2005年年頭に

トップメニューで案内をさせていただいたように昨年12月に突然入院となり手術を受け、現在療養しております。病気は他ならぬ癌なのですが、癌だったためというとではなくともこのような目にあってしばらく特別な環境で過ごすとそれまでとは違ういろいろなことを思うものです。

トップページの挨拶でも書いていることですがこのところ奈良の少女誘拐殺人にはじまり固い職業とみなされるような立場の人による盗撮や痴漢、強制猥褻行為などのニュースが頻繁に報道されているのを見るにつけ世間が「変質」や「性犯罪」の一言でかたずけるおそらくはこれらの犯罪の根本にあるその人の「性的偏執」についていろいろ想像するようになりました。

巷には私のような胸フェチを含めて周囲からマニアと呼ばれてしまう偏執な人が多くいるわけですがが実際にそのような自分のフェチを満たすような対象と交際したりできる人は別としてそうでない人たちはみなグラビアを見る、ビデオ、DVDを見る、風俗に通う、などの方法により犯罪に走るようなことなく生活を維持していると思われます、犯罪を犯してしまった一部のフェチにしても最初から犯罪者になりたいと願っていたわけではないでしょうし様々なヴァーチャルな手段を用いてその欲望を満たそうとしてきたのだろうと思われますが、しかしアニメやビデオ、グラビアなどマニア内部の自分を滅ぼす圧力を逃がす役割をしていたものがだんだんその力を失いつつあるのかもしれないと感じられます。

おっぱいフェチは幼女愛好などに比較すると対象を成人女性に求めることができる分犯罪には結びつきにくいフェチと言えますが、グラビアなどがフェティシズムを満足させてくれなくなってくるというような面では同じ現象が起きているように思われます。いかな上質のモデルのビデオがあってもすぐ2軒隣の家に干されている女性のブラのほうがはるかに自分にとっては偏執欲をかきたてる実存でありもしそれを盗んだとて捕まらずに済むのでは、という判断が自分の中に生まれて次第にとれるリスクであると確信してしまう。

そして「盗む」ことがよくないことかという思考が無くなってしまい「どう盗るか」という方法論のみが頭を占めてしまうようになる。そのようにしていかにきちんとした仕事についていて当然常識もあるはずの人であってもこのような行為を行ってしまうことは容易に想像できるところです。

フェチは一人で長く暮らしていることで病状が増悪するものであるらしいということは私自身よく感じているところです。結婚であったり子育てといった自分の内面が嫌でも他人と深くかかわるような関係を持たず、職場での仕事に関する表面的な関わり以外は自分と同じ類のマニアとだけネットなどで長い期間交流していくうちにいつのまにか自分が周囲といかに異質になっているかということに気がつかなくなってしまうもののようです。逆に言えば無理に形からでもまともな生活をすることもフェチを矯正する有効な治療の一つであるのかもしれません。(もちろんかえって抑圧と爆発により人生が破綻してしまったりすることもあるわけですが)

巨乳フェチに限らず偏執などは一般に真面目に考察されることなどないものですがしかし偏執は当事者にとっては人生をも左右しときには破壊してしまうこともある大問題です。誰しもなんとか幸せでしかも正しく生きられたらそれに越したことはないのですが、フェチは絶対に治らない、というのももしかしたら誤りでフェチであるまま幸せになることだけでなくフェチでなくなることもでき得るのでは、少なくとも程度が軽くなることは可能なのかもしれないということも考えるべきなのでしょう。もっとも今の私にもそれは全く実感の外側にあることなのですが。

 

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世界一の巨大バストモデルなどという番組名を見ても ああどうせまた人工乳モデルか、とさしたる興味をそそられないもののそれでも一応は見ておこうかな、などとチェックしてしまう悲しい習性がまさにテレビ局の思う壺なのであろう。もっとも今年は天然の巨乳女性も登場しており見た甲斐はあったというところか。

 

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いずれためのこんだ下着カタログを時代ごとに整理するのもいいなと思いつつ思うだけという状態である。これは昨年冬のもの。大きな胸をコンパクトに見せるというコンセプトは実はそう新しいものではない。しかし昔はどちらかと言えば肥満めになってきた中年以後の女性を対象としていたが最近では10代くらいの女性からこのことは重要な機能になっているようである。

 

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ファインダーを覗きながら撮影をしていたテレビカメラマンも絶対意識するんではないかなあこの瞬間。あたくしにはこの仕事はできないなあと思いましたですね、絶対悪事に走ってしまいますから。(テレビに出たものとはいえモザイクはかけておきました)

 

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これは外人さんの写真であるが、おそらくぽちゃ巨乳フェチには総じて好まれるタイプであろう。大きさをとにかく優先する時期にあってはその先のプラスアルファはなかなか自分でも意識ができないものである。自分が満足できる大きさのものが出そってきたあたりから初めて自分がどういうものに芯から反応するかが見えてきそうである。

 

良識ある意見

先日少しつきあいのあった方のブログを読んでいたらこのごろ写真週刊誌であふれているスポーツ選手のグラビアについて苦言を呈している記事があった。シャラポアさんや安藤美姫さんなどのセクシーショットはここのところ毎週雑誌に掲載されているが当氏は自分も男子ゆえそのようなすけべ心はあるが雑誌はスポーツ選手のそのようなセクシーハプニングショットのようなものばかり載せるのは本人に失礼であり本来スポーツ選手としての魅力が感じられるような写真こそ掲載すべきである、といった主旨のことを書かれており、これはもうごもっともでなんら反対意見を言う気もないが、さりとて低俗なフェチを自覚する我身としては 自分も反省してこのような目でスポーツ選手を見るのは慎もう、などと言う気持ちなど全くおきないこともまた事実であり、だれを見ようと自分は胸しか頭にないのはもう業病と思うしかない。

真面目な仕事の会議中であったとて斜め前に見事な胸が見えればもう頭の半分で会議に参加しつつも半分はトリップしてしまう。こういう私のようなやからのニーズがあるから雑誌もこのような記事で売り上げ部数を伸ばすことができるわけだがときにはこのような良識ある見解に触れておかなくてはどんどん自分が変な人間になっていってしまうようでこわいこともある。

電車内でスカート内を覗こうとした大学の先生、テレビキャスターが「なんでそんなことをしようなどという気になるんでしょうね」というコメントをするほうの気持ちのほうを私はまったく理解できないのだが理屈でも心からこのように思っている人もいるのだということを覚えておかないとそのうちいずれえらいことをしてしまいそうなのである。

 

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上の文とやや矛盾するようにとられることを書くが、このような胸に魅力を感じるのはアスリートゆえということも重要である。普段不健康なものに惹かれることも多々あるが健康・力強さと同居する豊かな胸というのは自分の遠く及ばない世界のものを見る楽しみをくれるものである。

 

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甘えっ子なぽちゃ巨乳フェチさんの憧れるシチュエーションでしょうしっかりと太股で身体を押さえられ、逃げることも抗うこともできずに意のままにされる喜び、、

 

MY MYSTERY

先日実家に戻ったおりに小学校のころの記憶で今の自分にとって謎の一つであったことがらについて資料を一つ発見した。

下の写真であるがホッテントットの女性はそのすごく垂れ下がった乳房普段両肩の上に乗せてかついで歩いているということを何かで読み、その写真も見たのであるがそれが何であったのか。下の写真は肩にかついではいないが垂れた乳房については見てのとおりである。昔の平凡社大百科事典より拝借させていただいた。

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錯覚もまた真なり

たとえばこの南キャンのしずちゃん、冷静に見たらD~Eカップ程度であろうことはわかるのではあるがしかし数値データからは読みとれない、胸フェチを引きつける「大きいいと感じさせる要素」を持っていると思われる。そしてこのことをして、それは本当の胸フェチではない、と決めつけてしまうとフェチの根元を考える上で重要なことを切り捨てることになってしまうのではと常々考えているところである。

所詮人間の感覚は錯覚や思いこみの入り込んだ曖昧なものなのだ、などと結論づけるつもりはないけれども錯覚や思いこみを惹起させるものにもある規則性のようなものはあるのではと考えており、それらが「豊かな胸」と感じさせる原因になっているのであろう。それをなんとか見極めたいのですが、、

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キャプ画像どうもありがとうございました

 

ブラジャーの役割の複雑さについてあらためて思う

まだ未開の地では女性が乳房を隠さずそのままにして生活しているところがある。そして先進国の一部では乳房をぎりぎりまで露出させるファッションも当たり前になっている。 乳房を隠す物 と当然のように誤解しているのはむしろ男性のほうであって本来のブラの第一義的役目は「保護」であるはずでその後すぐに衣服を着たときの胸の見え方を整える、つまり「整形」の機能が加わったのではないだろうか。しかしながら「隠す」という役割はじゃあ不要なのか、と言われるとそうではなく本来性器ではない乳房が隠されるに至った文化的歴史的な経緯はやはり乳房と男性の関係によるものと思われる。私たちはどうしても過去をその時代のの感覚で見ることはできず、今の自分たちの尺度で見てしまう、そうでなくなるには相当の訓練が必要であろう。

おそらくは過去には今以上に女性が身を守るために胸を隠さなくてはならない時期があったのではなかろうか。そして今、女性がグラマラスファッションを楽しむ時代になってもなおその根底に過去の何かが流れているものなのかもしれない。

 

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見てはいけない?

盗み撮りだとかそういうややこしくなる話は今回はなし、純粋に「見る」ことだけについて。

ツッパリ学生(死語ですが)などが昔よく言っていた「ガンとばすんじゃねーよ」とはつまり「見る」だけでも喧嘩売ってやがるのか、とか馬鹿にしているのか、といった意味合いであるが、とある胸の大きな女性のHPを読んでいたら「じろじろ見られるのはもちろんのことチラ見さえ不愉快で許せない」という主旨のことが書かれていた。なるほど、そういう思いの女性も多いのだろうなあ。しかし「見るな」は少々無理のある要求ではあるように感じられる。

じろじろ見るのは「マナー上」確かに気持ちのいいことではなく、これは顔であってもそうであるので、前記の「ガンとばすんじゃねー」も心情としては納得いくところもある(その対抗手段は困りもんですが)。ポイントは顔を見ることと胸を見ることではどう違うのか、というところである。もちろん普通に服を着ているところをただ見るだけの場合についてである。

顔に自信のある女性は街で男性が自分を見ていることは内心誇らしく感じているのであろう、これをしても見ないでほしいというとなるともはやその気持ちのほうが屈折しすぎであると思うが胸の場合にはたぶん顔よりも性的欲望に直結していることだから女性からするとそのような目で見られたくない、ということになるのろうか、あるいはそのように回りくどいものではなく、もっと直截に「胸が大きいのはイヤだ」、それは欠点でしかないのだ、だから人の欠点をじろじろ見ないでほしい」という気持ちなのだろうか、もし後者であるとしたらなんとも残念きわまりないというかそのような気持ちは是非消し去っていただきたいものである、だが前者とするとそれはあながち間違いではなく、顔を見る心理とは異なっていることは認めざるを得ないわけだが、ならばもう顔であろうと脚であろうと「女性を見る」ことをしてはいけないと言っているのと同じ出はないのか?とこれが詭弁であることは自分でもよくわかる。確かに顔を見られても男の下心は露骨に見えないが胸となると何も身につけていないごとくそれが感じられる。それだから始末が悪いのである。

この夏は昨年にも増していっそう谷間や上乳を見せるファッションをしている女性が増えたようである、そのような女性のほとんどがB、C、Dといった程度のサイズの女性のようであり、本当に大きな胸の女性はなおひたすらカムフラージュに努めている人が多い。大きいことが恥ずかしいことではなくなる日が来てほしいような、来てほしくないような、そんな複雑な思いである。

 

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じろじろ見てすみません(W これは顔出ししてい俯瞰なので気が楽です。

 

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こういう姿で街を歩くからには当然誇示したい気持ちはあるということなのでしょうねえ。なのになぜか女性の心は疑問文、、

 

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やや外に開こうとするとがったロケットおっぱい。 気に入ってしまいました。熟女の魅力的着衣巨乳の典型の一つですがしかしなかなか出会うケースが少ないものですね

 

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きれいな人、かわいい人を見ればもちろんきれいだな、かわいいなとよい気分にはなる。しかし巨乳な人を見たときとの決定的な違いは自分の中の芯の部分を揺るがすかどうかである。かわいい人を見てもその子の胸がある程度の閾値を超えないと自分の中のコアであるどろどろとした感情はわき上がらない。それはそれで穏やかでいられるのでいいことなのだけどね。さて、このお胸微妙な境界線付近?

 

晩夏

ようやく外に出ていくらか歩き回ることもできるようになった。しかし暑い日は体力が消耗し長くはもたないな。

交差点で点滅しはじめた青信号を見て小走りで横断歩道を渡る人たち、その中に右腕でしっかり両胸を揺れないようにかかえて走る女性の姿を見つける。自分が死ぬときおそらくは唯一の後悔がこの胸への思いをついに一度もかなえることのなかったことであるなどとは、他人が聞けばなんと馬鹿馬鹿しくそしてやりきれないことであるか。なのになぜこの身体は呪縛にかかったごとく動かないのであろうか。

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今年の夏はどうだったのよ?

一昨年の今頃は毎週コンビニでどの雑誌見ても「巨乳」の文字ばかりだったのが今はもうすっかり落ち着いて雑誌の表紙もそこそこに胸の隆起や谷間のある程度の子の写真が大勢を占めるようになりましたですね。

しかしちょっとコンビニに寄ってもスーパーにいっても思わず見とれる豊かな胸の女性にいくらも出会うし街には毎年一つ一つ歳をとるごとに若い世代の子の胸のアベレージは上がっているのでしょう。グラビア見るより街のほうが巨乳にいくらでも会える、となるとその先どうなってゆくのか、はけっこう推測もしやすくなるかと思います。

しかし日本の場合文化的なベースの違いがありますからアメリカと全く同じ方向に向かうかといえばそういうこともないかもしれません。とにかく巨乳雑誌がほとんど人工詰め物乳のモデルに占められてしまうような状態になってほしくないし、また悪貨が良貨を駆逐する状況に慣れてしまう自分にもなりたくはないなあと思っています。

 

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今年の夏はこの総務省の字幕がすごく鬱陶しくむかついたのでした。だいたいほぼ胸のあたりに字幕がきて、上端にすりゃーいいじゃねーかよとテレビに向かってしょっちゅう毒づいたものです。

 

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ここに出ている人は一般の人というわけではなくおそらくはタレントであったりあるいはAVの女優さんであったりするのかもしれないが一般の人だと思って味わえればそれでよい。

どうもありのままを感じる前に情報を探ろうという傾向が特にネットの世界で強いように思えるが偶然の出会いはそのままにしておくほうが自分が幸せになれますよ、たぶんね。

 

2005年も終わろうとしていますが

昨年末の入院手術に続き今年は1年療養状態で街ゆく胸の鑑賞をすることもなく終わってしまいましたが残念なことにまた年明けより入院となってしまいました。 こういう状況になるほどに自分にとって価値のあることとは何なのかが嫌でも明瞭になってくるものです。

結局自分はおっぱいへの憧憬しかない、他の物などいかほどの意味もないのだなということをますます思い知らされます。傍から見るときっとなんとくだらない人生なんだろうと思われることでしょう。たしかに他人に表立って公言することも恥ずかしいことですけど気取ったり大層なことを掲げても増して意味のないことですから。

さて、またしても悪運強く戻ってこれた暁には何をしたものか、もっとも爆乳の彼女さんを、と言っても相手があることゆえどう逆立ちしても好かれない身としてはいたずらに時間を浪費することになるだけだしやはり風俗に浸ってみようかというのが一番現実的な案であろうか。 なんかいい方法あったらどうぞ教えてください(笑

 

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ふわふわタイプのかわいいおっぱい。でもなんかとても気に入ってます。

 

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この1,2年よく思うのは自分は必ずしも「巨乳フェチ」ではないのかもしれないな、ということである。しかしながら大きな胸を見るともちろん息が詰まり心臓をつかまれたような思いがするのでやっぱりフェチなのかなと思い直すこともありその両側で揺れているような状態である。おっぱいが好き、そしてそれは大きいほどよいこの疑うことすらなかった自己の定義。しかしなぜ大きいほどよいのか、それはなぜそう思うのか、どのくらいからその気持ちが満足できるのか、などをあらためてよく検証し直す必要があるのかもしれない。

 

日本女性乳房の質変化

きちんとした調査に裏付けられたものではないのだがこのところ感じるのは日本の女性の乳房が大きくなってきていることに加えて単にその大きさだけではなく、質が変わってきているのではと思うことが多くなった。

一言で表すと乳腺優位の密度の高いタイプになてきているということでこのことは東京トップレスの工藤さんも同様のことを言及していらっしゃった。乳腺優位は欧米女性に多いタイプであるがそのために人工か?と誤解してしまうほど立っていても形が保たれており、その中でも乳房の下側が発達している人においては上から乳房を引き上げるだけではなく下から押し上げる力があるので乳頭が前から斜め上方向を向いた状態となりまさに欧米モデルのような胸となる。

このようなタイプは昔からいなかったわけではないし、70年代くらいからのグラビアでも目にすることはできたがしかしその大きさはまだそれほど大きくはなく、巨乳さん(ボインちゃん)になるのはだいたい脂肪蓄積タイプでそれを内部の乳腺が補完する程度によっていろいろな形になるというものであたようだ。 いよいよ日本女子も乳腺が発達したずしっと密度が高いしっかりした乳に移行してきているのであろうか、しかしフェチの心理の立場からだとこのような胸は鑑賞の対象としてはとてもよいのだが甘えを拒絶する強さが感じられてやや近づきにくいものになっているようでもある。

今後はフェチの心理のほうも女性の変化に伴って変わっていくこともありえるかもしれない。

 

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左右のおっぱいが離れたいわゆる「離れパイ」はかつてどちらかというと美しくないものと男女双方から思われており、だからこそ「寄せて上げる」がブラに求められる基本的な働きだったのであるがこのごろは離れパイの魅力が自然に定着してきているようである。このごろのグラビアアイドルにもこの離れパイを無理に寄せず離れたままの良さを生かしている写真が多く目につくようになった。

 

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千葉テレビさん、、やればできるじゃないですか!
一瞬の俯瞰、ゆ、揺れてるよ~ くろちゃん素敵~
(ほとんど脳細胞やられてます)

 

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フェチのメカニズムや本質を探究しても自分のフェチが治る回答が得られるわけではない。ならばなぜ探求などするのか。一つの考えられる目的としてフェチを自分の苦悩やカルマとしないため、つまり開放してやるためということがある。

どのようにしたら楽にフェチと共存していけるものか。とは言うもののそれはたやすいことではない。まず始末が悪いフェチの性質として24時間常に頭を支配しているということがある。大事な会議、商談の最中であろうと常に頭の中の一部はそればかり考えているからいつでも能力の半分くらいしか動員できないような状態にされてしまう。

もう一つはおっぱいフェチの場合、一人の女性のおっぱいで解決ができることではないと考えられるからである。マニアとコレクションはいつでもパッケージでいっしょになているようなところがある。何に関するマニアも多かれ少なかれその対象を集める。ただ1つの物を持って他はいらない、という事例を私は知らない。もっとも好きな1品はあるかもしれないがそれでも他のものも集めたいものである。あなたがおっぱいフェチならこれ以上はめったに出会えないような極上のおっぱいの彼女がいてもそれでもあなたの目は他の女性のおっぱいを四六時中サーチし続けるに違いない。

かつてのようにフェチに対する後ろ暗い感情で悩むということは少なくなってきているだろう。インターネットの発達で同じ趣味を持つもの同士のコミュニティーも容易に見つけることができて、なーんだこんなに同じ趣味の人がたくさんいたのだ、とわかり堂々としていられるようになってきている。しかしフェチの憂鬱の核はそういうところの問題ではなく、そのフェチを持ち続ける自分の不自由さのようなものを取り去れない、到達点というものがまるで見えないということではなかろうか。

 

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巨乳フェチ、あるいは乳房フェチそのものが何かの代替欲求であるかもしれないということが言われている、しかしキム・ミョンガン氏も指摘されているようにセックスの代替ではないであろうということは私も常々思ってきたところであるが、しかし「求める」ということは何か満たされていないものが存在するということに他ならないので、おっぱいを求めることによりいったい何を満たしたいのか、を探ることが胸フェチとは何の代替行為なのかを解明することになる。

さて、その乳房フェチという代替行為さえもが行えない場合さらにその代替の行為が枝分かれとして発生することは当然のなりゆきであるかと思われる。 その1例が「ブラ収集」、もちろんそのブラは新品よりもユーズド、それもどこのだれが使用したのかわからないユーズドではなく、憧れのおっぱいを持つ人が使っているそれであることが理想である。よって容易に人生ふみはずす落とし穴にもなってしまう。ブラ泥棒などしてはいけませんよみなさま。合法的解決方法はその女性と恋人どうしになって堂々とブラをもらうようになるかせめて捨てたゴミの中から使いふるしのブラを探すことであるがしかしそもそも前者のようなアプローチができない性質ゆえにこのようなブラ収集マニアになったのだからあまり役に立つ解決方法ではないですね。しかももし時間、労力、運ともにそろってその女性と恋仲になったとて、必ず乳房フェチは別の女性のブラも次々と欲しくなるに決まっているのだからなおさらたちが悪い結果になることだってありえる。

こうして書いていくとこのフェチはもうどうやっても救われようのないように思えてくるがフェチに終わりや完成がないのは人が生きていくにおいて「ここまでやったのでもう終わり」ということがないのと同じで別に問題になることではない。やりにくいのは男女との関係とかセックスと密接に関わる位置にいるフェチであるから問題になるのである。ガンダムプラモマニアだとか鉄ちゃんなど、まあ奥さんに「まったくいい歳してー」とあきれられるという問題はあるものの男女問題に直接関わってくるようなことはないからその点で問題になることではない。しかし結婚してから「君のことはきちんと愛している、でもおっぱいフェチはそれとは別物だから気にしないでくれ」などという言い分が通じる女性など1000人に一人もいないのではなかろうか。

 

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おっぱい愛好はフェチズムの中にあっては最も一般的で世の中にも受け入れられているものの一つであり特に変態扱いをされることがない分逆に囚われているということが他人にわかってもらいにくいところがある。おっぱいにさほど固執していない人であってもセックスにおいて相手の女性の胸を愛撫したり吸ったりすることは普通に行うからそのような人から見れば「どうしてもおっぱいは大きいほうがいい」という意識はフェチというよりちょっとした愛好程度のものであろうと思うようで、だからもしすごく性格の合う女性とかあるいはセックスで性器の愛称が抜群に合う女性が現れればあっさりとそちらのほうが優位になるものだと考えられていて、そのような考えが実はおっぱい愛好の当事者たちの中でも自らのことをそのようにとらえている人が思いのほか多いようなのだ。死体愛好とか動物との性交といったものに対してごく普通のセックスとの距離がまったく無いために結局は性的欲求とごちゃまぜにされてそこから先は深く考えられることもないというのが現実なのであろう。

次におっぱい愛好と巨乳愛好の微妙な関係である。自分もいつも思い続けてきたのは自分は巨乳が好きであるが小さいおっぱいを嫌っているわけではない、ということである。パラフィリア(惹きつけられるものに偏りがある状態)の定義は主に人以外のもの、自己や相手を苦痛や汚辱にさせること、子供や合意しない相手と無理に関係したがること、とされていて例として獣姦、排泄物、幼女、死体などがあげられている。しかしこの定義は多分に犯罪行為の範囲を定めたり倫理的規範を定めるための目的がはいっているので女性の胸とか鎖骨とか脚とか手とかそういったところに固執することはそのこと自体危害や不都合を発生させるものではないので議論の対象にもされない、まあ好きにやっててくれ ということであろうがもちろんこれもパラフィリアに違いなく、かつその中で体の特定部位などの大きさが大きいほどよいと感じる状態が「マクロフィリア」である。 だからフェチの中でも大小が問題になるものとそうでないものがあるから、例えば脚フェチは脚が大きい(太い?)ほどいい、という人は極めてマイナーな存在で通常は脚フェチはマクロフィリアにはならないであろうがマクロフィリアに最もなりやすいのが「背の高さ」「太っている」そしてこの「おっぱいの大きさ」などである。

こうして一つ一つ分けていくとわかってくるのは対象となる女性のいろいろな部分の大きさに固執する性質の中でそれらを包括して背景に存在しているのが相手の女性そのものが大きいこと、すなわち「大女」愛好である。

背の高い女性を好む男性は自分より高い女性から見下ろされ抱きしめられることに憧れ、太い女性を好む男性は包みこまれることを願う、これらは完全に独立しているようでそうではなく、「大女」愛という大きなくくりの中ではっきりしない境界をもって分かれているのかもしれない。

さて話をおっぱい愛好に集中させるが世間で非常に曖昧な状況が作りだされているのが巨乳フェチと豊満巨乳フェチであり、後者には豊満フェチが多分に入り込んでしまっているようだ。しかしこれは先に書いたように両者を包括する「大きな女性」を愛好するベースがあるために生じる混乱である。

自分がこのことについて考えている仮説はこの2つを明確に分けることをせず、むしろ巨乳愛好の中に2人称的愛好と1人称的愛好の2種類があり、そこのほうが明確な違いがあるのではないか、そして1人称愛好のおっぱいフェチは豊満フェチの性質も合わせ持つのではないかというものである、2人称的愛好のおっぱいフェチは巨乳を愛好しつつも大小にとらわれないおっぱいそのもののフェチとなりえるものと考えている。豊満体系の女性の胸にあまりフェチ意識を感じないタイプの巨乳フェチはおっぱいについてそれを持つ女性との関係から客観的に見ることができる、つまり「2人称としての良さ」を感じることができる人である。それに対して豊満に惹かれる人は自分が包まれる欲望の強さが強いためそのようなとらえかたができない。無理にしようとすればできるのかもしれないが心のほうがついていけないのだ。

 

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谷間の魅力。そう、僕たちは最初に山を発見したのではなかったのでは。最初に谷を発見し、そして山の存在に気がついたんだったよね