初めて映画デビューしたときにはまだ本名の瀬戸口さとみ(字が誤っていたら申し訳有りませんが)を名乗っていたが彼女が最も迫力ある胸をしていたのは残念ながら「女猫」で裸身を見せるよりもずっと前、ちょうど「港のヨーコ」とかいう映画に出演していた頃である。

ラストシーンで乳母車を押して歩いている彼女(それにしても笑っちゃうくらい3流映画でしたね、正直なとこ)の胸はとんでもないボリュームであった。雌猫のころにはすでにボリュームも少なくなりしかも垂れ始めている、乳房を上向きに引き上げる筋肉がどうしてもゆるんで「棚が落ちた状態」となってしまうのである。これはもちろん年齢からしていたしかたないのであるが、かたせ梨乃にしてもその最高の状態の頃ではまだ脱いでいなくて胸を現したのは全盛期をかなり過ぎてからであった。

巨乳マニアにとって巨乳女神たちの胸を常にその最高の時期にはついに見ることができないというじれったい気持ちは常につきまとうのだがしかしプライベートでその宝物を独り占めする幸運な人も確かに存在するのだからうらやましい限りである。この写真はデビュー間もないこれから大きくなるころの貴重な1枚です。

※画像は補足的に現管理者により追加

まだ痩せていた当時のフォトはあるのですが残念ながら私がなつかしいのは週間プレイボーイに掲載されたポチャ巨乳になってからの泉アキさんのフォトなんです。でもその後乳ガンで乳房切除の手術をされたことはほんとうに辛いことだったでしょう。あのころのアキさんの姿はポチャ巨好きの私たちの思い出にしっかりと残っていますよ。

プラッシーというお米屋さんで販売されしかも武田薬品という今思うと非常に不可思議な製品のCMで登場したためにテレビでその姿を見た人はあまり多くはないのではなかろうか。しかしそのわずかな露出期間にかなり強い印象を残していった彼女も私の巨乳ウォッチング人生で忘れられない一人となった。

着物のモデルをしていたというがあの凹凸のある体型でなぜ着物モデルができたのかもまた不思議である。月光仮面といっしょにウォータースキーに乗って「お届けします」と言った彼女の声と胸はいまでも鮮やかに思い出すことができます。

(注)実は本ページ内にはすでにスザーナさんの画像はたくさん掲載してあるのですが、自分にとっての思い出の1枚が見つかるまではこのままにしておきます。

1970年代の終わり頃、当時まだ日本人モデルで見るべき巨乳逸材が現れるには少しの年月を要したまさに夜明け前。マニアは当然のことながら月刊PLAYBOYなどで外人プレイメイトを見るしかなかったころ、日本人巨乳たちの登場のプロローグを飾ったハーフやクオーターのモデルたちがいた、ザ、スクエアの二枚目のLPのジャケットになっている方(名前忘れた)や、あのアグネスラムの翌年にクラリオンガールに選ばれたサビーネ金子、そして本名をゆきえホーンという彼女などがその代表であろう。

出ていたドラマの名前もすっかり忘れてしまったのだがあるシーンで彼女が胸を張る場面がありそのとき見せたはちきれそうなブラウスの山こそはその後私が丸の内などで制服を着た素晴らしい胸の女性に感じる気持ちの原点であった。

90年代になるとよく「あどけない顔立ちにアンバランスなダイナマイトボディ」などというキャッチコピーやナレーションが乱発されるようになってきたがこのころはまだ巨乳の子はきちんとそれなりのけばさや熟れたいやらしさがちゃんと顔にも現れていて私としてはどちらかというとそのようなもののほうが好きである。三上寛さんが三原葉子さんを賞賛した文の中で若いアイドルの水着写真をして「、、あんなものは色気があるんではない、発育しているだけだ」と若いグラビアアイドルのことを書いていたが胸が大きいことは大きいのにどうしても色気を感じなかった写真というのもかなりあり、ファンの方々には申し訳けない書き方だが若いころの榊原郁恵さんやアグネスチャンさんなどが私にとってそうであったように思います。(彼女たちも結婚後かえって好みになってきたのですが)

映画監督といえば誰を思い出す?と質問されてスピルバーグでもなくジェームズキャメロンでもなく真っ先にラスメイヤーの名をあげる人はやっぱりそーとー毒されてますね(笑)。

このページ作成のためにこのキトゥンのことを再度調べてみたところ非常に詳しく解説してくださっているページを発見した。洋ピン研究もここまでくるとたいしたものだなあといたく感心したところであるが、外人の巨乳に関しては反応する基準が自然に日本人のそれに比べて倍以上の大きさまで厳しくなるようなので、ちょっとやそっとではあんまりフェバリットにはならないのであるが彼女に関しても私的にはあとちょっと乳首がなあ、なんてぜいたくを思ってしまったものです。

大リーグのオールスター戦でグランドに乱入して選手に抱きついてキスをすることで有名な彼女だったが、その後日本版PLAYBOYでヌードグラビアを見て少しだけ醒めてしまった。脱ぐよりもTシャツの爆乳を揺らして走る姿のほうが印象が強烈でそのような現し方のほうがいい場合もあるのだなあ、と感じたものである。あのシーンもう一度見たいなあ。

大リーグで日本人選手が活躍する今になってもこの胸の揺れはまだかなわないものがある。本当はあのグラウンドのシーンをアップしたかったのですが、、

いかんよなあ、こんな大物歌手をこういうとこで出しちゃー、ってそりゃドリーパートンもおんなじか(笑)

しかし黒人女性としてはぜんぜん巨乳ではないレベルですが歌でステージ立つのに、照れもなく乳首が透けて胸の揺れもそのままで出てくるってとこがすごいですねえアメリカの方は。

体育系コンプレックスがある私にはこのような体はまぶしくそして自分とは永遠に縁の無い世界のものであると一線をひいてしまうところがある。巨乳とは呼べないかもしれないがその健康的に弾んでいる胸は自分には手の届かないゆえに限りないあこがれの存在なのです。

アグネスラムは、あまりに急激にグラビア露出しすぎたためにデフレを起こして彼女が日本で歌手としてデビューするころには残念ながらすっかり飽きられてしまっていた。しかし、巨乳(当時の言い方ではボイン)が飽きられたなどということはまったくなく、つまりはかたせ梨乃さんだけではなくもっとたくさんの国産巨乳を、という声にならない欲求が満ちあふれていたのであろうか。

島崎奈々さんはそんな中で登場した子である。当時は巨乳度をブラのカップで表示する習慣はまだなかったためただB92というクレジットしかなされていないがこの感じならば確実にGカップ以上に達しているでしょう。

失ってしまった画像を待ち続けて掲載ができずにいるサブリナさん。最もオーソドックスなものであるがこれも思い出に残っている写真である。当時はこのようなハーフやハワイ出身のトロピカルモデルが雑誌に出ていることが当たり前でそれが特別な流行であるなどとはまったく思いもよらなかったのであるが。

自分で何年もの間とっていたのにとっていたことも忘れていた一枚の切り抜き。

当時田舎に住んでいた私は旅行代理店というところに行くことすらなかった、一年に数回仲間内で遊びに上京したとき、そのころはまだ安いコーヒースタンドもなかったので喫茶店代を節約して交差点のガードレールで缶コーヒー(もちろんまずいロング缶)を飲みながら眺めたビルのショーウィンドーでこの子の肢体をまぶしく見つめていたんだったなあ。

フェデリコフェリーニ監督も相当な巨乳好きのようですね。アマルコルドが自分の少年時代の回想だとしたら、この人は小さいときから爆乳好きに目覚めていたということになるけど、確かに自分も思い返すとそういうことはずいぶん思い当たります。

まだ小学生のころでしたが、夏には近所の公園でラジオ体操があって、そのときには中学生高校生の女の子もいっしょであって、そのとき一人とくに豊かな胸の女性がいて、上下に跳びはねる運動のとき胸のラインがまるで秋の土用波のごとく大きくうねるのを見てあこがれを抱いていたものです。

なんとかキャプチャーしたらアップしますね。(右の女性はマガリではありませんがこの映画でやはり印象に残ったおっぱいさんです)

有名なシャロンケリーが出ていた映画で脇役で出ていたのを見つけたのだが、シャロンケリーにしてもかなり巨乳ではあるもののこのロザンヌと並ぶとずいぶん小さく見えた。ほどよくタヌキ犬系のブスっ子な顔だしね。まあしかし特に演技ができるわけでもなかったみたいなので、やっぱりコアなマニアの間にだけその名が刻まれるタイプなんでしょうねえ。

ラジオの音楽番組のDJをしていたときから密かに目をつけていたが、案の定その胸はマスコミの注目するところとなった。

「くちづけは許して」歌手デビューすることになるも、芸能界には合わずすぐに久保田真琴と共に本格的な音楽活動に入った彼女はまったくグラビアモデルでもなんでもないのであるが、ただ一回歌手デビュー直前に週間プレイボーイに登場した「たわわな果実」と名打たれたグラビアにはぶっとんだ記憶を持つ人も多いであろう。

このボリュームでまったく垂れないやや固めの乳腺型乳房はやはり脂肪型がメインの日本人とは異なるものである、やっぱり外人はすごいなあ、とため息をつかされたものです。

共同石油のイメージガールとして華々しくガソリンスタンドの大きなパネル上に登場した彼女。この写真も今見ると「なんでこれが巨乳なの???」というレベルなのであるが、それでも当時はずいぶんその谷間とビキニのサイドへはみ出した乳に見とれたものである。

あまりに物が氾濫すれば当然それらはそまつに扱われるようになるが、貧乏学生であった私にはそのころ彼女のグラビアはまさに「穴があくほど」じっくり眺め鑑賞し、様々なことを想像できる高付加価値品であった。

200円そこそこの週刊プレイボーイであるがそれが一生涯でこれほど長期間にわたって役立つとはまさに最高のコストパフォーマンスと言えるだろう。巨乳グラビアはマニアにとってそれほどの価値あるものなのである。

こちらのページを見てくださっている方々の中には「なんでアグネスラムが登場しないのだ?」「柏原芳恵は?」「河合奈保子がいないのはおかしい!」等々の疑問やら不満やらをいだかれる人も多いかもしれない。

ごもっともです。もちろん私とて大きい胸とみればほとんど自動的にチェックするような人間なので、彼女たちについてももちろん見てはいるがこちらは資料を提供するのが目的のページではなく、あくまで自分が反応したものについて掲載しているので相当の巨乳の方もあえて掲載していないことが多いんです。

クラリオンガールとしてはむしろ地味な存在であったがサビーネ金子さんの胸は私にとっては確実にアグネスラムさんのそれよりも上でした。外人のヌード写真はあまり現実的なセクシーさを感じられないことが多いのですが日本人の血がはいっていることでこれほど「感じられる」おっぱいになるとは実に不思議なものです。

70年代にはまだタレントやモデルでさえも茶髪は一部の女性のみで、むしろ意識的に山口小夜子風に漆黒の髪色をしたモデルも多かったように記憶している。(かたせ梨乃もそのようにしていたことがあった)

大川さんは当時女子大生だったが今では(2000年ごろ)AVや風俗から巨乳はデビューすることが当然でそうではない純粋なモデルさんで巨乳な人、という存在はむしろ希有になってしまっているのでこのような画像というのはことさら今見ても新鮮さが感じられる。

このころの正当派アイドルは胸が大きいということを絶対に売りにはできないという不文律があったので、河合奈保子にしてもアグネスチャンにしても必死に体にサラシを巻いてでも胸を目立たなくさせていた、という今では信じられないような実話があった。

柏原さんも、もちろん当時はそのような世界にいたのだが、その体が外に出たい出たいと訴えているようでついに隠しとおすことができず、なんてわけでもないのだろうが、その後はけっこう体勝負をしてくれたものです。

しかし柏原芳恵は名前の字を変えてみたり歌も大人っぽいものにしたと思えば、またアイドル風のものに戻ったりと自分の扱いに関する方針が迷走する中でも不思議なくらいの芯の強さを感じさせてくれた。豊満な体を見せながらも彼女自身は自分はアイドルなのだ、という誇りを心の中にしっかり持ち続けていたのだろうか。

もし、彼女がアメリカの雑誌などの中に載っているのをたまたまどこかで見かけたとしても、ちょっと気にはとめても特にいつまでも心に残るというようなことはなかったであろう。

大リーグなどまだ遠い海の向こうの出来事であったが当時日本での活躍ゆえ特にその名をよく覚えられた外人選手がいるように70年代は日本の雑誌でグラビアになってくれたために多くの人の思い出に残った外人モデルがたくさんいる。

このダーンはミスグアムとなった人であるが、この胸の豊かさといい美貌といいもっと人気が出ても不思議はない人であったと思うのだが、まあしかしあまり人気が出なかった分自分だけの宝物のような気にもなれます。