五月女ゆうり
お菓子系雑誌というかなり閉鎖的世界で人気を博するアイドルさんの魅力の一つは言うまでもなく「普通さ」であると思われるが五月女さんもまさにそんな子の一人である。
タレント本人がイラスト入りで描いたプロフィールなどを読んだところで手の届かない存在に変わりないのだがもしかしたら雑誌に出ているけど普通のこの子には出会えることもあるのかな、そんな気にさせてくれるのがいいのかもしれませんね。
河村悠里
このわずか4年くらいの間に風俗やAVにおいてはFカップをもはやまったく巨乳と呼ばない時代が来てしまったようである。H、I付近は現在の日本女性において乳房の形をつぶさずに維持しうる限界あたりであると思われるがほとんどの場合このあたりでは下向きの釣り鐘にならざるをえない。悠里さんも上乳の靱帯はかなり伸びているようだがゆえに仰向けやブラをした状態で重力への抵抗を補助してあげたときに美しい形になるようだ。
これはあまり誉め言葉ではないようでご本人には申し訳けなかったのではあるが、しかしもちろんこのプチぽちゃな体型に豊かでやわらかそうなテクスチャーは私たちにとっての定番中の定番であり、抱きあい触れ合う喜びを充分に味合わせてくれるおっぱいであると思います。
イローダトゥリアガノヴァ / ペトラマンデュラ
あえて日本語読みで外人の名称も記載することにしているゆえにこのあたりになるとかなり苦しいですね。
アスリートと巨乳というどう考えても並び立たない要素の両立を見るのは安心することである。しかしながらやはり巨乳な女性は運動をやめてしまう、あるいはあまり好きでない人のほうが全体の数としては多いのでしょう。ともすると不健康よりのイメージに傾くことの多い大きな胸がスポーツで揺れている姿を見るのはおおらかな気持ちとともにあらためて不健康な自分の精神を再認識させてくれるうれしさもあるものです。
フランジェラルド
もちろん「気に入ったから載せました」という以外大元の理由はないのであるがここにきてフランを載せるに至った道のりなずいぶん長かった。もちろん他の人にはどうでもいいことなのですけどね。アメリカでこのように重力をものともせず水平に前に突きだした胸が愛好されたのが50~60年代であり、その後はやはり垂れ下がる釣り鐘のほうに嗜好が移っていったのは面白い現象である。このタイプこそ日本人でもっとも出にくいタイプなのであるが。
豊胸手術でぱんぱんに張らせたグラビアばかり蔓延する欧米は自国の女性のこの素晴らしさを自ら失わせてしまったのであろうか。
注)当初シンシアマイアーズと混同しており誤りを掲載しており申し訳けありませんでした
マリアグラツィアブッチェツラ
言いにくい名前。さすがはイタリア人です。ソフィアローレンと並び称されるとまではいかなかったもののイタリアのセックスシンボルとして人気の出た女優さんである。
フェリーニ映画などを見てもわかるように南欧女性も中年になってぽちゃな女性の巨乳さんが多いようですがおそらくそういう女性は向こうの人たちは見慣れてしまっているゆえ逆に若くて痩せたグラマーさんが貴重な存在なのでしょう。
西川瀬里奈
巨乳ではないですね。なんとか脂肪をつけてここまで大きくなっているタイプですがしかしこういう子にも乳房の良さを感じる想像力を燃やした時代もあったということをこのごろ特に感じているので載せました。乳房へのあこがれはそのものが多分に想像、妄想によりできあがっているものではないかと思っています。
野川由美子
女ねずみ小僧を知る人もいいかげん高年齢になっていて、今の若い人は何によって野川さんをわかっているのかな、「お葬式」あたりからかな?1950年代、60年代の女優さんについてはセクシーショット自体数が少なく、その上さらに胸が目立つものは少ないので掲載に苦労する。この理由で未だ載せられずに控えている人がけっこういるんですよねえ。
及川麻衣
とにかくひたすら大きな胸が好きであるということはどうしようもないこととしておいておくとして、それでもって実際自分のすぐそばにどのようなおっぱいがあれば不満を持たずにいられるものかを考えてみるとき、このくらいであればもしかしていいのかもな、と思える大きさ、なんとも曖昧模糊としたことですが「巨乳が好き」というのはただ見てどうというものではなくて見ながら同時にそれに触れたときの感触を一瞬のうちに体全体で想像しておりその上で自分にとっての良さを判断しているということではないかと思われます。
ですから大きければ基本得点が高くなるため及第する率は高くなるわけですがそれほど巨大でなくとも及第するものもある、ということなのでしょう。
白鳥さくら
ちょっとこのポーズは違反なんですがまあいいでしょう。腕とお腹のほうでむしろ及第としたような次第です。
佐藤寛子
ついにサト寛を登場させるにあたりこの表紙写真に出会えたことがうれしい。どうも文字かぶりなどを気にして今まで表紙を用いることには躊躇していたところがあるが本ページの原点に戻ればいいだけのことであった。自分の心に残ったおっぱいを感じる写真を載せたい、そう、これはMY巨乳史なのですから。私としたことがこの写真には脚にまで感じてしまいましたが。
ウルスラスティーヴンス
すみません、英語表記も併記しておきたかったのですが元の雑誌でもカタカナだったのでわかりませんでした。
当時は日本の雑誌は外国雑誌社から写真を買って掲載しているのがほとんであったようですが中には国内で撮影されたものも掲載されていてこれもそのようなものの一つであったらしい。何しろ60年代以前のこといなるとあたくし自身「らしい」「かもしれない」だらけなのですけど。
五十嵐りさ
67年ごろのモデルさんである。もう40年近く昔のことになってしまうのですねえ。今の雑誌を見ていきなりこういうものを見るとすぐにぴんとこないものであるが、ゆっくりこちらの時代に浸るように見ているとこのころの気持ちになってくるような気がするのは面白いものである。
小学生にとってこの胸はやっぱり限りない謎と好奇心の対象でした。
伊藤洋子
あれ?泉ゆりさんのような気がするなあ、今も昔も改名や複数名による混乱はつきものですが。しかしかわいいおっぱいですねえ。当然のことなのでしょうけど昔のほうが自分はきっと健全であったのだなと確信できる1枚です。
松尾みき
仕事を終えて陸にあがってきた海女さんのような写真ですね。昔のほうがグラマラスを体トータルで捉えている写真が多いように思い、また明らかにエロを狙った写真は股中心ということで胸に主眼を置いた写真はなかなか探すのに苦労します。しかしこれなどはまさにそういう1枚ではないかと感じられました。
アネットジョンソン(Annette Johonson)
そう、この下乳の弧、わずかに上を向いた乳頭、このフォルムが好きだったんです。その後もクリスティーナリンドバーグなどこのフォルムでそのまま大きくなったような乳房が自分の好みとして定着していた、、はずなんですがやはり精神とはいろんな屈折によってだんだん汚れていくのでしょうね。
Kみなみ
もしかしたら混血のモデルさんであったのかもしれないが、66年ごろこの豊かな胸は希少であり、雑誌でも乳房の象徴として掲載されていた。
「乳房よ そこにおまえの地図がある」
来見奈津子
母の日かしら?(笑
ほどよいプチぽちゃ度は今の寸胴体型愛好の人にも喜ばれそうである。しかし当時20歳ごろであったとして今は50代後半くらい、どのような人生を送っていらっしゃるのだろうかなどということまで思いをはせてしまう。
小野真子
いただきもののところに掲載すべきところなのですがあまりに気に入ってしまいまして巨乳史で使わせていただきたいと思います。抱き心地、触れ心地、吸い心地、いずれをとってもプチぽちゃ気味の巨乳さんを好む人には申し分ないバランスと言えるのでは。
よし古いビデオ絶対探そう、と決意してしまいました。
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