今見るほうが艶っぽく垂れ具合も乳輪サイズも絶妙な素敵な胸である。当時は彼女のちょっと「おねえ顔」がしっくりこなかったのかなあ?

70年ちょうどのころ雑誌に登場しているビキニのモデルたちと比べてその10年の間で着実に時代が巨乳へと向かっていることがはっきり実感できる、そんな胸であった。

70年代の終わりに中村京子さんが「Dカップ京子」なるキャッチフレーズで巨乳=Dカップという一つの新しい図式を確立させた。

これは1977年に初めてワコールがブラジャーの「カップ表示」を開始したことに呼応している。「大きな胸の女性とはいったいこの新表示でいうと何カップなのだろう?」という素朴な疑問への最初の回答である。当時ほとんどの女性がAあるいはBカップだった頃このDという響きは強い印象をもたらしたものである。

そしてこの冴島さんのデビューはたしか85年末あるいは86年の最初くらいではなかったと思うのだが、ここで彼女はFカップというさらに次の時代の一つの指標を示してくれた。当時はまだFといっても未知の領域、というか洋モノのBig Boobsを見慣れているとDDとかDDDという表記のほうが多いので、そのこともあって新鮮な驚きであった。

一度だけ彼女がプライベートでロック系ディスコ(この呼び名もなつかしいね)に来ていたのを見かけたことがあるのだがすばらしかったです。痩せていて腕などもきゃしゃ、しかししっかり乳腺型の上乳が大胆なカットの服の上で物を乗せられるんではないかと思うような棚を作っていたのが目に焼き付いています。

クラリオンガールに選ばれた彼女のレイをかけたあまりに有名な写真を掲載するのも気がひけていたので、あえて違う写真を使うことにした。

一時彼女が女優活動を開始した当時生意気である等のバッシングがあり、後の葉月里緒奈にも似た扱いをうけていたこともあったようだが、私はマノンが好きで今でもまた見てみたいなあと思うことがある。

いいのである、奔放な恋愛の似合う胸の女性はそのように生きるのが一番である、ただ往々としてこのような子はすぐ結婚してしまって水着を見れなくなってしまうという残念さはあるが。

60年代や70年代には大物写真家が男性週刊誌にヌード写真を掲載することが多かったが、そのときたいていソフトフォーカスだのぼかしだの変なものを持たせたり変なところに立たせたりというものが当たり前であった。

ヌード写真に対して「これはエッチ欲のおかずに使うような写真ではない、芸術なんだ」とムキになって主張しているような時代、つまりそれだけまだヌード写真への風当たりは強かったのである。それがようやく80年代になるとあたりまえに写すものが増えてきた。この写真を見たころ、いよいよ時代はバブルへ突入し、時代は一時的に微乳指向へとはいっていく。

長い釣り鐘型のおっぱいを後に「ロケット型」と呼ぶようになったがそれより前から密かに「ロケットおっぱい」という言い方はマニアの間で使われていた。 筆者がすでに高校生であったころ1級下の学年にクラス1の巨乳ちゃんがいて女性仲間からもあだ名がロケットちゃんと呼ばれていた。筆者がずっとその子の胸に憧れていたことはもう言う必要もないことであるがついぞ1枚の写真もゲットできなかった。ほんとにほんとに後悔の残る青春である。

ご存じ23歳の若さでガンで逝った悲劇のアイドル堀江しのぶ。

私は特にこの子に深くはまっていたわけでもないのだがまだ芸能界に入る前に彼女が一般人として、もちろん本名の堀部しのぶで投稿していた写真のことを妙によく覚えていて、その後もああ、あのときの子だ、と思いつつ眺めていた。当時火曜サスペンス(火サス)と土曜ワイド劇場(土ワイ)をよく見ていた私は、どちらかというと鳥越マリのほうに偏っていて彼女をあんまり注意深く見ていなかった。

イエローキャブの野田社長は堀江さんの死をもって女性タレントを預かる事務所を運営するための大切なことを学んだという。後のイエローキャブの繁栄の影には彼女の命の犠牲があると言ってもよい。改めて冥福をお祈りします。

残酷な言い方だけどやっぱり今の時代ではAV女優は無理かなあ、顔が一般的な尺度から言えばブスっ子だし脚のスタイルもあまりよくないので現在のアイドルをしのぐハイレベルな子が求められる時代だといかにも素人的すぎるかもしれない。

しかしわたくしはけっこう好きでしたよ(もちろんだからこそ掲載してるんですけどね)。 こんな彼女ができたらなあと現実的なことを思わせる感じでしたね。

注)後にいくぶんご批判いただいて再度何度も彼女のビデオを見直して少々反省しているところです。おそらく2000年ごろ受けるタイプの顔ではないかもしれない、というだけのことですのでご了承のほど

お気づきの方も多いと思うが80年代以降がそれ以前と最も異なるのはAVの女優さんが多く登場してくることである。

巨乳という資質がAVという仕事に就職するための最大の長所の一つになり、いつ現れるかわからない子を待つよりはAVを探せば手っ取り早くかつ確実に巨乳に出会えるようになっていったからである。これは偶然であるが冴島さん、加山さん、そしてこの本木さんに共通することは3人とも標榜しているサイズがFカップなのである。しかしこの本木さんなどはもっと大きいサイズを公称してもかまわないのではないかなと思えるのだが控えめですね。

AVの興隆と共にその中でも「巨乳」というジャンルが確実に育っていった時代である。そしてこのすぐ2年後にそれを決定的なものとする松坂希実子さんが登場するのであるが自分的にはこの「Fの時代」もまたとても懐かしいものがあります。

この写真は残念ながら巨乳ではない、というか彼女が巨乳であった時代の写真は門外不出であるかもしれない。なぜならば芸能界に入ったときすでに彼女は巨乳ではなくなってしまっていたからである。彼女が1mを軽く超える爆乳であった銀行員時代の写真、これこそまさに入手最困難なお宝でしょう。

みゆき、などと言われても当たり前すぎる名前なので誰のことかわからないと思うが、昔(1980年ごろ)土曜日の夜11時頃東京地方では12チャンネルで放映されていたDo Sportsという番組でデリーサという外人の子とともにパーソナリティをしていた子である。

番組ではよくパジェロなどの4駆などでオフロードレースなどのチャレンジしたりスキーや当時はまだ全く認知されていなかったスノーボードなどにチャレンジしたり、とどちらかと言えば”ガチガチなモバイルスーツ”を着て出ることが多かったのが突如その下にかくされていたすばらしい膨らみを現したのは生ビールのCMとポスターであった。しかしこのCMも放映回数は少なく出会えた人は少ないのではなかろうか。

巨乳のモデルは生ビールCMという一つの定番に従って彼女も抜擢されたのであるが、ビキニで自転車に乗っているそのポスターをまだ持っている方はいるのだろうか。今回はこれしかビデオが残っていなかったので泣く泣くあきらめました。

本当は細川ふみえちゃんを先に出したほうが順序的には正しいのではあるが、しのぶさんを先にさせていただく。とにかくギルガメで初めて登場したときのインパクトはすごかったです。

みずしまちはるさんもギルガメで一般に名前を知られるようになったがそれ以前から風俗店紹介の雑誌などには出ていたのであまり驚きもなかった。細川しのぶさんは今でも風俗で人気があるそうであるが、今回は初めて彼女がギルガメに登場した記念のシーンでいきましょう。

両腕で隠しきれないたわわな房、飯島愛さんに「あんたぜんぜん隠れてないわよー」とひやかされたりしていましたね。ほんといいおっぱいですねえ

懐かしい、、、、この仰向けでもまったく流れずに形を保ったパトリシアの豊かな乳房に、ついに再会できた。

もし今出会ったものにまた20年後に懐かしく出会えることなどおそらく無いであろう、これはきっと生涯にほんのわずかしか経験できないことの一つなのである。この20年はあまりにいろいろなことがあった。

世界で一番若かったはずの我が世代も気がつくと何人もの仲間はすでに亡くなって鏡に映る自分の姿はあの頃の父親そっくりになった。そんな日々の中でも変わらず私は心のどこかで常にいくつものなつかしい乳房を思い続けている。変なことだと思いますか?私にはそれが当たり前のことのように思えるんです。

実は私は菊池さんのビデオは最初に「裏物」を見てしまったためにその胸へのイメージが後になってしまった。

どうも胸のサイズの進化は1サイズづつあがっていくのではなく一つ跳ばしであがっていくときがあって、Dカップが巨乳の代表となった次にEはスキップされてF、次のGは松坂さんの功績で脚光を浴びたが、その次のHはまたスキップされたようなところがある。

そんな中にあって菊池さんの胸はEカップの中のEカップ、まさに「Eカップとはこういうものです」という見本のような胸でややAVの中にあってもやや異色の立場を際だたせていたように思います。

旭化成、カネボウ、東洋紡、ユニチカ、テイジン、東レといった水着メーカー大手のキャンペンガールとなることは、グラビアモデルの花道であり多くの有名なグラビアアイドルがこの世界から輩出したことは言うまでもない。

しかしトータルバランスが求められる世界ゆえ極端な巨乳女性というものも存在しないのであるが、その中で田島さんは胸フェチ男性に崇拝される数少ない水着キャンペーンモデルの一人と言えよう。テイジンキャンペーンからすでに10年以上の歳月がたつが今でも多くのファンがいるようである。

ビキニの着こなしも時代とともに少しずつ変化していて特に90年代以降は素材や形状のハイテク化とあいまって下乳をしっかり固定して、左右から中央上に向かって乳を押し上げて上乳にボリュームをもたせる、ということが当たり前となっている。しかしどれもこれも一様にその形だとつまらない気持ちになるのは私だけであろうか。

この田島さんの写真、やや垂れた胸をそのまま上から軽く水着で押しつぶしたままにしている、このナチュラル感が生めかしさを醸し出していて実によい感じである。ちなみに濃い眉毛もそのままというところが2000年代と違っていてこれまた自然ですね。